マインドフルネスってなんなんだろう

"マインドフルネス"という言葉は、多くの方が聞いたことがあると思います。グーグルをはじめとする多くの企業が研修で取り入れたり、イギリスの国家プロジェクトとしても採用されたりと、単なる流行の枠を超えて浸透しつつあるように感じます。日本にいてもNHKでも取り上げられたりするなど頻繁に耳にしますし、集中力や記憶力などのIQのみならず、思いやりなどのEQの向上にも役立つというので、生産性の向上に興味がある僕はとても気になっていました。

しかしいざ調べてみると、よく分からない。日本マインドフルネス学会のHPを覗いてみるとマインドフルネスは以下のように定義されているのですが、抽象的でつかみどころがなく、さっぱり実感が湧かない。必要性もわからない。

本学会では、マインドフルネスを、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する

よく分からないのでずっと放置していたのですが、新年を迎えたキッカケに、何冊か本を読んで自分なりにまとめてみました。

(僕はまだ実践して数日なので、実体験を元にしたものではなく、あくまで頭で理解したことの共有です)

仏教としてのマインドフルネスと、アメリカ流マインドフルネス

まず最初に参考にしたのが、Newspicksで取り上げられていた、落合陽一〝禅・マインドフルネス〟を考えるという動画でした。参加者の一人である山下良道住職によると、マインドフルネスが日本に来た文脈は、大きく分ければ2つあるそうです。1つがテーラワーダ仏教で、もう1つがアメリカ流マインドフルネス

まず前者の方から説明すると、日本にもともと伝わってきた仏教は、東アジアを中心に発展し広まってきた大乗仏教だそうです。大乗仏教の一派である禅宗での修行方法は、思いを手放すことにあります。座禅をしてみると分かりますが、何も考えないようにしても、どんどん頭の中に勝手に言葉やイメージが沸き起こる(自動操縦)。禅では、そうした自動操縦で想起された言葉やイメージなどの思いを手放し続けるらしいです。一方、南アジアではテーラワーダ仏教というのが発展し、その肝要は「気づき」にあり修行方法の中心にマインドフルネスがあるようです。テーラワーダ仏教での座禅(マインドフルネス)は、呼吸を見続けます。脳が自動操縦で色んなことを考え始めたら、そのことに気づき、意識を呼吸に戻す。この、「呼吸を見続ける」というのが禅との決定的な違いで、山下良道住職はむしろ正反対であるとも言っています。なぜなら、禅では全ての思いを手放すので、呼吸への意識すらも手放さなければならない。一方でマインドフルネスでは呼吸へ意識するので、手放しとは逆のことをしているためです。また、テーラワーダのマインドフルネスでは、「慈悲」の気持ちをもって、自分や他者の幸せを願うという特徴もあります。このように、同じ仏教でも、日本古来からある大乗仏教の禅と、南アジアで発展したテーラワーダ仏教のマインドフルネスでは全く異なるものでした。より詳しくは、山下良道住職の著書『「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える』に書かれています。禅宗とテーラワーダ仏教をどちらも本場で修行した著者だからこその、先ほどの禅との違いの衝撃と、それをどう乗り越えるかの試みが書かれています。

次に、アメリカ流マインドフルネスについて。多くの方が目にするのはこちらの方だと思います。先ほどのテーラワーダ仏教の修行方法としてのマインドフルネスは、テーラワーダの国からではなく、アメリカからの直輸入という形で日本に伝わりました。アメリカでは、1980年頃からテーラワーダのマインドフルネスにヒントを得た医学的なマインドフルネスのセラピーコースが始まりました。しかし医学なので、宗教的要素や慈悲などは削ぎ落とされ、「ノウハウ」としてのマインドフルネスが誕生しました。その効果がビジネス方面でも注目され、グーグルなどの大企業で取り入れられ始めました。その中で医学やビシネスに特化して日本に伝わったのがアメリカ流マインドフルネスなので、大元のテーラワーダ仏教のそれとは違いも多々あるようです。

マインドフルネスによって集中しやすい脳をつくる

それではアメリカ流マインドフルネスには、具体的にどんなメリットなどがあるのか。これも色々調べてみましたが、人により言っていることが異なっていたり曖昧だったりして、結論今でもちゃんと理解できていません。以下のように信頼できる論文は1%という報告もあり、余計混乱しています。

