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生きるための自殺論③ 善良な悪魔、という存在

生きるための自殺論③ 善良な悪魔、という存在

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 前回では、自分自身の中にある、無限に自己否定を行おうとする声と対峙することを僕が決めたというところまで書いたが、今回ではその声とはいったいどういう存在なのか、ということについて書いていこうと思う。
 前回の記事でも書いたが、自己否定の声というのは隙さえあれば自分の主張を延々と繰り広げてくる。それはとんでもない長広舌で、絶対に噛まないし、しかも的確でいちばん痛いところを確実に刺してくる。いわば自分自身に対する最大のアンチのような存在だ。ときどきSNSなどで有名人のアンチが粘着質にコメントなどで絡んでいるのを見ることがあるが、そういった存在が朝から晩まで自分の心の中にいるような感じだ。この輩のような存在を野放しにしておいては心の健康が保てるはずがない。下手をすればこの存在の言葉にやられて死んでしまう。だから逆に言うと、この存在との折り合いをつけるということが、僕が生きてゆくためには必要な方法であり、これをやるしかない。そう決心したのは、たしか自殺未遂をしてから2ヶ月後くらいのことだったと思う。
 この存在と闘うにあたって、僕はまずその言葉というのをいちどちゃんと聴いて見ることにした。敵と闘うのならばまずは敵についてよく知らなければならない。だからまず必要なのは情報収集だった。この存在は、本当はいったい何を僕に向かって言っていて、いったいどういう存在なのだろう。それを知りたかった。
 朝、目を覚ますと僕はさっそくその調査に取り掛かった。前日は身体がひどく重くて入浴することができなかった僕は、まず起きて最初にお風呂に入ろうと思った。すると、その存在が僕に言った。朝風呂なんて優雅だね。職場の皆んなはいま一生懸命働いているというのに。僕はその言葉にそうだね、とだけ言って、蛇口を捻ってシャワーを出し、服を脱ぐ。その頃にはもう多少の言葉ぐらいでは簡単に打ちのめされないようになっていたので、もちろんそれでもダメージはあるが、軽く受け流して行動をすることに決めていた。でもその存在は言葉を吐き出すことをやめなかった。存在の言い振りはだいたいこんな具合だ。
存在:そもそもどうして昨日風呂に入らなかったの、不潔だよ。そういえば歯も磨いてないんじゃない。どうして一日何もすることがないのに風呂に入ることも歯も磨くこともできなかったの。というか浴室に入る前にシャワーを出すのやめたら? 水道代がもったいないし、だらしないよ。脱いだ服はもっとちゃんと洗濯カゴに入れなよ。ああ洗濯物がもうたくさん溜まっているじゃないか。だらしないなあ。本当に君ってダメ人間だよね。というかそのパンツはもうゴムが弱くなっているから捨てて新しいのを買った方がいいよ。どうしてそういうことができないかなあ。普通の人はみんなそうしているよ。そんなのは君だけだよ。たぶん世界で一番だらしないんじゃないかな。でも昔からそうだからもう治らないね。どうしようもない。もっと髪をちゃんと濡らしてからシャンプーした方がいいよ。いい加減だな。シャンプーを使いすぎだよ。頭が少しかゆいのは昨日君がお風呂にちゃんと入らなかったからだ。君がだらしないからそんなことになってるんだよ。そんなふうにして他のことも後回しにしてしまうから何もかも手遅れになって大きな失敗をしてしまうんだよね、君って。本当に適当でいい加減で、どうしようもない人間だよね。排水溝に髪の毛が溜まっているのも掃除できていないし、そこのドアの下の辺りにも汚れがある。もしかしてカビているんじゃない。信じられない。普通の人間は浴室にカビがあるなんてあり得ないよ。そんなこともできないの。君って本当にダメな人間だな。そんな人間ならあのとき死んだ方がよかったのかもしれない。
 存在のその声を聴きながら僕はもうしんどくなっているが、それでもなんとか入浴を済ませる。それまではなんとなく聞かないようにしていたので受け流せていた部分もあったのだろうが、ちゃんと聞いてみると、この声はなんてうるさいんだろう、と僕は思った。それにちょっと僕の深いところに刺さったと思うやいなや、そこに連続で嫌な言葉をぶつけてくる。本当のところ、もう僕は気力が失われていて髪も乾かさずにいますぐベッドに倒れ込んでしまいたい気分だったが、なんとかそれに耐えて今度はその存在が言うことを従うことにしてみた。
