8月下旬の心境。雑記
どうやら夏には弱いらしい。
自覚したのはここ2年くらいの話。
・・・というより、コロナ禍になってから生活環境が変わり、何やら頭の中が爆発しそうだったのでnoteにツラツラと気持ちを吐き出していたので、ふと振り返ると何やら楽しくなさそうな気配を過去の自分が醸し出している。
今年も例外なく、そんな夏になった。
今はどんな状況かと言えば、身体は割と動いている。
仕事もしているし、食事も凝ったことは何一つしていないけど適当に食べている。
家事も最低限やっている。
ただ、とにかく心が動かない。
私の心、一体どこに置いてきたのだ。
マイナスに落ち込んで、自分はダメだとか、誰と比べてこうだ、とも思わない。
何かをしようという意欲はないけど。
不安で不安で仕方がない、辛い、悲しい、とかではない。とにかく”無”。
マイナスに振れず、プラスにも振れず、かと言って安定したゼロ地点という感じでもない。
心が、感情が、動かない。
毎日毎日、ずーっと真顔で、表情がほとんど動かない。ただ毎日が過ぎる。
休みの日は、ずーっと横になったまま。
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垂れ流されてくるニュースを目にする、耳にする。
政治、宗教、コロナ、ワクチン、戦争。
日々起こる事件や事故。
これって、全部人が起こしていること。
災害だけは違うけれど、やはり間接的には人間が地球を傷つけてきてしまったことも一つの要因かもしれない。
なんか、今取り沙汰されていること、全部どうでもよさそうなことに思えて。しょうもなく思えて。
自分が目にした、耳にした情報は複合的に絡み合っているので、何か特定のことを指すわけではないし、非常に偏りがあるけれど。
だけど、何かそこに引っ掛かりがあるというのは、自分自身がそこに無意識にアンテナを張っているからであって、余計に可視化されやすい。
何が本当か、そうでないかを争うこと。
互いの正義をぶつけ合って、分かり合えないことに腹を立てて、裏で各々庇いあって。
「あんなの放っておいて、優しい人たちとだけ関わっていこうよ」って。
臭いものに蓋をする。はたから見ると、すごいどっちもどっちだけど、当事者だと気付かない。
この蓋をされた人たち、「あんなの放っておいて~」の”あんなの”
世間から即排除される、いわゆる加害者。
もちろん、他人を傷つけることが許されないのは分かっている。
そんなことは百も承知。
だけど。
この人たちの何か裏にある痛みが、過去が。
放っておかれる、排除される、異端とされる世の中が。
全く関わりのない他人たちなのに、何故か分からないけど。
見えない加害者の痛みに、苦しみに、何か食らってしまうものがある。
今日、耳にしたニュースで言えば、まだ10代半ばにも関わらず、死刑になりたいだなんて。
どんな環境で生きてきたのだろう。その若さでそこまで追い詰められる環境とはどんなものだったのだろう。
加害者側に立ちたい、とかそういうことではなくて。
見えない苦しみが、何か引っ掛かる。
今、なぜ自分の心がどこかに行ったのか。
理由は分からないけど、自覚はないけど、見えない苦しみがあるのだろうか。
やっぱり当事者だと気付かない。
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