ウィスコンシン大学マディソン校教授で脳神経学者のリチャード・デビッドソンと私は、最も厳密な科学的基準に基づき、マインドフルネスや他の瞑想に関する膨大な公表文献をふるいにかけた。その結果、数千もの文献のうち、医学研究のゴールドスタンダード(最も信頼できる基準、黄金律)に適合した論文は、わずか1%ほどでしかないことが判明した
from マインドフルネスは4つの確かな成果をもたらす

その中でも、少しは自分で納得できた箇所を共有します。

まず僕の中で一番しっくりきたマインドフルネスの説明は以下でした。

「マインドフルな意識」とは、集中と感知という2つのスキルによってもたらされるものだ。より詳しく言うと、「集中(focus)」とはいま自分がしていることに専念する能力であり、「感知(awareness)」とは自分の意識の状態を認識し、気を散らす物事を捨て去る能力である。
from 朝、勤務中、帰宅時の短時間で、マインドフルネスを実践する方法

先に触れたマインドフルネスの実践である、「呼吸に意識を向け、脳の自動操縦が始まって意識が散ったらそれを認識し、呼吸にまた意識を向けなおす」という作法はまさにこれだと思います。

で、なんでこれを日常的に続けると良いのか。ここには、神経可塑性が1つのキーワードになっているようです。以下で説明されているところによると、脳は繰り返し経験を重ねると回路の一部が強化され、他の回路が弱まっていく。経験に最適化するように脳の構造が変化する。先の引用で触れたようにマインドフルネスは集中と感知から成り立つので、「呼吸に集中->他の思考を感知->呼吸に集中を戻す」という経験を意識的に繰り返すことで、集中力に関わる神経回路の接続が実際に強まる。集中しているときに他のものに意識がそれてもすぐに戻ってこられる。しかも、他のことに意識がそれることを回避するのは不可能らしいので、際限なくトレーニングができる。そうれれば、僧侶の方々が生涯をかけて修行するのも、それが集中力の向上に効果があるのも、個人的に納得ができます。

 マインドフルネスの背景にある神経科学では、「神経可塑性」という考え方が重要な役割を果たしている。つまり、繰り返し経験を重ねると脳の回路の一部が強化され、他の回路が弱まっていく。脳が変化していくということだ。

集中力は心の筋肉のようなもので、適切な訓練によって強化できる。心の中のトレーニングジムで集中力を高める基本的な訓練法は、たとえば自分の呼吸など、何かに的を絞り意識を集中することだ。集中が的から逸れたら(必ずそうなる)、今度は自分の心がさまよっていることを意識する。これには、思索の糸にとらわれずに自身の思考を認識する能力、つまりマインドフルネスが必要になる。

それから意識を呼吸に戻す。ウェイト・トレーニングの反復運動のようなものだ。エモリー大学の研究者らは、この単純な訓練によって、集中力に関わる神経回路の接続が実際に強まると報告している。
from マインドフルネス:休息と瞑想が、集中力を高める

マインドフルネスで平静を保つ

今まで見てきたように、マインドフルネスは自分の自動操縦の思考や言葉、イメージなどに"気づき"、意識を特定の対象に戻す訓練です。そのため、日常の中で自分が過去や未来の不安に捕らわれている、イライライしている、などと気付いた時には、マインドフルネスでのトレーニングを思い出し、目の前のことに意識を集中し直すことで、心の平静を保つことができるのも、なんだか納得しました。

しかしマインドフルネスが、そういった心の動揺への気づき感度自体を高めてくれるのか、気づきやすくしてくれるのかは疑問が残ります。

マインドフルネスの実践は瞑想だけじゃない

他にも、マインドフルネスは必ずしもみんながイメージするような瞑想だけではなく、ウォーキングやジョギング、日誌、対話、普段の仕事など、どんな時でも実践できるというのも納得しました。肝心なのは「特定のものに集中し、集中が逸れたらそれを鋭敏に認識し、自覚的に元の集中に戻す」ということを続けられれば良いので、集中する対象があればなんでも良いと思います。

