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「ドッジボール=人間狩猟ゲーム」というメッセージを考える

『不親切教師のススメ』の著者である公立小学校の松尾英明先生が最近ネットで様々な論を展開しています。

著書のタイトルからすると、「子どもに不親切にしなさい」と言っているわけではなく、今まで常識だと思っていたことを見直そうという発想から書かれた内容になっています。
その一環として、ドッジボールというものを見直した論をネットで展開しています。

「ドッジボール、やろう」と言うと子どもたちは大喜びです。
しかし、この大喜びしている子どもの陰で嫌がっている子どもに着目することは大事だと思います。
教員はできない子のことをイメージしづらいことはよくあることです。そのため、ドッジボールができることに「やったあ」と嬉々と反応する子どもたちを優先しがちになってしまいます。
その意味で、いろいろな立場の子どものことを慮る教員の姿勢は大事にしたいところです。

しかし、ドッジボールは「人間狩猟ゲームで必死に逃げ回る人間を的にするからいけない」という論を展開することは少し乱暴ではないかと考えます。

例えば、小学生のドッジボールの大会が全国規模で開催されています。ドッジボールを頑張っている小学生に、ドッジボール=人間狩猟ゲームというメッセージを与えてもいいのでしょうか。
そのような意図は無いでしょうが、ネットで「必死に逃げ回る人間を的にするドッジボールは「人間狩猟ゲーム=弱肉強食思想」の教育だと断言できる理由  「他人に思い切りボールをぶつける」がいいわけがない」というような見出しが出されれば、「自分たちがやっているドッジボールはいけないことなんだ」と子ども自身が受け取りはしないでしょうか。

せっかく子どもたちのことを思い、ドッジボールという競技を進めている方々に失礼はないのでしょうか。

このように考えることは、ドッジボールが嫌いだと思っている子どものことを考えることと何ら変わりはないように思います。
いろいろな立場の子ども、そして、大人のことを考えることは大事な視点だと考えます。

校長としての懸念は、こうした記事を出して多くの人が目にすることにより、学校内外で様々な不利な状況が生まれないかということです。

例えば、ドッジボールをしている校内の子どもが「ドッジボールはダメなゲームなんだよ!」と言い出すことで一悶着起きないでしょうか。また、地元のドッジボール協会の方が「ドッジボールを否定するのか」というクレームが入ることも考えられます。

この記事について、校長が知っていれば予めこのようなことについて対応が考えられますが、そうでないと…。

この記事を後から知ったとすると、校長としては様々な局面にどのように対応するか考えなければなりません。

例えば、本文中に、学習指導要領からドッジボールが無くなったとありますが、低学年のところには「相手コートにボールを投げ入れるゲーム」と例示があり、これはドッジボールという競技と読み取ることもできます。校内の先生から「ドッジボールは体育でやってはいけないのですか?」と質問があったら、このように答えて、ドッジボールをすることを否定することは校長としては避けなければいけないと考えます。

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