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生きるための自殺論⑥ 自殺から解放されたらやること、可変性という希望

生きるための自殺論⑥ 自殺から解放されたらやること、可変性という希望

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 もしあなたにとって自殺の危機が去ったのなら、次にあなたがやるべきは自分の仕事をすることだ。仕事といっても会社でする仕事ではない。それは労働であって、僕がいま言っているのは自分の手で自分の作りたいものを作るという、ハンナ・アレントが言うところのような仕事だ。


 「仕事とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。人間存在は、種の永遠に続く生命循環に盲目的に付き従うところにはないし、人間が死すべき存在だという事実は、種の生命循環が永遠だということによって慰められるものでもない。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。その物の世界の境界線の内部で、それぞれ個々の生命は安住の地を見出すのであるが、他方、この世界そのものはそれら個々の生命を超えて永続するようにできている。そこで仕事の人間的条件は世界性(ワールドリネス)である。」

ハンナ・アレント『人間の条件』


 つまり、いずれ皆死んでしまう人間という生き物は、せめて作品という永続的な人工物を作ることによって安心することができる、ということをアレントは言いたいのだと思うが、この文章には若干の嫌味が入っているような感じがするのが面白い。アレントはここから、仕事にとどまらず公共空間に関わっていくという「活動」を人間はすべきだ、というふうに自説を展開してゆくのだが、自分の生命を維持することで精一杯の僕たちは、とりあえず安心できる人工的世界にとどまるという段階で十分だと思う。
 ところで、なぜ何かを作るという「仕事」をした方が良いのかというと、自分は変わってしまえる存在である、つまり可変的な存在である、ということを知るためだ。何かを継続的に行っていることの効能として、絶対的に言えることは、とにかく上手くなるということだ。そのスピードは人によってまちまちだから、上達が早い人もいれば遅い人もいるが、まず言えることは絶対に上手くなる。これだけは間違いないことで、これが人間の心には良いことだと僕は思っている。なぜかと言うと、希死観念に深く陥ると、ひとはもう自分はどうしようもないと思ってしまい、もういまの悪い状態から元の状態に戻ることなどできない、と考えてしまいがちだからだ。客観的に見ればそんなことはないのだが、本人の頭の中では、これから自分が良い方に向かってゆくことなどない、もうこれは決定的で不可逆な状態だと錯覚してしまう。たとえて言うなら、いま自分の頭の上で長い雨が降っているから今後も死ぬまでずっと雨が降り続けるに違いない、と考えてしまっているような具合だ。でも誰でも知っているようにそんなことはない。『百年の孤独』のマコンドでも四年十一ヶ月と二日の後に雨は止んだのだ。雨はいずれ必ず降り止む。なぜなら天気というのは変わってしまうものだからだ。
 それとまったく同様にひとというものもまた変わってしまえるものだ。子どものころ、あなたは死にたいと思ってなかったがいまは死にたいと思っているように。僕も半年前は死にたいと思っていたが、今はあまりそう思うことはないというように。


 このツイートは僕がこのアカウントでした最初の投稿だ。ある日外へ出てみると秋の透明感のある光が街の風景に満ちているのを見て、僕は強く心を揺さぶられたのだった。人の思惑などとは全く関係なく季節は少しずつすこしずつ移り変わってゆく。気がついたときにはもう前の季節は手の届かないところにあって、何もかもがそれと同じように、気づかぬうちに変わってしまうのか、と僕はそのとき痛感した。そしてそれをつぶやくためにこのツイッターアカウントを作ったのだった。
 もちろん変わるということが必ずしもポジティブなものとは限らない。もっと言うと、変化というものにはいつもどこか残酷さが伴う感じがある。でも変わるということ以前に、「変わることができる」ということであればそれは単純に前向きな意味として認識することができると僕は思う。自分がそう望むのなら変わることができるというこの可変性、それは希望だと僕は思う。でも一方で意図して変わるということは人にとって難しい。というかほとんど不可能に近いとさえ思う。なぜなら人は変わるものではなく、変わってしまうものだからだ。だから変わってしまうための装置として、その事実を知るための実験として、何かを継続的に作りつづけるということが良いのではないかと僕は思うのだ。
 ところで僕はこの連載をもう4万字も書き進めているが、これもその練習の一環である。4万字というのは僕が院生時代に書いた修士論文とほぼ同じ文字数だからこれは結構な数字である。卒業論文で言うとたぶん2万字ぐらいだろうからその二本分。小学校の読書感想文だったら大体1000字ぐらいだろうから、40本分ということになる。文筆系の趣味がある人なら良くわかってもらえると思うが、これはなかなかの数字である。およそ中編小説くらいの文量だが、僕はこれをたったの6日間で書いている。自分で言うのもなんだが異常だと思う。
 では僕はこの執筆作業によって何を上達しているのか。それは書く姿勢の技術である。これまでの回でも書いたように僕は大学生時代から小説を書き始めたが、それをつい最近まで書き上げることができなかった。書き始めても途中で自分の小説をくだらないと思って捨ててしまっていたのだ。でも自殺未遂後は善良な悪魔との対峙を経て、はじめて小説を書き上げることができた。ただ仕事がなく時間があるからできたというだけの話ではない。何かを書き始めて書き上げるうえでの技術が向上した結果だと僕は思っている。善良な悪魔と戦う技術が。
 それから僕は未遂後に絵を描くということも始めていた。これははじめそのような可変性を知るという目的があった訳ではもちろんなく、単に善良な悪魔にまだ苦しめられていた当時の僕は何か意識を向ける対象として絵を描き始めたのだった。だから当時の絵は絵と呼べるものかもよくわからないものが多い。とにかく無心で手を動かすという目的として描いたものだったからだ。ひたすら線を引いたり、ひたすら点を打ったり、時間が多くかかるものを僕は好んで描いていた。当時の僕はなぜこんなものが描きたいのか全然分からなかったが、きっとそのときの自分にとっては何かを描くという意識は全くなく、ただただ手を動かしていればなんとかでき上がってゆくというものの方が癒しになっていたのだろうと思う。