納得できないものもある

マインドフルネスという言葉は「マインドフル」という形容詞を名詞化したものだと思います。そして、マインドフルの対義語はマインドレス。それでは、マインドレスとはどう言った意味でしょうか。

辞書では以下のように書いてありました。

思慮のない、無知な、心ない、頭を使わない、(…に)無関心で、うっかりしていて、不注意で

そして、記事によってはマインドフルネスによって一方的な判断を防いだり、状況を見極めてパフォーマンスをあげることができると説明していました。確かに、マインドフルの定義をマインドレスの逆、つまり「思慮があり、頭を使い、関心があり、注意があり...」として捉えれば、それは納得です。ですが、行為としてのマインドフルネス、つまり「呼吸に意識を向け、脳の自動操縦が始まって意識が散ったらそれを認識し、呼吸にまた意識を向けなおす」というトレーニングによってそれが実現できるのかは、その繋がりがあまりイメージできず納得できませんでした。マインドフルネスを続けていると、マインドフルネスのトレーニングをしていないときでも、自分の思い込みに気づき、その思い込みを除いた判断ができるようになるのでしょうか?思い込んでいることにはどうやって気づくのでしょうか?(マインドフルネスのトレーニングはあくまで集中から意識が逸れる時にそれを元に戻すトレーニングなので、「あ、今俺は先入観持った」という気づきを持てないと意味がないと思いますが、先入観はそもそもそういう自覚すらなさそう)

部下への認識について考えてみよう。マインドレスな状態では、部下の態度や行動に対する思い込みが生まれる。しかしマインドフルネスによって相手の立場を理解すれば、一方的な判断を防ぐことができる。
(中略)
部下への認識がどうであれ、最も重要なことがある。もし部下がマインドフルであれば、「部下は率いられる必要がある」という前提に立って彼らを率いる必要はなくなるということだ。マインドフルな部下たちは、状況が何を必要としているかを見極め、驚くほど優れたパフォーマンスを見せてくれるはずだ。
from 「マインドフル・リーダーシップ」のすすめ

マインドフルネスと禅と瞑想での混合は注意が必要そう

色々な資料に目を通す中で、マインドフルネスと瞑想、マインドフルネスと禅などを同列に語っていたり、マインドフルネスの手法に触れずに効果を書いている資料も多かったです。

しかし最初に見たように、マインドフルネスと禅はその実践方法が異なります。また、瞑想はマインドフルネスや禅の手法の1つであり、「瞑想」と言っても色んなやり方があります。

かつ、「マインドフルネスによって集中しやすい脳をつくる」で触れたように、マインドフルネスの特定のやり方が特定の効果を生むこともあり、一言で「マインドフルネスでxxが向上する」とも言えません。

そんな中で、マインドフルネスと瞑想と禅の区別をはっきりさせずに効果について語っている資料には注意が必要かなと思いました。(マインドフルネスや瞑想を通して...のような言及が多いですが、それだとマインドフルネスの方法じゃなくて他の瞑想の方法でも良いことになり、曖昧さが増します)

また、テーラワーダのマインドフルネスとアメリカ流マインドフルネスでも、慈悲の気持ちを持つのかどうか、など違いが多々あります。一言でマインドフルネスについて説明してあっても、どっちの文脈のことを指しているのか意識しないと危険です。それにより、「マインドフルネスにより慈悲の気持ちも強くなる」というのが正しくも誤りにもなります。

マインドフルな一年を

そういえば小さい頃母親に、「悲しいときや怒った時焦った時には、一度落ち着いて深呼吸をしなさい」と言われました。これも、今思えば立派なマインドフルネスだったのではないでしょうか。

勉強が足りずまだまだ理解できない部分が多いマインドフルネスですが、集中力の向上や平静の維持など、一定自分で納得できることもありました。また、触れなかったけれども興味深い事柄(デフォルト・モード・ネットワークなど)もたくさんあるので、是非みなさんもマインドフルネスについて調べてみてください。

今年は、頭で理解した理論だけではなく実践を通して、マインドフルネスの良し悪しを検討してみたいと思います。

参考にした本

今回は、ネットでの情報以外に、以下の本を読んで参考にしました。全てkindleでも手に入るので、興味があればご覧になってみてください。



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