 浴室を出ると、ああ洗濯カゴに洗濯物がいっぱいだ、と存在は言うので僕はそれに従って即座に洗濯物を洗濯機に入れてボタンを押した。すると存在は、でも君は洗濯をしても干さないからね、と言う。次に僕がドライヤーで髪を乾かしていると、存在は今日も誰にも会わないのにどうしてそんなにちゃんと髪を乾かす必要があるんだよ、と言ってくるので、僕は即座にドライヤーを止める。しかしそうすると今度は、存在がちゃんと髪も乾かさないなんてだらしない、と言うので僕はまたドライヤーをつけて髪を乾かす。髪を乾かし終えると、特にすることもなかったので僕はなんとなくテレビをつけてみるが、そうすると存在は、そんなことばかりしていないで部屋の掃除でもすればいいのに、とちくちく言ってくるので、僕はテレビを消して部屋の掃除をすることにした。ゴミを捨てて、掃除機をかけて、シンクを掃除して、冷蔵庫を整理した。それでもまだ存在はベランダや浴室、トイレ、押し入れ、本棚、ベッドの下がまだだ、と言うので僕はその言葉にはいはいと従ってすべて掃除をおこなった。
 それはだから結果として、丸一日をかけた大掃除となり、全てを終えたとき僕のアパートの部屋はまるで引っ越したばかりのときのようにピカピカになっていた。僕の中には掃除をやり終えたという達成感があり、これでもう存在は僕に何も言えないだろうと思った。しかしそれでも存在は止まることはなかった。カーテンを洗濯した方が良い、布団や毛布もずいぶん長く洗濯していないよね。衣装ケースの中の服がちゃんとたためていない。そのような要求をまだしてくるのだった。
 僕はここまでやってみて一つの気づきを得ることができた。この存在が言っていることは実は基本的に正しいことなのだ。ただ人間の体力や気力を無視しているというだけで。だからこそときに深く刺さってくる。それを聞いた自分もまた、この存在の言葉に納得してしまう部分があるからだ。でも全てが正しいというわけでもない。ろくでなし、とか、死んだ方が良い、というような言葉は明らかに単純な罵倒だ。だからこそそれを受け取るこちらにとっては難しさがあるのかもしれない。普段は正しいことばかりを言っている相手が言う罵倒には重たい説得力を感じてしまうものだから、罵倒でさえも正しい真っ当な意見のようについつい受け取ってしまうのかもしれない。きっとこの存在の言うことに従順に従うことができれば、かなり善良で真面目な人間となることができるようになるだろう、と僕は思った。いや、というか、僕はむしろこれまでこの存在の言葉にあまりに従順でありすぎたのだった。
 僕はこの存在のことを善良な悪魔、というふうに名付けることにした。この存在は、その宿り主を強く傷つけようとするという意味においては醜悪な悪魔だが、ただ一方で正しいことを言おうとしているという意味においては善良だからだ。悪気がないというところがポイントだという気がした。それでも僕にとって悪魔であることに違いはないので、悪魔としたがなぜか善良というふうに留保してあげないとなんというか申し訳ないというような忍びなさがあったのだった。もしもこの善良な悪魔に忠誠を誓うのなら、きっとそのひとは周りの人間から真面目で善良な人間として評価されるだろう。だが、結局のところその悪魔のあまりに激しい痛罵によって、きっといずれは心を病んでしまう。そういう存在だと僕は認識することにした。
 この善良な悪魔の厄介なところは、これに従えば善い人間であると感じられるという点である。それは自分にとってはもちろんそうだし、周囲からの評価でも同様だ。これはあくまで僕の予想だが、おそらくこの善良な悪魔は全ての人の心に住まっていて、だからひとは多かれ少なかれ他人のことを、この善良な悪魔への従順度によって評価してしまうところがあるのだと思う。我慢強いとか真面目とか丁寧とかマメであるとか、そういったものはたいてい善良の悪魔が用意した指標だと僕は考えている。みんな本当のところは自分の中の善良な悪魔に従うことが嫌いである。そうするのは面倒だし、きりがないからだ。だからこそ、これを自分より徹底しているひとのことを凄いと感じ、反対に従順でない人に対して批判的になるのだろう。いや、もしかすると、実のところこの善良な悪魔が他人のことさえ評価しているのかもしれない。もちろん僕もそうだったが、たいていのひとは自分自身と善良な悪魔という二つの存在をほとんど区別していない。自分のある側面とまた別の側面にすぎない、というふうになっているのだ。たしかに実際それはそうなのだが、あまりにも善良な悪魔と自分が合体してしまうといろんな面倒なことが起こってしまう。それは例えば僕のように自分自身を無限に責め立てる言葉をひたすら真に受けてしまったり、あるいは、善良な悪魔に従順でないひとに対して過剰に苛立ってしまったり、というふうなことだ。だから僕の考えでは、善良な悪魔と自分自身を別個のものとして認識し、ケースバイケースでその言葉が正しいと認識するかどうかを自分の方で判断する必要があると思うのだが、この方法については次回の記事のなかで考えていこうと思っている。
