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17ピアノの思い出 バッハ・ショパン・バルトーク

H先生のスパルタレッスンを受けたのは、小学4年生から6年生の間のわずか3年間だった。

たった3年間だったが、濃い3年間であった。

私は、ブーニンがショパンコンクールで優勝した時のドキュメントをテレビで見てからというもの、ショパンの曲を弾きたくてたまらなかったのだが、H先生は、私にバッハを弾かせたがった。

もちろん後になってからショパンも弾かせてはくれたけれど、最初のうちはバッハが多かった。ショパンのようなロマン派の曲が好みだったので、バロックは面白くなかった。ペダルも踏ませてもらえないし。

レッスンでは、バッハのインベンションを片っぱしから全部暗譜するまで弾いた。バッハは他にも色々ひいた。

しかし、対位法の曲を弾いた経験が、後に平均律を弾いたりクラシックの作曲を勉強したときに大いに役に立った。

その他、バルトークのミクロコスモスの3巻を与えられた。変な曲だなー、と思いながら弾いた。東欧の民謡なんて聞いたことがなかったからだ。「こういう曲はあまり難しくないけど先が読めない曲だから、初見の練習にいいのよ」とH先生が言っていた。確かに、譜読み自体はあまり難しくなかったので、家で最初に弾くときには初見で弾いてみるように練習していた。今思い返すと、ずいぶん従順な生徒だったなあ。

しかし、この聴き慣れない音楽を体験したことや、初見の練習をしたのも、もちろん後に大いに役に立つことになった。今でも、大いに役立っている。

思い返すと、H先生とのレッスンは、後に役立つことばかりであった。最初からピアノ科出身のピアノのの先生に習っていた人には、当たり前のことかもしれない。また、以前の投稿で書いたように、ピアノの指を作って粒を揃えて弾けるようにするために全部フォルテッシモのスタッカートで弾かせる、なんて指導は邪道なのかもしれない。

しかし、H先生が来る前に1年弱習っていたS先生は、国立音大の声楽科出身だった(それも、T先生によると経歴詐称していたというから定かではないが)から、すでに楽譜が読めた私には、ただ単に簡単な曲を弾かせるだけであった。技術的な指導はしてもらった記憶がない。歌が歌えるからといってピアノを弾けるわけではないし、副科でピアノを弾いていたからといって、ピアノの指導ができるわけではない。

きっと、あのまま声楽科出身の先生に習っていたら、いつまで経ってもショパンだのバッハだのバルトークだのは出てこなかったに違いない。

さらに、ずいぶん後になってからのことだが、エレクトーンのT先生も自分の教室でピアノを教えることになる。

その頃T先生は、教室のピアノは何年も調律をしてなくて音が狂っていても気にしていなかったし、「家にピアノはなくてもピアノを習える」と言うようになっていた。これには、私もそうだが他のピアノの先生も大いに疑問を抱いていた。エレクトーンの先生はピアノのことがわからないのだ。同じ鍵盤楽器というだけで、全然違うものなのだから。

だから、このことを思い返すたびに、「ピアノを習うなら、ピアノのことをよく知っているピアノ科出身の先生に習うべし。」という、当たり前のことを実感するのであった。

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