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『CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜』に描かれた音楽家とは

はじめに

 「『CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜』に描かれた時代とは」という記事を考えていて、元々その記事のおまけで書いていたのにもはやおまけでは無い分量である事と、なぜかこちらの方が先に完成しました。
 『CROSS ROAD』自体が様々な時代のエピソードを順不同に描いているので、実際の時の流れであったりベルリオーズくんがなぜ悪魔が見えるのか?彼は何者なのかと気になった方に向けて書きました。
 ロマン派の音楽家好きのクラシックファンがなんとなく書いたことですので、そういう話もあるのかとゆるくお読みいただければ幸いです。

音楽家が迷い込む十字路~ベルリオーズの場合~

 さて、『CROSS ROAD』の作中ではアムドゥスキアスが見えるという設定のベルリオーズですが、作中でパガニーニと出会った時の彼がどういった状況だったのか、またその後の彼がどのような人生を歩むことになるのかを少し紹介したいと思います。
 ベルリオーズは1803年にフランスで生まれました。少年時代から音楽に親しんでいましたが、父親と同じく医師になるため勉強していたところ、音楽への道が捨てられず、両親の反対を押し切って20台前半で音楽家としてのキャリアを歩み始めました。
 少年時代から芸術を愛していたベルリオーズですが、1827年には後に彼の妻になるハリエット・スミッソンの出演する『ハムレット』や『ロメオとジュリエット』に感激し、彼女に恋をするようになります。しかしながら、この時はあくまで「俳優」と「観客」の関係でしかありませんでした。しかもベルリオーズが熱心すぎるファンレターを送り、面会の申し込みをしつこくした結果スミッソンからは手紙の受け取りを拒否されるような状態でした。
 スミッソンへの片思いが落ち着いた1830年に、ベルリオーズはピアニストのマリー・モークに恋をし、二人は婚約します。しかしながら、この恋もうまくいかず、モークはベルリオーズの留学中にピアノ製作会社のカミーユ・プレイエルと結婚します。ベルリオーズが自身の回想録で語ったところによれば、女性に変装し新婚のプレイエル夫妻と彼女の母親に危害を加えた後に自殺しようと女性用の服、ピストル、毒薬などを購入し、留学先のローマからパリに向かう途中で我に返ったとのことです。一説には向かう途中で女性用の衣服を紛失したからともいわれています。
 なお、モークもなかなかに恋多き女性で、結婚後もフランツ・リストと関係があったとも。
 さて、この事件があった後に少しの療養を経て、留学先から戻りパリで音楽活動を続けていたベルリオーズでしたが、1832年に偶然スミッソンと再会します。
 モークとスミッソンへの恋心と失恋(スミッソンについてはもちろん片思いでしたが)を『幻想交響曲』『レリオ、あるいは生への復帰』という作品に昇華したベルリオーズでしたが、1832年12月に行われたコンサートでこの曲を耳にしたスミッソンは、曲の主題が自分であることに気づき、感銘を受けます。
 ベルリオーズのことを全く覚えていなかった彼女ですが、馬車を降りるときに負った怪我により、俳優業よりも劇団のマネジメントに携わっていました。しかも、興業の不振による多額の負債を抱えており「人気女優」の姿とはかけ離れた状態だったと言われています。
 不思議な縁により交際を開始した二人でしたが、ついに、1833年10月に結婚します。ベルリオーズの両親からの反対を押し切っての結婚でしたが、翌年には息子のルイが生まれ、『レリオ』はルイに献呈されました。
 さて、音楽家としても私生活も順調そうなベルリオーズのもとに、とある音楽家からある依頼がありました。その音楽家が他ならぬパガニーニだったのです。
 1833年11月に行われたコンサートで『幻想交響曲』を聴いて感動したというパガニーニは、良いヴィオラを手に入れたのでそのヴィオラを使ってコンサートをしたいが適当な曲がないとベルリオーズに作曲の依頼をしました。