その当時描いていた絵。何も考えずにボールペンで線を引いて形をつくるということが楽しかった。
その当時描いていた絵②


 その後、少しずつ気持ちが落ち着いてくると、僕はだんだん、もう少し具体的なモチーフを描きたいなと思うようになってきて、アクリルガッシュを使って絵を描くということを始めた。アクリルガッシュを使うことにしたのは筆を使って描きたかったからだった。でも油絵だと道具や技術という面においてハードルが高い。時間もかかる。かといって水彩は一度塗った色の上に塗り重ねるのが難しいという点で修正が効かないのが難しい。そういうふうに消去法な選択をしていったなかで見つかったのがこのアクリルガッシュというメディウムだった。

はじめてアクリルガッシュで描いたペンギン


 これは僕が最初にアクリルガッシュで描いたペンギンの絵だ。いまでもときどき見返すのだが、本当に下手すぎて笑ってしまう(笑)。自分では、これはこれで可愛らしいと思っているのだが、赤の他人からすると、大人が描いた絵がこれだとしたらまあ下手だと思うだろうと思う。でもこれを描いた僕はそれから、とにかく毎日絵を描き続けることにした。それは単純に暇だったからというのもあるが、これを描いているときとにかくとても楽しかったからだ。
 それから僕の絵を描く日々が始まった。僕はかなり夜型なのだが当時は休職期だったのもあって、毎晩午前2時ぐらいから絵を描き始め、2時間くらいで一枚描き上げるということにしていた。とにかく毎日続けるということが大事だと思ったので綿密なものや大作のようなものは作らないことにした。とにかく2時間か1時間で一枚描く。やる気があったら2枚目を描くけれど3枚目は基本なし。3枚目に行くエネルギーは明日のためにおいておく。細かく描き込みたくなっても疲れたところで切り上げて、それで完成ということにする。僕は画家でもなんでもなく趣味でやっているだけなので、それで全然構わない。そういうふうに自分に甘い仕方で描くことを続けることにフォーカスした方法をとることにした。
 そうすると、だんだん自分が上達していることがわかるようになってきた。もちろん、普通の絵を描く趣味の人と比べるとまだまだ下手ではあるのだが、明らかに最初のペンギンよりはずっと成長している!この発見はそれこそ飛び上がりたくなるほど嬉しいことだった。

