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恐竜の砂漠でエナジー・チャージ

「とーちゃんがハイジになっちゃったよ~」娘が小さい時によく言っていた。ふっと思い出して懐かしい気持ちになった。


5kmほどの軽いハイクのつもりで水も持たずに歩き始めた。気が付いたら10㎞以上走っていた。メキシコ国境にほど近いコロラド砂漠にあるアンザ・ボレゴ・デザート州立公園。ほどよく冷えた朝の風が心地よい。数時間前まで傍らにいたハイジはアルプスの山に戻ったようだ。

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(アンザボレゴの乾いた山間を駆け降りる)

多忙な日々が続いたり、天気に恵まれずに長いあいだ外遊びができなくなると、私はめっきり元気がなくなる。日照時間が短い冬はさらに顕著だ。そんな状態を家族はハイジ病と呼ぶ。アルプスの少女ハイジがクララが住むフランクフルトの街に連れていかれる。街の生活に馴染めないハイジ。山の生活が恋しいがクララにそれを伝えられず、病気になってしまう。ハイジは町で一番高い教会の塔に上って山を探す。「山がみたいの、もみの木が泣いている、大角のだんな~」と叫ぶ、お馴染みのあれだ。

「ハイジになっちゃった」は滑稽に聞こえるが、私にとってはかなり深刻だ。携帯電話のバッテリー残量が減っていくように、体からだんだんとエネルギーが抜けてゆく。行動意欲が低下し、考え方もマイナス思考になる。鬱状態とまでは言わないが、自分でもヤバい状態になってくるのがなんとなく分かる。

治療方法は極めてシンプルだ。アウトドアで太陽光を存分に浴びる。2~3時間では満タンにはならない。カラダ全体をソーラーパネルとし、丸一日は充電しないと、またすぐにハイジが戻って来る。

娘は幼い頃からそれに気づいていたようで、「あ~山へ行きたいな~、どっか遊びに行きたいな~」と、ぼやいている姿を見ると「またハイジはになっちゃったの?」と尋ねてきた。次いで「とーちゃんが、またハイジになってるよ~」と家族全員に危機的状況を伝える。ひとむかし前の話だ。

数ヶ月間かなりガチでトレーニングをして、11月に100㍄(160㎞)トレイルラン・レースを完走した。次なるチャレンジはまだ決めていない。週に2〜3回は走ったり、マウンテンバイクに乗ったりしているが、どうもぱっとしない。燃え尽き症候群みたいなものだろう。それに追い打ちをかけるように降る雨、雨、雨。長年に渡って干ばつが続いているカリフォルニアだが、12月は記録的な降水量となった。待ちに待った恵みの雨。各地の貯水池の水位は上がったが、深刻な水不足を解消するには程遠い。


雨が降ること自体はとても有難いが、トレイルはグチャグチャで走るどころではない。普段走っている自宅付近の土は粘土質だ。雨が降るとトレイルは、取っ散らかった焼き物工房と化す。どこもかしこも粘土、粘土、粘土。雨のあい間を縫って走りに行くたびに、シューズの裏にこれでもかと言うほどの泥がこびり付く。靴の大きさはスノーシューほどになり、泥の厚みで背丈は2~3センチ高くなる。走るのを楽しむどころではない。仕方なくロードを走ることもあるが、単調ですぐに飽きてしまう。

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(黒く影のように見えるのは靴底にこびり付いた泥。近所のトレイルにて)

年始に休暇を取って遠出する予定だったが、事情があって見合わせとなった。久しぶりに「ハイジ症候群」のお出ましだ。


遠くがダメなら近場で、という事で車を南へと走らせた。向かった先はサンディエゴの東にあるアンザ・ボレゴ・デザート州立公園。アメリカで最大の州立公園だが、多くの人にとっては何もない荒地だ。そこにあるのは小石や背の低い灌木に覆われた薄茶色の大地とそれを囲む岩山だけだ。


夜明け前にロサンゼルス郊外の自宅を発ち、3時間ほど車を飛ばしビジターセンターに着いた。砂漠のオアシスにパームツリーが群生するスポットがあるらしい。往復5㎞のトレイルを手ぶらでふらっと歩き始めた。5㎞の起点がビジターセンターではないことに気が付くのにそれほど時間はかからなかった。ヒンヤリした朝の空気に誘われ、いつの間にか走っていた。心拍数が上がり、呼吸も上がる。肺一杯に吸い込んだ酸素を血液が体中の細胞へと送る。周囲の景色が輝き放ち始める。いつの間にかハイジはいなくなっていた。これで娘に冷やかされることもない。

