高スペックが陥った独身の沼
身長172cm、37歳男性、地方国立大卒、公認会計士、
年収1,000万円で貯金約4千万円
スペックを自慢したいのではない、しばし我慢を。
宗教や酒癖、DV癖といった、いわゆる一発NG項目無し。
高校、大学でミスターコンテストのファイナリストまで残ったことのある顔面偏差値。
恋愛経験はそこそこあるし、コンサル勤務経験もありそこそこのコミュ力もある。そして周りからプライドが高いやつと思われないための処世術もわかってる。
私以上の高スペックが世の中に多々存在することは分かっている。
けれど、そんなのは母集団全体からすればほとんど無視できる程度の話のはずだ。
そんな私は、とても結婚したかった。
でも37歳になっても結婚できなかった
もう結婚相手の探し方すらわからなくなって心がどんどん疲弊する。
どこで道を踏み間違え、その原因が何だったのかが今更ながら見えてきた。
私のようにな望まない人生を歩むひとが一人でも減るように、自分を人生を振り返りたい。
【20代前半】
大学卒業の年に会計士試験に合格、
就職は厳しかったけど何とか大手監査法人への内定も取った。
仕事はそこそこ激務、でも頑張った分だけ残業代や昇給はしっかりついてくる。
大学生活を勉強漬けで過ごした分、
合格したらこの東京を、そして人生を満喫するのだ。
田舎者にとって幻想を抱かせてくれる東京は憧れだった。
就職を機に、勢いで賃貸した不動前のワンルームマンションは、何かと都合が良かった。仕事や飲み会、(たまに女がひっかかればこっちのもの)
深夜のタクシーに飛び乗って千円ちょっとで自分の住処に戻れるのだ。
若造のくせに、お金はそこそこ持ってる。
スペックの低い者たちは、東京は幻想であったと言い残して故郷に戻るが私にとっての東京とは、ほとんど手に入れられる現実であった。
気の知れた男女合同でのスキー旅行、
もちろん男だけで行くカジノ旅行や飛田新地徘徊も今でも最高の思い出だ。
自分へのご褒美と背伸びして買った高級時計
彼女の誕生日には、個室風呂付の旅館を予約しよう
こんな理想的な生活を捨ててまで、人なぜ人間は結婚の道を歩むのだ?
大学から一人暮らしを続けてるから、掃除、洗濯、自炊だってそれなりにはできる。お掃除ロボット、全自動洗濯乾燥機機、アマゾン×宅配ボックス。
人類の発明品を使えば何でも一人で出来てしまう。
結婚どころか同棲だって考えたことはなかった。
友人がどんどん結婚していくけども、うらやましさはほとんどなかった。
一人で生きていくことに不安を覚えて、
あるいは親族や恋人からのプレッシャーに”勝手に”負けた者たちが結婚していく。
私にとっての結婚とは当時そんなものであった。
結婚の決断を否定はしないけれど、俺はそんなプレッシャーに負けるほどヤワでバカじゃない。心の底ではもしかしたらそんな相反する気持ちがあったのかもしれない。
こんな考え方が俺を結婚できなくしたのか? いや違うはずだ
確かに自分の考えが未熟だったことは認めよう。結婚の先に何があるのか。その本質まで考える想像力は欠けていたという指摘はごもっともだ。
でも不思議と、当時の感性自体は間違いではなかったと思える。
子供が失敗と傷を負いながらも、少しづつ大人になっていくように、
20代前半のイキった若造なのだ、どこかで間違いに気づき軌道修正していくことを見守ってくれたてもいいはずだ。
おそらく、37歳の今の絶望を作った分岐点はもっと先にあるはずだ。
【20代後半】
少しだけ結婚を考え始める。"まだ先のことだけど" という前置詞を添えて。
毎年恒例だった旅行参加者の人数確保が徐々に難しくなり、ゲリラ的な飲み会の誘いをしたって集まるメンバーは限られてくる。
同時に、たくさんのモノや経験を東京で手にしたからこそ、お金の虚しさに襲われるようになる。
資本主義のそんな限界が見えてくると、お金で買えない何か、
それは”幸せ”と抽象化せざるを得ないけれど
でもそういう何か金銭でない人的関係、癒しを求めて生きていくことも悪くないと感覚が知らせる。損得勘定より大事な"幸せ"とやらを、もう少しマジメに追っても良い時期に来たのかもしれない。
そんなサタンみたいな問いかけへに対して、私はいつしかこんな答えを見出した
この思考がすべての元凶だった。間違いない。
ホームドラマの主人公みたいなクソ正論を理想に掲げたが故に
自らの結婚願望に目をつむり、婚期を自ら遠ざけたのだ。
結婚は妥協だ。そんなものだし、でもそれでいいのだ。
という人類史を顧みれば明確な現実を直視できず、そして我儘で弱い人間であることを受け入れられなかった。心に芽生えていた結婚の若葉を自分で摘んでしまった。
こうなると、結婚への歯車は少しづつ逆回転し始める。
食事会や異業種交流会と称した出会いの場には年に何度か顔を出したが、
結婚願望が透けて見える女には、嫌悪感を感じて真剣な交際にはならない。
少しだけ自分のスペックが良いことに胡坐をかいて、恋愛M男ともいうべき受け身をとりつづけ無駄にした20代後半。悔やんでも悔やみきれなかった。
【30代前半】
結婚に対する基本的な考えは、さほど変わっていなかった。
