十三まいり@嵐山 法輪寺
1ヶ月ぶりの投稿です。
仕事が繁忙期な年度末に加え、娘の小学校卒業と中学校入学で、よくぞここまで辿り着きました(自画自賛)。
その間に、noteに書き残したいことが溢れ出てきました。
新生活が日常になるまでしばらくはかかるでしょうが、
noteに向き合える日常の時間。それは内省の時間であり、わたしにとっては必要な時間なのだと改めて思いました。
☆☆☆
十三まいりをご存じでしょうか。
どうやら全国的な習慣ではないようですね。
数え年十三歳に成長した男女が儀式として、京都嵐山の中腹にある法輪寺を参詣するのが十三まいりです。
十三歳の厄難を払い、智恵を授けてもらうように虚空蔵菩薩に祈願をします。
小学校を卒業し、中学入学までに参詣するのが一般的です。
夫もわたしも、その頃に十三まいりをしました。
諸々の都合で、中学校の入学式前日になった十三まいり。
天気も良く、桜も満開ですばらしかった!
写真を撮られることを尽く拒否する娘。桜との共演はならずで無念なり。
でも、そこは嵐山。桜満開の時には近づいてはいけない場所でした。
なんせ、インバウンドだから。
娘よ、生きる智恵は授かったかい?
本当なら渡月橋を歩いて渡りきるまでは振り向かないのですが、この日は諦めました。渡月橋は人、人、人でしたから。
草履の娘が歩けるはずもなく、車で渡りましたとさ。
えげつない程に混雑していた嵐山でしたけど、やっぱり風情はありますね。中腹の所々に桜のある嵐山と桂川。そして渡月橋。
世界中のひとを惹きつけていました。
☆☆☆
ええ、娘は思春期真っただ中です。
入学式で「知らん人ばかりでクラスが嫌」と言っていたかと思いきや、次の日には「小学校で嫌やった人ばかり同じのクラスで嫌」と、いったいどっちやねん…
言っていることが支離滅裂で、その時の感情に支配され、口に出る言葉の8割5分はネガティブワード。
聞いている方も疲れます。
亡くなられる前に『暮らしの手帳』で連載されていた児童精神科医の佐々木正美氏のことばが、思春期の親の指針となりそうです。
ここをゼロ地点として、迷ったら戻ってくるようにします。
言う・諭すを控えて俯瞰の視点を意識する。
娘の感情にわたしが溺れない。
そして、仕事では何か一つ期待されることにチャレンジする。
2024年度がスタートしました。
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