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24エレクトーン再開 井上晴夫先生のところに習いに行く

高校生になった私は、またT先生のところでエレクトーンを再開した。やめるのはなんか違う、そのうち松田昌さんに習えるかも、その想いだけだった。

往生際の悪い生徒だ。

再開してすぐの頃。T先生から、井上晴夫さんのところに習いに行くか?と提案された。エレクトーンのプレイヤーでアレンジャーだったので、譜面上で名前はよく拝見していたし、T先生とは古くからの知り合いだ、と以前から話には聞いたことがあった。当時、井上先生はヤマハ音楽院(確か川崎にあった専門学校)の偉いさんであった。

T先生も、往生際の悪い生徒である私を持て余していたのだろう。T先生がヤマハから独立して何年も経っていた。もう時効だったのだろうか、昔のツテで紹介してもらえることになった。

マンネリを打破したかった私は、本当は松田昌さんに習いたかったけれど、昌さん紹介するだなんて先生が勢いで言っただけかもしれないし(多分そう)、マンネリを打破できるならなんでもやってみたかった。

まもなく、T先生の教室に井上先生が来るので、その場で弾くことになった。「よく弾けるね」と言われた。当時井上先生はヤマハの目黒センターで教えていたので、毎週水曜日に目黒に通うことになった。

目黒の井上先生のクラスに入るためには、グレードの5級とか4級あたりを持っている必要があった。しかし、私は裏口入学者だったので、当該グレードを持っていなくても入会することができた。

私が通っていた高校は、水曜日はお昼までの授業だった。午後は学校から直接目黒に行き、権太坂をおりた途中の右手にあるケンタッキーフライドチキンでお昼ご飯を食べて時間調整をしてから、さらに歩いてヤマハ目黒センターまで通った。

帰りには、JR目黒駅の駅ビルによってウィンドウショッピングをした。生活圏が少し変わることで、マンネリを打破できたし、大いに気分転換にもなった。

T先生には感謝している。しかし、「やめるのはなんか違う」にまつわる根本的な悩みは解決されないのであった。



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