変わらなければいけなはずなのに、思考が凝り固まっていつしか老害と呼ばれてしまう者たちと同じで自分ではそれに気づかない。
当然いい縁に恵まれることもない。人生の満たされなさを仕事に打ち込むことで忘れようとするが、人生の充実感はかえって反比例する。
仕事なんてのは人生の暇つぶしだと Youtubeで嘲るひろゆきを見つめながら
自分が本当は何をしたいのか考え始める。
結婚できないという現実、自分の結婚観を変えられないプライドを理解できず、それをすべて仕事のせいにして間違った道を選択してしまったことは最大の致命傷だ。
思えば、当時の彼女は結婚相手として最高だった。
酔っぱらった勢いでワンナイト、その後の気まずい時間をごまかすために
ちょっとだけ付き合うテイを取った。そんな私のよくある始まりのパターンだったけれど不思議と惹かれていった。
朝食はチアシードと特製の野菜ジュース、
夜はとびきり重い赤ワインを片手に、時代遅れのビデオレンタル店でわざわざ借りた映画を鑑賞する彼女だった。とびきりの美人、スペックがあるわけでもないけれど一緒にいると気持ちが安らぐ。
私の生活スタイルとは全然違うけれど、そんな彼女の考えや行動にとても興味が湧く。こんな気持ちは彼女が特別だったからなのか、自分が成長している証なのか。
そんな彼女に、私は海外移住するからと別れ話を持ちかけた。
海外に移住して気づいたこと
移住して数年もしないうちに英語力は上がり、仕事も順調。
転職したという経験で自信もついた。もうくいっぱぐれない人生。
それでも何にも満たされていかない。
自分のキャリアが順調に進めば進むほど、ほんとうは海外で仕事を成功させことなんてどうでもいいことだったと気づいていく。
そして同じ人生を歩み。悩んだり喜んだりする毎日の事柄を共有したい
そんな結婚への純粋な気持ちが増殖していく。
このままでは本当に結婚ができない人生だ。
今からでも遅くない、ここからは真剣に結婚を考えよう。
そう考えたのが32歳の時だった。
異国の地で結婚相手を探す。
幸運にも、赴任した新興国の女性からの食いつきは悪くない。
結婚相手が外国人というのは少々戸惑うこともあるだろうけど、それも人生に良い刺激をを与えてくれるとポジティブに考えるようにしよう。
そんな考えの変化を経て、複数の現地女性と真剣なお付き合いはしてみたけれど、どれも結婚までは全然進まない。
断っておくと、私の付き合った女性は水商売の人間ではない。会社務めのマジメな子やビジネスで成功した者たちであった。
大卒以上の学歴を持っていたけれど、宗教観や家族観、金銭感覚の違いは大きかった。彼女たちの価値観に寄り添おうと、自分なりに努力をしたけれど、愛情なんかで埋めれるほど簡単な壁ではなかった。
そんな間で悩んでいるうちに、例の新型コロナウィルスの問題が発生した。
人とリアルで知り合うことすら難しくなり、出会いはほとんどない。
日本に戻ることすらできない期間も長かった。
私の貴重な年齢がまた1つ加算されていく。
これを絶望といわずに何と言おうか。
【37歳独身の原因】
海外在住の日本人女性で探してみれば?なんて単純な質問もあるだろうが
それは相当現実的ではない。
まず海外に在住する日本人女性のほとんどは駐在員夫の帯同だ、
単身で来ている”変わり者”もいなくはないが、彼女たちのターゲットは現地の男だったり、はたまた結婚願望が無かったり。
つまりアラフォーになった私は恋愛対象外なのだ。
今振り返ると私の間違いは2つあったと思う。
1つは結婚を経済的合理性からしか考えず軽視し、早くから結婚相手を探さなかったこと。2つ目は海外移住し結婚相手を探しづらくしたこと。
20代の私は高スペックで結婚相手なんていくらでも選べたはずだ。
それなのに、いまや日本から遠い東南アジアで一人で悶々と暮らしていく可能性が日に日に高まる現実と、今までなんとうぬぼれていたのだろうという自己嫌悪で押しつぶされる。
自戒の念も込めて。、独身の男性に忠告したい。
一人暮らしは楽で自分に合っている
なんて言葉が本当に心からの言葉なのか自問してほしい。
結婚しないのかと聞かれた時の他者への都合の良い言い訳ではないか?
そして、他ならぬ自分に対する免罪符としての回答ではないだろうか?
”一人で暮らすことができる”というのは
”一人で暮らす寂しさに耐えられる” ただ、その程度の自立能力が備わっているだけなのだ。
うぬぼれてしまわぬよう、深く考えてほしいのだ。
一人暮らし"できる"と"一人暮らしが好き"の間には
とてつもない違いが存在していることを。
そんなシンプルなことが、私はこの歳までわからなかった。
そして今、一生独身なのかもしれないという不安を紛らわせるために、仕事に精を出す。
やることのない地獄の様な土日に、別れてしまった元彼女のSNSアカウントを探しては自己嫌悪に陥る。
5年以上更新されてないfacebookだけが唯一の連絡方法だった。
何とメッセージを残そうか。今更、寄りを戻そうなんて都合のいいことが聞いてもらえるはずもない。
そう葛藤しながら、明日38歳の誕生日を迎える。
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