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手を振れたら

日が長くなり、気が付いたら簡単に20時を回ってしまうことが多くなりました。ご予約の無い日の宿では、事務処理や調べ物をしています。この宿でも最近稼働させたサウナについてや、西湖や河口湖などの周辺で行われるイベントについて。今年の春から始めたゲストへのサンキューカードなども空いた時間に作成しています。

扇風機が首を振る度になる軋む音。
雲の動きに合わせて風が吹く音や鳥の軽やかなさえずり。

17時を過ぎると、隣の観光施設(西湖いやしの里根場:町営)がその日の営業を終えるので、いろんな音が聞こえるようになります。その中に、パチパチと何かが燃えるような音が聞こえ始めると、私は決まって窓の外を見てしまう癖があります。

引っ越してきたばかりのころ、この地域ではご近所付き合いが大切であることはわかっていましたが、どうにも苦手な方がいました。夕方になるとパチパチと焚火をするその人は、私が宿の外にいると決まってこちらを見ているのに、会釈をするとスッと顔をそむけるような仕草をするのです。
さっそく躓いたかなぁ。
一度そう思ってしまうと気づかない間に私自身も固くなるもので、できるだけ近づかぬよう、顔を合わせることのないように動く日が続きました。

そうこうしているうちに、私の中に煤だけが溜まっていったのです。
きっとあの人は何か気に入らないことがあるのだろう、気に障ることをしたのだろうか、きっとあちらも私のことを良く思っていないはずだ。
そんなことばかりが胸の内にあったある日、このもやもやしたものを取っ払ってしまいたい衝動に襲われました。何が原因かもわからないうちに、まだかかわりを持っていない人に対して“知らない”を盾に、私は横暴な思考をしていたのです。

知らぬなら知ってしまえばいい。
気になるなら話してみたらよい。
知らないから怖いのだ。

よしよし、いけるぞ。と、
自分の中で決心がついた時だけは強いのだという自負を胸に挨拶をしてみました。きっかけが欲しくて、何度も繰り返して。会釈だけの日もあれば、しっかり目を見た日もありました。

ゲストの朝食を作りに向かったゴールデンウィークの初日、駐車場から宿に向かって歩いていると、見慣れた車が停まっているのが見えました。今日は朝早いんだなと思いながら、毎日挨拶をするという自分でたてたミッション遂行を果たすため、声をかけた時、

「おはよう。今日も早いね。」

初めて挨拶以外の言葉を交わした喜びで、そのあとの返事はあまり意味をなさない言葉しか出なかったのですが、この日が私にとっては忘れられない特別な日になりました。嬉しさのあまり、社長には会った日にすぐ報告しました。

18時半頃、ブゥゥンと聞きなれた音がすると私は決まって窓の外を見ます。
宿の前を通る時だけわざとゆっくり走ってくれるそのおじさんは、車の窓からこちらを見てくれます。お互いの窓越しで手を振りあう事が、お互いの一日の終わりの合図であり、労いの行為でもあります。

その人と手を振れた日は、なぜだか良い一日になる気がするのです。

“あの人”だったおじさん


│余談│

この話を投稿してもいいかは確認済みです。
顔は写さないのでお写真いいですか?と聞くと、「うん、いいよ。」とはにかんでくれました。
最初は怖かったことも話してみました。怖くなんかないよと仰っていましたが、今ならそれが分かります。


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