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(薄茶色の岩山に囲まれた谷に忽然と現れるパームツリーの群生地)

メキシコ生まれの二人の子供。日本語はあまり得意ではないが、小さい頃から私のことを父ちゃんと呼ばせていた。片言の日本語をしゃべる子供達、幼い口から発せられる「とーちゃん」という響きはとても可愛かった。外で大声で呼ばれても、日本語を理解するものがいないメキシコでは全く気にならなかった。


数年前にアメリカに引っ越して来てから事情は変わった。日本人が多く住むロサンゼルス。日系スーパーなどで、「とーちゃーん、こっち来て」と大声で呼ばれるとかなり恥ずかしい。「お父さん」と自らの呼称を変更したが、一度ついた習慣はそう簡単には変わらない。3歳年下の長男は、いつの間にかお父さんと呼ぶようになった。然し、長女は23歳になった今でも、私のことを父ちゃんと呼んでいる。ちなみに、家庭内の会話はスペイン語。よって、朝の挨拶は、「ブエノス・ディアス、とうちゃん」と、いささか妙な響きだ。

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(18歳の誕生日にスカイダイビングをする長女)


更に言うと、姉弟だけで話をするときは英語なので、私は『Dad』となる。家内と子供達だけの時は、『Papa』。スペイン語なので、アクセントは後ろの『a』で『パパー』。言語的にみると家庭環境はかなり複雑だ。おそらく娘が私のことを「お父さん」と呼ぶ日は永遠に来ないだろう。

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(背景に溶け込むビッグホーン。この辺りに生息する型肉食獣のマウンテンライオから身を守る必要がある)

崖から小石が落ちる音で我に返った。左の断崖を見上げるとビッグホーン・シープが数匹。静かに草を食んでいる。薄茶色の体が背景と完全に同化している。目を凝らさないと何頭いるか良く分からない。おそらく5頭だろう。

何もないように見える極乾の地。薄茶色の山々や大地に目を凝らすと、そこに生息する動物がいる。そして植物が生命を謳歌している。それら自然の営みのすべてが愛おしい。取り巻くすべてのものが私にエネルギーを与えてくれる。

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(園内に点在するオブジェ。恐竜に襲われれば逃げるしかない)

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(恐竜をはじめラクダや馬、ゾウなどが灌木の間から姿を表す)

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足を覆っているのは、トレイルランニング用のシューズ。今回はのんびりと歩くつもりで来たのだが、気持ちのよさそうなトレイルを見つけると、つい走ってしまう。

若い頃は走る事が大嫌いだった。中学・高校時代のマラソン大会はいつも仮病。参加した記憶はない。走るのは嫌々するトレーニング、あるいは部活の練習をさぼった時に「校庭10周だ~」と先輩から課される罰。好きになれる筈はない。

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(フォンツポイントからの眺め。バッドランズと呼ばれる雨風によってヒダ状に浸食された荒地)

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ひょんなことから始めたマラソン。すっかり嵌って、今では100km以上の距離を自らの意思で走る。あえて辛い思いをするために、安くない参加費を払う。得られるものと言えば、ティーシャツとメダルくらいだ。全く割に合わない。なぜ?と聞かれることが少なからずあるが、上手く言葉にはできない。

山に登る理由を聞かれた時に「そこに山があるから」と答えた登山家がいた。単純明快で格好いい。然し、なぜ走るかの問いに「そこに道があるから」はイケてない。敢えて言えば、「走ることを通して理想とする自分に近づくため」であるが、恥ずかしくてとても口にはできない。

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(サンドストーンの層を水流が削り作り出したスロットキャニオン)

多くの人にとっては何もない砂漠。しかしそこには数多くのトレイルがあり、スロットキャニオンがある。私にとっては無限に広がる遊び場だ。更には、ただでエネルギーをチャージできる、無料のガソリンスタンドならぬ、エナジー・スタンドのようなものだ。自然と太陽の恵み受けた再生可能エネルギー。存分に使わせてもらおう。

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(濁流は時に大きな岩も押し流す)

知らぬ間に手を切った。それも両方。左右の手の指から血が出ている。いつ、何処で切ったのだろうか。毎度の事だ。大した傷ではない。まだ陽は高い。バッテリーをフル・チャージするべく、西日を浴びながらフォンツポイントへ向かう。

そして、ハイジが再びアルプスの山から降りて来ないように、日暮れまでにもう少し恐竜と戯れておこう。用心に越したことは無い。

By Nick D


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