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ピーカブーという名のスロットキャニオン

サンドストーンと呼ばれる砂が堆積して出来た脆い岩の層。その岩の表面の小さな隙間に雨水が入り込む。流れ込んだ雨水は、柔らかな部分を削り、割れ目を作る。砂漠に降る雨は、時折濁流となり、小石や小枝などを伴ってその割れ目に流れ込む。浸食は少しづつ、然し確実に進行してゆく。

何百万年の歳月をかけて、幾重にも重なったサンドストーンの層に、独特な空間が作られていく。時に、そこに風が吹きこむ。行き場を失った風は勢いを増す。砂漠の砂を含んだ強風は、サンドペーパーの様に岩をこすり浸食を加速させる。こうして出来上がるのが、スロットキャニオンと呼ばれる、摩訶不思議な渓谷だ。

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(アンテロープキャニオンの幻想的な空間。下の方に砂が露出した様な部分が見える)

ユタ州南部は、世界でも珍しいスロットキャニオンの集積地だ。然し、多くは辿り着くために、特殊な登攀技術や長時間に渡るトレッキングを要する。その中に会って、アクセスの容易さ、そしてその美しさで群を抜くのがナバホインディアンの居住区にあるアンテロープキャニオンだろう。


2020年3月、ナバホインディアンの居住地区であるナバホ・ネイションでは、新型コロナの感染が深刻化。更なる感染拡大を防ぐために外部との接触を断った。Tribal Parkと呼ばれる、アンテロープキャニオンやモニュメントバレーは、一年以上経過した今日でも閉鎖が続いている。


アメリカ合衆国政府は、これまでにネイティブ・インディアンの様々な部族と膨大な数の条約を結んできた。数百とも言われるそれらの条約、即ち「約束」の多くは守られることなく、ナバホの民を始めとするネイティブ・インディアンの一部は、極めて劣悪な環境での生活を強いられている。

コミュニティーの絆を大事にするナバホの人たちは、感染症の影響を極めて受けやすい。それにも増して、果たされぬ約束として、長年に渡って放置されてきた、下水道といった基本インフラや、医療施設の欠如などが、被害拡大の大きな要因となっているのは疑いの余地もない。

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午前9時過ぎ、軍用トラックのようなハマーの後部座席。揺れは激しいが快適だ。時折、深い砂にタイヤを取られドリフトする。運転席でハンドルを握るのは、キャッシュ。苗字は聞いていない。カナブ生まれのカナブ育ち。若いころに一度、町を出たというが、再びカナブに戻ってきた。この地が好きなのだろう。年齢は40歳と言うところだろうか?子供のころからユタ南部の砂漠を遊び場としてきただけのことはあり、見事な運転だ。

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(ダートロードの入り口付近。アップダウンのある深い砂地はまだ先)

車が一台が通れるだけの細いダートロード。一方通行ではない。対向車両がくれば、ロード脇の砂深い所へ乗り上げるしか、すれ違う術はない。キャッシュ曰く、よそ者が安易に乗り入れ、スタックするのは珍しくないという。4WDであれば良いというものではない。硬い土の表面を覆う砂の深さは1m以上はあるそうだ。ルートを見誤ればハマーでもスタックする。当然、タイヤの空気圧も調整してある。かなりのテクニックを要する。

ロサンゼルスを発つ前、愛車ホンダ・パイロット4DWで走ってみようというアイデアが頭をよぎった。しかし、それが無謀だと分るのに時間はかからなかった。今、その判断が正しかったことがよく分かる。おそらく100mも進めずにスタックしただろう。レッカー代は、最低でも$600㌦だそうだ。

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(ダートの入り口。車高の高い4WDが必要。AWDは役に立たないとの警告がある)

ダートロードをひた走り、向かっている先は、ピーカブー・スロットキャニオン。家内に一度、スロットキャニオンを見せてあげようとここへ来た。アンテロープキャニオンは、コロナ感染拡大のため閉鎖されている。比較的アクセスが容易で、見応えのあるスロットキャニオン。それが、ピーカブーと言う分けだ。「容易」と言う表現が適切かどうかは定かではない。

愛車パイロットを諦め、次ぐ選択肢はと言うとATVサンドバギー。ツアー会社に電話を入れたが、既に完売。そんな事情からハマーの後部座席でキャッシュのお世話になっている。ピンクみのかかった細かい砂のダート、何度かスタックしかけたが、キャッシュの熟練の技で危なげなく乗り切り、漸く目的地が見えてきた。

