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歳上のお友達ができた

仕事が終わって、いつものように「お腹空いた〜」「ね、空いたね〜」の会話が繰り広げられる。

「今日外?中?」その目からご飯食べよ?の色を感じとった。

「今日は外ですかね〜」わざとらしく誘いに乗ってみる。
人の表情から感情を読み取れるタイプで良かったとつくづく思う。


“教習所の授業がひとつ後回しになるな”なんて思いながらも、人と食べるご飯に心が躍る。


「じゃんけんで右か左か決めよ!進む方!」
「じゃんけんぽん!」

パーとチョキ。私の勝ち。左へ進むことが決まった。

左になんかあったっけなんて思うが、せっかくのルンルンとした空気を壊したくはないので大人しく左へ進む。


「何食べたい〜?」
「カレーかラーメンですかね〜」

「かえちゃんはカレー好きなのね」
この人のこういうとこが好きだ。と思う。

前、私が振る舞ったご飯がカレーだっただけで、他ではあまり食べてないカレー。振る舞うには味の責任がルー次第だから作りやすい、という理由だけで作ったカレー。

そりゃ好きだけれど、パッと好きなのねと言われるほどは食べていないし、昨日の夜、ゲストが食べていたから食べたくなっただけの話。

だけど、この人のこの単調さが心地よい。


ラーメンは無視なんですね、なんて思いながら曖昧に誤魔化す。


結局入ったのは洋食屋さんで、カレーもラーメンもない。
やっぱり可愛い人だ、と思う。微笑ましい。

この居心地の良さは彼女が歳上だからなのかも知れない。彼女の器の広さに甘えているのかも知れない。

私が伸び伸びとしている分、彼女はどこかで無理をしているのかも知れない。
それは私には分からないことだけれど、そうやって勝手に考え始めて勝手に遠慮するのは違う。普段はそこに自信が持てないけれど、今、遠慮せずにいようと決められるのは、やっぱり彼女の器の大きさを私のセンサーが感じ取っているからなのだろう。

割といい歳上なのにも関わらず、友達だと言ってくれる。かえちゃんと一緒にいたいと言ってくれる。

年下からは尊敬しているからこそ、そう簡単に友達だとは言えないけれど、それが気を許していい合図だ、ということが分かる程度の察知能力は身に付けている。

尊敬している、と言うと、嘘だ〜と照れられてしまうけれど、何度でも伝えたい。
私は、彼女たちがいるから帰る場所があった。彼女たちのおかげで、長らくぶりに心から安心して生活している。
彼女がいるから、ひとまずの目標を持てて前を向けた。
彼女がいる日には外に出かけずただ同じ空間にいることで安心感を得ている。

この面倒くさいツンデレがこんなにも正直にデレている意味に気付いてくれているだろうか。


お別れは決まっているけれど、それが友情の終わりではない。私たちの金輪際の別れではない。ただ2人ともお互いのそれぞれの道で前を向いて歩いて行くだけのこと。
寂しいけれど、彼女のこれからを心から応援しているし、私も胸を張って自分の道を真っ直ぐ捉えようと思う。

大人ぶって前を歩くのではなく、すっと隣に寄り添ってくれた彼女をやっぱり尊敬してしまうけれど、彼女がくれたその優しさは、私のお守りになってこれからをいつまでも支えてくれる気がする。

彼女と食べたちょっと高めのランチ。
それを奢らない彼女の気遣い。
私の隣に寄り添うための、そのわずかな行動たちがどこまでも嬉しい。
たくさん、ちょっとずつの思い出を貯めて、私だけのお守りを作っていこう。

こんなに褒めてしまったことを知ったら、彼女はまた嘘だって言うだろうから、高いなぁって思った気持ちと一緒に私の心にしまっておこう。

だからまた、ご飯、食べいきましょうね。

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