自分語りすぎるし下書きに眠りすぎたこれ
保育園の頃からいわゆる「クラスのいじられキャラ」的なポジションだった。保育園に入る前も兄から何をされてもずっとニコニコしていたという私。両親はそんな私を見て強いなあとか呑気に思っていたらしい。小学生になっても田舎なのでメンバー入れ替えはなく、クラスも30人に満たないほどの小さなクラスだった。正直6年生になるまでいじられているという自覚はなかった。実際、兄から日々浴びせられる言葉のおかげでいくらか耐性がつき、男子に悪口を言われた時「何言っても言われ慣れてるから平気だよ」と言ったこともある(なぜか鮮明に覚えてるし少し恥ずかしい)。私はいつもぼけーーっと生きてしまう。だからこの時もこれっていじめっぽくない??って気付くのも遅れてしまった。気が付いた時はなぜかスッキリした。教室のど真ん中で土下座させられたことも蹴られたり殴られたりされたこともクラスみんなに無視されたことも物を隠されたこともめちゃくちゃな暴言吐かれたことも、今までなんとも思ってなかった、いつものことだと思ってこんな事で悲しくなっちゃいけない、しんどくないって思ってきたけど、いざ「いじめ」だったと認識すると途端にしんどくなった。今まで言われたこと、されたこと、させられたこと、ぜーーんぶに「いじめ」という名前がついた、それだけで周りも私も笑ってるし大丈夫!と思っていた出来事たちが、周りで笑ってた人達がすごい勢いで私の方へ向かってきた。当事者にしかわからない感覚がある。エベレストを登った人にしか見えない景色がある、大スターにならなきゃ浴びられない脚光があるのと同じように、「いじめ」の当事者にならなければわからない感覚がある。その感覚を少しずつ鈍らせていきたいけれどやはりそうはいかない。もう18歳。なのに未だに思い出して泣いてしまうし、少しでも何か周りに変化があると変に窺ってしまう。そんな感覚は残っているのにまだヘラヘラと生きてしまう、人間関係の緩衝材にだって使われる。よく「やめて」のたった一言で「いじめ」は終わると聞く。そのたった一言が私は言い出せないことがたまにある。はやく強くならなきゃ、もっと上手に楽に生きたい