 ここからは余談だが、自殺未遂の後、僕は心理士をしている友人とだいたい週に一回のペースで、定期的に電話で話しをするようになった。彼女は僕が仕事を休職したことを知って、心配して連絡をしてきてくれたのだった。最初に彼女と電話した頃の僕はひどいありさまだったと思う。自分が無価値な人間だととにかく思い込んでいて、にもかかわらず、相手にはそんなことは悟られないよう全然何でもないですよ、というふうに振る舞おうとしていた。でもそれはどうやらバレていたようだった。というのも、未遂から3ヶ月後ぐらいにした電話で声の調子が少し明るくなってきましたね、と言われたからだった。それは僕にとってもうとても恥ずかしいことだったが、逆にそれを彼女が言ってくれたおかげで救われたような気持ちにもなった。もはや全部バレてしまうのなら、いちいち弱い自分自身を隠そうとする必要はないと思えたからだ。
 その友人とついこの前電話で話していたとき、この善良な悪魔についての話しをすると彼女は、それはいわゆる超自我というものかもしれませんね、と言っていた。浅学な僕は恥ずかしながらその言葉は知っていたがちゃんと理解できていなかった。彼女によると精神分析学においては、ひとは心の中に自我に対して超自我というものを持っているものと考えられているらしい。素人の受け売りなので話半分で聞いてほしいが、その超自我は自我というすなわち自分自身に対する教師のような役割として存在しているらしく、ひとが悪いことをしようとするとそれを止め、善いことをするよう促す機能があるらしい。そしてその超自我は幼少期の親との関係や教育などによってかたちづくられる部分が大きいという。なるほど、とその話を聞いて僕はとても感銘を受けた。その説明によってたくさんのことが繋がったような感覚だった。僕はこの記事のシリーズの後半で、親という存在についても書こうと思っているが、そのことの理論的な後押しを受けたような気がした。でもだからと言って心理学や精神分析の本を読んでみようとは思わなかった。というのも、僕は自分が知りたいと思うことについて自分で考えてみる前に本を読むとたいてい失敗してしまうからだ。実は僕は大学院でアメリカ文学について学んでいたことがあるのだが、その経験のために僕はたぶん書物というものを過大評価しすぎてしまうきらいがあるのだと思う。理論や知識が先行してしまうと、それに僕は囚われてしまって、自分の頭で考えることができなくなってしまうのだ。自分が読んだ本と違う考えが頭の中に出てくると、それを無意識のうちに頭から掃き出してしまう。そうすると最後には知識ばかりが残ったオタクになってしまうのだった。〇〇人の何とかという学者が〇〇〇〇年に〜〜という仮説を発表した、という知識だけをいくら集めても仕方がない、と僕は思っている。知識はもちろん重要だが、知識だけでは意味がない。だから僕の順番としては、まず自分の頭で考えて、それからその自分が考えた事柄について書いた本を読む、という順序だ。そうすると自分と同じことを言っている人がいたり、違うことを言ったりしている人を見つけることができて、より吸収しやすい。また少し話が逸れてしまったが、ともかく僕がここで言いたいのは、ここに書いてあることは基本的に僕が自分の体験をもとに自分の頭で考えたことだということだ。だから普通の考えとは大きくずれてしまっていたり、もしかすると頭がおかしいと思えるような変なことを書いてしまっていたりするかもしれない。でも、とにかくこれは僕という個人から確かに発せらたものだ。そして個人という人間を深く掘っていくと、自ずと普遍的な部分に突き当たるものだ、とも僕は思っている。何度も言うようだが、僕は心理における専門家ではない。だからここで書いていることは心理学の専門家からすると頓珍漢に思えるものかもしれない。でも仮に自殺学というものがあるとするならば、僕はその道のプロとまでは言わなくても、それなりにその道に通じている人間だとは思っている。なので、もし連載記事の長い文章にここまで付き合ってくれた人がいるのならば、この文章は確かに僕という人間から僕自身が頑張って掘り出してきた他にどこにもない掘り出し物だと思って、連載の最後までぜひ付き合ってほしいと思う。

 ということで次回ではこの超自我こと善良の悪魔とどのように向き合ってゆくかということについて書いていこうと思う。ほとんどの人にとっては、次回まで読めば自己否定の悪魔との闘いへの対処法はもう十分だと思うので、ここまで読んでくれた方はせめてそこまで読んでほしいと思う。それから、この二日間で僕はなんと2万字(!)も書いてしまったので、明日は書くことを丸ごとお休みしようと思う。なので次回の公開は明後日以降になります。

 また例によって、僕はあいも変わらず貧困状態なので可能な方は援助をしてくださるととても助かります。ちなみに「ここから先は〜」の部分には何も書いてありません。全ての記事は全文無料です。よろしくお願いします。

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