あきらめるとは「あきらかにみる」こと


あきらめるとはもともと仏教用語で

「あきらかにみる」

ということらしい。

あきらめるとは執着からの解放であり、

気持ちを切り替えること、自分にとって大切でないものを捨て、より大切なものを選ぶ決断のすべ。

自分が置かれた状況を客観的に把握、認識して、
今やっていることや向かっている方向が適切かどうかに気づき、切り替える作業である。

「効率の悪さへの自覚」であり、無駄な努力に終止符を打つこと

がんばること、継続することは手段であって、

それは目的ではない。

あきらめるとは

それまでの自分のやり方と決別し、違うやり方を取り入れること。つまり変化すること。

良い執着は「習慣化」、悪い執着は「しがみつく」

「必要だからやる」という冷静さを保てば、
毎日淡々と努力できる。


完璧でない方が早く動けるし、結果も早く出て、次の課題が見つかりやすく、柔軟に対応できる。

対人関係では、

自分の都合で、相手に対して過剰に期待しすぎている。

自分の当たり前や正義を相手にも求めて、実現させようとするが、それがトラブルを生む。

相手は自分の思い通りに動くべき(はず)だ

という思い込みを捨てて、他人を変えることを諦めること

社会に対して平等・公平を期待することを諦め、自分が直面する問題はすべて自分の責任であると捉えること。


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