少し上手くなってきたかもしれないと思ったときの絵。オニオオハシ。


風景画が少し上達したと思ったときの絵。桂浜。


 しかしそうなると今度は欲が出てきてしまうのだった。もっと上手くなりたいとか、もっと芸術的な絵を描きたいとか、そんなふうに思ってしまうのだ。本当に不思議なものだと思う。あのペンギンを描いていた人間がちょっと絵の練習をしたくらいでそんなにすぐに良いものが描けるはずもないのに、どういうわけか次に描くものはなんとか良いものにできるはずだ、そうしないといけない、と思い込んでしまうのだ。そしてそういうマインドで次の絵を描き出してみると、当然すこしも楽しくない。むしろ描いていて苦しいことに僕は気がついた。僕の中の善良な悪魔がこれじゃ全然ダメだ、と言っているのだ。下手くそだ、つまらない絵だ、と。すると僕の手は完全に止まってしまった。上手な絵が描けないのであれば自分は満足できない。だからもはや描く意味はないのじゃないか、と僕は思った。そうして僕は絵を描くということから一度離れてしまった。
 でもそれからしばらく善良な悪魔との戦いを続けているうちに、僕は自分が絵を描けなくなったのはこの悪魔に間違った考えを植え付けられてしまっていたからだとわかるようになった。良い絵を描かないと絵を描く意味がないというのも、やはり善良な悪魔の戯言にすぎない。僕はその意見に対して、絵は描くことそれ自体が楽しいからやれば良い、と反論した。それにそもそも絵の初心者が急にちょっとばかりの努力でたいしたものが描けるわけがないのだ。また善良な悪魔は、お前は上達がない、ということもしきりにいってきていたので、それに対しても僕は、いや俺は上達していると反論した。最初のペンギンの絵を見てみなよ。ペンギンの絵から今の絵を見比べて、どれだけ上達していると思う?これだけの上達をしたのはすごいことだよ、と僕は自分自身に言うようにした。描かないと上達しないけれど描き続ければかならず上達する。でもそれは気付きづらいほど遅いペースでの上達だ。だから一日単位で上達の度合いを測るのは意味がない。自分がやるべきはとにかく何も期待せずに淡々と絵を日々描き続けることだ。僕は自分自身にそう言うと、善良な悪魔がすうっと消えてゆく感覚があった。これできっと続けられるだろうと僕は思った。
 そうして僕はいまでも絵を描き続けている。最近はこの文章を書くことだけに集中したいのでおやすみしているが、基本的には毎日絵を描いている。もちろん技術としてはまだまだかもしれないが、それでも間違いなく上達しているということを日々実感している。僕は絵を描き始めたときから、自分の絵をインスタグラムのアカウントに投稿するようにしていたが、すると意外なことに結構な反響があった。主に海外の人からいいねやコメントがたくさんくるようになったのだ。さらには海外から僕の絵を買いたいとDMしてくる人まで現れ、僕はそれに対応するためにウェブショップを作ることにした。
 すると、今度は日本人でも絵を買ってくれるという人が出てきたのだが、その頃には僕はもう貧乏生活に突入していたので、これはどうしようかということになった。というのも、その人のもとへ絵を郵送するだけのお金もなかったのだ。でもその人の宛先の住所をよく見てみると、それは僕の住んでいる神戸市内だった。区は違うが、歩いていけないことはない。そうして僕は絵を持ってその店まで約10kmの道のりをてくてくと歩いていった。宛先の住所についてみると、そこは六甲道ヨウという名前のバーで店主の人が出てきた。僕が注文の絵を渡すと、彼はとても喜んでくれた。そして僕の事情を知った彼は、自分の店で好きなだけ絵を飾ってくれて良い、とまで言ってくれた。その言葉を聞いて僕はとても嬉しく感じると同時にこれはすごいことだと思った。半年前は死にかけていた、絵などろくに描けない人間が、いまでは絵をひとに売ることができるようになり、それどころか店に飾ってくれるような絵描きになることができたのだ。本当に自分は半年前から遠いところまで移動したんだな、と僕は思った。
 でも正直なところ、自分では自分の絵の良さはあまりわかっていない。僕にとって絵とは描きたいという欲望に対する排泄物のような感じだからだ。だからそれが良いものかとかそうでないかとかはあまり関係がない。どちらかというと、上達しているかどうか、ただそれだけが僕にとっての問題なのだ。そして上達することができるという事実や実感は、単なる習得した技術よりも価値のあるものだ、と僕は思っている。
 ひとは歳を取れば取るほど、だんだんと硬直していくものだというふうに僕は感じている。新しいものを吸収することをしなくなり、新しいことをはじめるということに対して若いときよりも躊躇を覚えるようになる。何かを見たり、何かをしたりするというときでも、それは自分がこれまで好んできたものや、これまでしてきたものの反復になっている場合が多いのではないだろうか。そうするとだんだんと自分というものが硬くなってくる。自分とはこういう人間である、というふうに自分という輪郭線がやけにはっきりとしてきて、新しいものごとへの嗅覚や期待の感覚が鈍くなってくる。それでも良いのなら僕ももちろんそれで構わないのだが、そういう人は危機にぶつかったときには弱いのではないかと僕は思ってしまう。なぜなら危機に瀕したときに、そこから脱するために求められることは自己の変革であるからだ。だからひとは誰しも、その変革を受け入れるための柔軟性というものを持っておく必要があるのではないかと僕は思っている。それは川のような柔軟性だ。川の水は遮られてもその輪郭を自由に変更することによって海へたどり着くまで立ち止まることがないように、ひとも柔軟性を持って常に変わっていってしまえば良いのではないだろうか。そしてその柔軟性とは、可変性を実感するということで身に付くものだと僕は考えている

 今回の記事は以上だが、もし僕の絵に興味を持ってくれた方がいれば、下にリンクを貼っておくのでぜひショップやインスタグラムのアカウントを見にきてほしい。また上にも書いたが六甲道ヨウには僕の絵が飾ってあるので近くに住んでいるひとは、機会があればぜひいちど行ってみてほしい。

 
 毎度のことながら、ご支援してくれる方はぜひこの記事を購入してくださるとありがたいです。実は昨日、この連載の売り上げは計1万円を突破した。ありがたいかぎりです。この連載ももう残すところあと2回というところまできたので、ここまで読んでくれた方はもう少しの辛抱なので僕に付き合ってくれるとありがたい。いつもと同様に「ここから先は〜」の部分には何も書いてありません。全ての記事は全文無料です。よろしくお願いします。


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