 これがきっかけで作曲されたのが『イタリアのハロルド』だったとベルリオーズは回想録に記しています。なお、パガニーニは製作途中の段階でこの曲の内容に満足しなかったため、彼の依頼とは別に完成させたとベルリオーズは書き残しており、現在では信ぴょう性に欠けるエピソードとされていますが、名曲に纏わる有名なエピソードとなっています。
 音楽家として着実にキャリアを重ねていたベルリオーズでしたが、1838年初演のオペラ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の初演が不評に終わり、意気消沈してしまいます。しかしながら、その年の暮れに行われたコンサートでは『幻想交響曲』を作曲者自身の指揮で上演する機会に恵まれました。
 そのコンサートで大いに感銘を受け、ベルリオーズを激賞し、2万フランの小切手を彼に渡してくれたのが、他ならぬパガニーニでした。
 ベルリオーズが自身の父親に手紙で語ったところによれば、パガニーニから2万フランを受け取ったのは1838年12月16日の演奏会とされています。
 なおパガニーニによって勇気づけられたベルリオーズが作曲したのが『ロメオとジュリエット』であり、この作品はパガニーニに献呈されました。
 『CROSS ROAD』のエリザのセリフや作中のコンサートの場面はこれらの出来事をモデルにしていると思われますが、当時のパガニーニは病のため健康を著しく損ない、しゃべることもままならない状態のため、息子のアキーレを介して意思疎通を行っていました。
 さて、浮き沈みはありつつも音楽家としてキャリアを積むベルリオーズでしたが、私生活においては様々な事件がありました。
 あれだけ焦がれたハリエットとは1843年(1840年頃とも)に別居し、後に2番目の妻となる歌手のマリー・レシオと同居します。
 なお、1854年にハリエットが亡くなるとマリー・レシオと再婚しますが、家族や友人に対しては、別居はしていたが長く体調を崩し、身体も不自由であった妻を見捨てることも、一人で生きることもできなかったと語っています。しかしながら、11歳年下であったマリーにも1862年に先立たれ、1867年に息子のルイを亡くし、晩年は孤独に苛まれることにもなりました。
 音楽家としてのベルリオーズの話に戻りますが、パリでの人気が下火になると、演奏旅行をし、各地で成功を収めました。この後も定期的に演奏旅行により、海外での活動を積極的に行いましたが、演奏会が評判であっても出費が重なり、経済的には厳しい状況が続きました。また、作曲家としての活動を1864年に終えると、指揮者として活躍しました。
 かねてより健康を損ねてはいましたが、1868年に行ったロシアでの演奏旅行をきっかけで体調を崩し、ベルリオーズは1869年3月に亡くなりました。苦悩が多い満65歳の人生でしたが、実際の彼の人生の一端を調べると、悪魔が見える、幻の十字路の中にいるというキャラクター化も納得できるような気がしてくるのです。
 『CROSS ROAD』の劇中で描かれていた救済コンサートのエピソードのモデルになったと思われるのが1832年頃、2万フランのエピソードが1838年であろうと思われますが、パガニーニは晩年に健康を損ない、ヴァイオリニストとしては1834年のロンドンでの演奏活動を最後としていますので、様々なエピソードを順々に見せるのではなく、繋ぎ合わせて物語としているのがよくわかりますね。

華やかなりしロマン派の音楽家たち

 「リストにショパン、クロイツェル、シュポーア」「シューマン、シューベルト、ヨアヒム、ヴュータン」
 さて、アムドゥスキアスが名前を挙げる音楽家たちですが、実は活躍した分野も時代もやや異なるため、耳なじみがない名前の音楽家も多いと思います。なお、いずれも後世の音楽に多大な影響を与えた音楽家であり、音楽家同士の交流関係なども奥が深いので、簡単な説明にとどめたいと思います。
 また、酒場のシーンでアムドゥスキアスが「摘み取って部屋の飾りとするか?」はゲーテの詩の『野ばら』(日本では近藤朔風が訳した『野中のばら』として有名)を思わせますが、ゲーテはこの時代の作曲家に非常に影響を与えており、『ファウスト』をモチーフにした作品も多く作られています。

