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「日大が好きだから」4年 内野豊羽

まず初めに、関東1部リーグ昇格にあたりシーズンを通して応援・サポートして頂いた方々、心より感謝申し上げます。

ご挨拶遅くなりました、チーム1のムードメーカー・町田の狂犬こと4年内野豊羽です。

早い事にもう引退ブログを書く事になりました。
1ヶ月ほど前から何を書こうか、最後に何書いたらかっこいいか、注目を浴びるか考え抜きましたが全く浮かばずやはり自分自身のありのままを最後に綴りたいなと思います。
書きたい事、伝えたい事が多すぎて驚く程まとまりがなく駄文となっていますが最後までお付き合いして頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。

4年前、日本大学体育会サッカー部に入部してから早くも引退を迎える事になりました。
思い返すと本当に沢山の事がありました。
1年生の頃には太鼓の三脚を忘れたり、ミスが重なり1年生全員が連帯坊主にもなりました。(ハセさん思い出をありがとう。)
2年生になるとコロナウイルスが猛威を振るい2年生、3年生と制限も多く当たり前が当たり前ではなくなるとても難しいシーズンを送りました。

そして迎えた4年、人生で1番のシーズンを送る事ができました。

3年時の終わりに足の裏を怪我してしまい、4年の年明けもリハビリスタートとなりました。
東京カップと言われる社会人リーグのカップ戦1週間前に復帰する事ができ、3年ぶりにやるボランチで途中出場ながらゴールを決め徐々にコンディションを戻す事が出来ました。

そして関東リーグが開幕する1ヶ月ほど前に小田島さんから電話を頂き、関東リーグ登録にするか社会人リーグ登録にするかどっちがいい?と話を頂きました。
「自分は置かれた環境で死ぬ気で頑張るので判断は川津監督、小田島さんに任せます。」
そう一言答えました。
話を頂いた時は素直に嬉しかったですが、当時自分自身の中で自信を持って関東登録にして下さい
と言える自信は無かったのだと振り返ると思います。
結果的に登録は社会人リーグ登録になりましたが、日頃の練習はトップチームでやる事になりました。
社会人リーグが開幕し順調に勝ち進んでいく中で、私は教育実習の為チームを離れる事になりました。
その間もチームは全社を勝ち抜いて関東代表決定戦まで進む事が出来ました。決定戦の1週間前に教育実習から戻った私を金さんはベンチに入れて下さり、最後15分チームの為に戦う事が出来ました。結果は敗戦。自分自身の力の無さに腹が立ち、やるせない気持ちからミーティング後誰よりも早く帰ってグラウンドでボールを蹴ったのも今となれば良い思い出でした。
全社の敗戦後、怪我人が続出し今まで鳳馬がキャプテンマークを巻いていましたが怪我をしてしまった為自分がキャプテンマークを巻く事になりました。
自分がキャプテンマークを巻いた試合から、チームとして難しい試合が続き何とか上位リーグに進出したものの、上位リーグ第3戦目の東京海上FC戦で敗退が決まってしまいました。
明らかに自分がキャプテンマークを巻いた時からチームのリズムが狂ったのも理解していたし、練習からその責任から目を背けようとしていたのも当時の自分にはありました。
敗退が決定した後、川津監督に「すみません、力不足でした。」そう一言だけLINEを送りました。
監督からの返信は「目標を失い、チームとしてだらけてしまう可能性もあるので最後まで戦う姿勢を貫きましょう。」そう返ってきた。
この時、正直私自身も目標を見失いこのままサッカー人生終わるのか、悔しいなと少しチームから気持ちも離れていました。この日は両親も観に来てくれていたのですが、ご飯を一緒に食べる気力もなく寮まで車で送ってもらいました。
寮に着き、「もう終わりか。」と思いながらランドリーで洗濯物を回しているとそこに3年の有留と青木駿人が居ました。
見るからに落ち込んでいる私に対して

『まだ関東あるから最後まで戦おうぜ』

そう言葉をかけてくれました。
2人にとって何気ない言葉だったと思いますが、この言葉を聞いて私は部屋で無茶苦茶泣きました。
声出るくらい泣きました。
俺は何してんだよ。恥ずかしくて自分に腹が立ってよく分からない感情から泣きまくりました。

俺はこのチームと何があろうと最後まで戦う。
最後まで後悔しないようにやり切る。
そう強く思えました。

社会人リーグの最終戦
部員やスタッフの働きかけにより最高の雰囲気で最終戦を送る事が出来ました。
結果は本当に悔しい敗戦でしたが、仲間が声を枯らすくらい応援をしてくれて1年生は見えないところで運営してくれて、本当に気持ちの良い90分でした。4年の社会人リーグ登録はこの試合で引退となりました。その分本当に勝ちたかったけど。
試合後に金さんから
「来週から気持ち切り替えて出来るなら最後、関東リーグに登録するから出来るか?」その言葉を頂き「どんな形でもこのチームと最後まで戦い抜きます。」と即決で答えを出さして貰った。