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(渓谷への入り口。川の下流にあたる)

ピーカブー、即ち「いないいない 、ばー」の名前の由来は、渓谷の入り口付近の岩にあるコブシ大の穴。真実のほどは分からないが、その昔ハイカーが穴の反対側から覗き、「いないいない、ばー」をした事に端を発するという。曲がりくねった渓谷内は、両側の壁がヒダようになっており、見る位置を変えるたびに、幾重にも重なった岩や、そこに刻まれた紋様が見え隠れする。敢えて、「いないいない」や「ばー」する必要もない。

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(ピーカブーの名前の謂れとなったと言われる岩に開いた穴)

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(岩肌に刻まれた紋様が美しい)

谷に足を踏み入れる。そこはヒンヤリとした空気に包まれた、異次元の空間だ。クジラに飲み込まれたピノキオのおじいさんになった気分で奥へと進む。

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(東の空から差し込む光線と、それをバックにはしゃぐ家内)

頭上の岩の隙間から差し込む朝の陽射しが、矢のように強い意志をもって地表を照らす。足元の砂をすくい、光の束に向かって投げる。天から放たれた輝く矢は、宙に舞う砂粒と混ざり合い乱反射し、一瞬眩いばかりの光を放つ。

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(一瞬の輝きの後に姿を消した光の矢)


上流に向かう、その頭上には、フラッシュフラッド(突発的な洪水)で流されてきた、大小の木枝のようなものが引っかかっている、高さは3~4m。注意してみると、更に高いところにも同じように幾つもの枝がある。なかには幹の一部のような大きさのものもある。この谷に大量の水が流れ込んだ際に残していったものだろう、水位は5~6mまで達した筈だ。

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(頭上に弧を描くサンドストーンの紋様。一対の足跡のようなものが上部に向かって伸びている)

サンドストーンの壁は見る角度や、光の差し方によって、異なった表情を見せる。色彩の変化だけではない。時折、岩肌の紋様が浮き上がる。この谷で何万年、何十万年の間に起った様々なことを伝えたがっている様だ。

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異次元空間の終着地点は、呆気ないほど突然、そこに姿を現した。しかし、この行き止まりは終着の地ではない。遡る事、数万年前。見上げる先にあるサンドストーンの小さな隙間に、雨水が入り込んだ。それが、この谷の歴史の始まりだ。

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(谷はここで行き止まりとなる。始まりの地を見るべく地表までの登攀を試みるが途中で断念した)

いにしえの時に想いを馳せながら、この谷を作り上げた見えない流れに沿って、帰路を今暫く楽しもう。


By Nick D


ワンポイントアドヴァイス:

1.行き方
ピーカブーは、ユタ州南部カナブ(Kanab)の北、12~13マイルのところに位置しています。カナブから、89号線沿いにあるトレイルヘッドまでの距離は8.6マイル(約14㎞)。時間にして僅か10分ほど。一般的には、Peekaboo Slot Canyonと呼ばれていますが、正式名はRed Canyon Slot(レッドキャニオン・スロット)。どこにでもある、ありふれた名前。Peekaboo Slot Canyonで検索すると、ATVツアーなど幾つかの選択肢が出てきます。

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(トレイルヘッドで出番を待つATV。2人乗り、4人乗りがある。)

本文で触れたように砂がかなり深く、4WD車両でのダート経験が豊富な方以外は、自家用車での乗り入れはお勧めできない、というのが私の感想です。

トレイルヘッドから谷の入り口までは片道約5㎞、往復10㎞ほどの距離。歩けない距離ではありませんが、深い砂地で極めて歩きにくく、更に途中、分かれ道もあるので十分にご注意を。

2.Coral Pink Sand Dune
ピーカブー・トレイルヘッドから12マイル(20㎞)ほど南西に行った所に、コーラル・ピンクサンド・デューン州立公園があります。ピンク色の砂丘という事になっていますが、実際には、赤みのかかったベージュといったところ。ピンクの砂丘を期待していると、少しガッカリするかもしれませんが、一見の価値あり。ATVツアーや、きめの細かい砂丘からのサンドボード楽しめます。

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(ピンクというよりはオレンジ色っぽくみえる砂丘)

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