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北京の守護神

文化大革命で過去の歴史が破壊され、いつの間にかそれが塗り替えられてしまい平然と街の景色になってしまっている。そんな風景を見ると、なんとも言えない気持ちになる。

チベット寺院である擁和宮の大門をくぐり銀杏並木を進むと、皆がお堂の中の仏像を思い祈りを捧げている。お堂の中の仏像は陰に隠れていて外からは見えない。線香に火をつけて、チベット式でもなく、日本式でもない思い思いのやり方で祈っている。集団心理から私も日本式でお祈りをした。

チベット寺院であるので、ご本尊は何かと思い中に入ると、そこにあったのは、大きなお腹のずんぐりむっくりした布袋様だった。自分の目でみているものと実際のものが何か間違っているのではないかという不思議な感覚に襲われた。それはチベットの仏像ではなく明らかに後から置かれたものだ。そうか、こうやって過去は塗り替えられるのかと感じた一瞬だった。そう思うと、中にある他のチベット式の仏像もかなり新しいものであることに気づく。

別の日に、白塔公園に行った。清の時代にここは宮殿に隣接した仏教センターになっていた。湖の中に島が浮かんでおり、そこで多くの僧が修行していたのだろうと思うと感慨深くなる。島は山になっており、斜面を登っていくとお堂がいくつか現れる。周りを一望できる一番上のお堂にはダライラマとパンチェンラマの像が鎮座している。

皇帝が寵愛したチベット仏教ゲルク派の2つの活仏の像が、このような形で残っていると、当時どれほどの信仰を得ていたのかということをリアルに感じられる。失われるものがある一方で、守護神はまだ健在なのか。。。

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