そこからの2週間は本当にあっという間だった。
チームも昇格圏内の2位に付けていて練習の雰囲気も最高に良かった。このチームなら絶対昇格出来る。最後にピッチに立ちたいなそう思って自分自身も毎日トレーニングに励んだ。

引き分け以上で昇格が決まる最終節、明治学院大戦前の練習終わりにメンバー発表があった。
練習前とか前日とかから周りからの声とか聞いてると何となく最後メンバーに入れて貰えるんじゃないか、自分自身もそう思ってた。


しかし最後まで自分の名前が呼ばれなかった。

正直頭が真っ白になった。


自分の考えが甘かった。甘すぎた。

プレイヤーとして本当に悔しかった。



けど何だかすぐにその気持ちは変わった。

それはなぜかすぐに分かった。私の斜め前を見ると3年の阿部夏己が居た。
なつも名前を呼ばれなかった。
なつは怪我してなかなか試合に絡めなくて、けど一切腐る事なく応援になれば誰よりも声を出すしサポートも常に声を出して周りを鼓舞する。

こいつなんて1年間チームの為にサポートしてくれてるのに1ヶ月前に登録して貰った自分がなに落ち込んでんだよ。そう思った。

「どんな形でも最後までこのチームと戦い抜く」

この言葉をまた思い出して絶対チームの力になってやるそう誓った。

なんでこんなこと思えるんだろ。
自分が試合に出れないのに、悔しいのになんでだろう。今までの自分ならもうここで気持ちは切れてたと思う。
けど今回は違う。絶対最後までやる。昇格する。
チームの為に死ぬ気でやる。そう思えた。

それはなんでか




『日大サッカー部が心から好きだから』




これに尽きると思う。


後輩は生意気で飯連れてってとかうるさい奴多いけど、誰1人残らず本当に可愛いし試合になれば頼りになるし、いっつもくだらない事で笑ってくれるし豊羽くん豊羽くん言ってニコニコして周り囲んでくれるし本当可愛いし大好き。

先輩にはサッカーめちゃくちゃ上手くてコンサと湘南でバリバリ試合出てる人も居れば、毎日お風呂一緒に入ってくれたたぬき似のキャプテンもいた。ミニゲーム中でも耳元で削るって言ってくる栃木のサッカー選手、今まで見てきた中で1番変わってる甲府のGK、今まで見てきた中で1番熱い男だけど1番頭狂ってる学校ではめちゃくちゃ隠キャな熱男。

スタッフにはたくさん突かれてきたけど、その分本当によく見てくれてるスタッフ。
色々な言葉をかけてもらった。その度心を動かされたしもっとやらなきゃ。そう思わしてくれた。

本当にこのメンバーが居てこの大学が大好きだから最後まで戦おうと思えた。
心から日大が好きだから。



最終的に18年ぶりに1部昇格もした。


最高だった。


みんなが笑顔で喜んでるのが何より嬉しかった。

いままでの人生で1番熱い2週間だったのだと思う。

最後までやり切った。

できることは全部した。


あの時、有留と駿人の言葉がなかったらサッカーに悔いを残して引退してたと思う。

本当にありがとう。





そして最後にこの場を借りて多くの人に感謝を述べさせて下さい。

川津監督へ
まず1つ謝らないといけない事があります。
明学戦のメンバー発表後に監督から「入れてあげられなくて本当にごめん」と言われました。
謝らないといけないのは自分の方です。
なかなかチームの力になれず、思い通りの結果を出せず今年はゴール決めたら監督に抱きつきに行こうと決めてたのにゴールも決められず感謝をなかなか伝えられないまま終わってしまいました。
本当にすみません。
4年前町田ゼルビアから自分を取って下さって本当にありがとうございます。
自分にとっても川津さんはお父さんみたいな存在で、自分が上手くいかない時とか悩んでいる時に川津さんに何も言ってもないのに「豊羽」と呼んでくれて話してくれてあの時間は本当に特別で本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。


同期へ
みんな本当にありがとう。
本当にこの代で良かったって心から思ってます。
梶谷という本当に変わり者のキャプテンについてきてカジも大変なこと多かったと思うけど、最高のキャプテンでした。
ピッチ外ではくだらない話でめちゃくちゃ笑ってバカな事沢山して、けどピッチに入ると目の色変えて時にはぶつかり合って喧嘩するくらい熱くなれるみんなが自分にとって何よりも誇りでした。
勝手に部屋入って驚かしてくる奴も居れば、ヤクルト1000中毒の奴もいる。ワンピース観に行こう詐欺してくる奴も居る。
挙げたら本当にキリがないけど、1日1日が本当に充実して起きた瞬間から寝る瞬間まで楽しい思いを出来ていたのは、本当にみんなのおかげだと思って心から本当にありがとう。
書き切れないので思いは学年会の時にでも打ち明けます。





後輩へ
いつもふざけてるうるさい先輩をここまでありがとうございました。
みんな本当にめちゃくちゃ可愛いし、みんなと話す時間が大好きだった。
充実した4年間を送れたのもみんなのおかげだと思ってます。
プレー面ではあんまり参考にする事なかったと思うけど、気持ちとかサッカーに対する姿勢は少しは示せたのかなと思います。
来年1部でもっと厳しい戦いが待ってると思うけどみんななら大丈夫だと思うから何より楽しんで欲しいなと思います。
猪野毛と深井には期待してるぞ!
お前らもっとやらなきゃダメだぞ。
お前らはできる奴って知ってるからもっと1日1日魂かけてやれよ。そしたら絶対チャンス来るから。
俺には出来なかったけど、結果で竹さんとかゼルビア関係の方々を喜ばせて欲しいなと思う。
頑張れ!



サッカーへ
17年間本当にありがとうございました。
幼稚園の時に幼馴染がやってるからという理由で始めたけど、いつの間にか何よりも大切なものになってました。
人生で1番嬉しい瞬間も辛い瞬間も全部サッカーが与えてくれたものでした。
サッカーが無かったら、そんな事考えられません。
好きなチョコを控えるのも、20歳過ぎても22時には布団に入るのも寝る前にヤクルト1000飲むのも全部サッカーの為であり自分の為でした。
オフとかで沢山遊ぶけど、1番楽しい遊びはみんなでボールを蹴るサッカーでした。これに勝るものはありません。
これまでの人生サッカーがあったからこんなに熱い人生を歩んで来れました。
ありがとうございました。



そして最後に1番感謝している家族へ
感謝を表すのはなんか照れくさいけど伝えさせて貰います。
まず22年間ここまで育ててくれてありがとうございます!
大学に入って初めての寮生活になってから家族のありがたみや凄さをひしひしと感じました。
母ちゃんはなんか天然でちょっと抜けてるところも多いけど、あなたの優しさをたくさんに受けて育ったから少しは人に優しい人間になれたのだと思います。
寮に食料とか届けてくれた帰りにいつもぎゅーを求めてくるのは本当に恥ずかしくて1回も抱きついた事は無かったけど、最終節に胸がいっぱいになって抱きついた時は優しさと温もりを感じてこの人がお母さんで本当によかったなって思いました。
姉ちゃんもこんなうるさくて買って欲しいものある時にしかLINEしない最低な弟だけど、実家帰って姉ちゃん居るとめちゃくちゃ嬉しかった。
小さい時から力で制圧されて1度も反抗出来なかった最恐の姉だけどなんだかんだ1番笑ってくれるのも知ってます。ありがとう。
そしていつも寡黙なお父さん。
いつもめちゃくちゃ話すってわけでは無いけど、
日大のFacebookとか常にチェックして応援してくれてたの知ってます。
LINEでがんばれ👍って一言送ってくれるだけでもっと頑張ろうって思わせてくれるし、1番喜ばせたいなって思える人でした。
サッカー選手という夢はもう目指さないけど、次の夢は父のような男になると決めました。
大切な人を喜ばせる為に死ぬ気で働いて、苦しい事あっても顔に出さずに黙々と取り組む姿勢は本当に尊敬してます。
いままで迷惑かけてばっかりだったけど、これからは少しずつでも恩返しして行きます。
社会人として絶対負けないからいつまでも元気で居てください。

この家族に生まれて本当に幸せです。
ありがとう。



これが内野豊羽の全てです。
本当に最高な人間に囲まれて育ってきました。
次は誰かの誇りになれるように頑張ります。

書きたいことをただひたすらに綴ったので何度読み返しても酷い文章ですが、熱量が伝わればいいなと思います。これが私の4年間です。
長い間お付き合いして頂きありがとうございました。

来年度日本大学サッカー部は関東1部リーグで戦います。
今までより本当に厳しい戦いが続くと思います。
日本大学への変わらぬ熱い応援、サポート宜しくお願いします!

日大サッカー部が大好きです!



内野豊羽

内野 豊羽(うちの とわ)
〈経歴〉
相模台少年サッカークラブ→FC町田ゼルビアjrユース→ FC町田ゼルビアユース→日本大学

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