ロドルフ・クロイツェル(1766~1831)
 ヴァイオリニストとして活躍した後に指揮者に転向した名ソリストであり、ベートーヴェンより『ヴァイオリンソナタ第9番』を献呈された音楽家。
 なお、クロイツェルソナタという愛称で呼ばれているにも関わらずクロイツェル自体はこの曲を弾いたことが無いというエピソードも。
 クラシックをテーマにしているアニメ『クラシカロイド』では浦井健治さんがクロイツェル・ソナタをモチーフにした『六弦の怪物~クロイツェルより~』を歌われていたため『クロイツェル』の名前だけなら聞いたことがあるミュージカルファンの方も多いのでは無いでしょうか。

ルイ・シュポーア(1784~1859)
 作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者と多彩な才能を発揮した音楽家であり、ヴァイオリンの顎あてを発明した人物でもあります。劇中でヴァイオリンの顎あてが外されていましたが、実はシュポーアが顎あてを発明したのは1820年頃とされており、顎あてはパガニーニの現役時代には一般的ではなく、パガニーニも使用しなかったと言われています。
 指揮者としては一時期アン・デア・ウィーン劇場(エリザベートやモーツァルト!が初演された劇場)にて活動していました。
作曲家としても多作であり、妻がハープ奏者だったこともありヴァイオリンとハープの曲を多数残しています。

フランツ・シューベルト(1797~1828)
 歌曲の王として現代では知られていますが、キャリアをスタートさせたのは歌手としてでした。
 少年時代のシューベルトは類まれな歌手であり、また、音楽家としての才能をサリエリに見いだされ、数年間ではありますが指導を受けています。
 サリエリは熱心に指導をし、シューベルトも自作曲を見せたりしたと言われています。また、サリエリはシューベルトにアイスクリームを買い与えていたという可愛らしい話も残っています。
 しかしながらシューベルトはサリエリから指導を受けたイタリアオペラの道ではなく、母国語であるドイツ語歌曲への道へ進むのでした。

フレデリック・ショパン(1810~1849)
 ピアニスト、作曲家として少年時代から活動したショパンですが、どうやらパガニーニがワルシャワを訪問した際に実際にパガニーニと出会っていたらしく、パガニーニの手記にも名前が確認できるとのことです。
 当時19歳だったショパンはパガニーニの演奏に感銘を受け、ワルシャワで行われたパガニーニの演奏回に足しげく通ったとも。『パガニーニの思い出』という曲を残している他、初期の作品にもその影響が認められるとの見方もあります。健康上の問題により大規模な演奏旅行をせず、優美で繊細な演奏をサロンで披露したショパンは「シルフ」と当時から妖精に例えられ、音楽家仲間からは「ショピーノ」「ゾピン」などと呼ばれ愛された音楽家ですが、悪魔と妖精の不思議な出会いを感じます。

ロベルト・シューマン(1810~1856)
 シューマンは幼少期より音楽に興味を持ち、父親は息子の音楽の才能を理解し、教育を施しましたが、シューマンが16歳の頃に亡くなりました。一方で医師の娘である母親は息子を法律家にしたいと考え、シューマンは勉学の道に進みますが、法律の勉強になじめずにいました。
 そして、ライプツィヒ大学の法科で学んでいた20歳のときに、シューマンはパガニーニの演奏と出会います。「人生の岐路に立ち、どの道を選ぶかおびえていたが、芸術に向かうのが正しい道」という旨の母に向けた手紙が残っています。まさに十字路ですね。

フランツ・リスト(1811~1886)
 晩年のサリエリの指導を受けていた若き日、ショパンとの友情と決別、聖職者、教育者としての晩年など華やかな逸話に事欠かない音楽家です。
 若き日にパガニーニの演奏を聴いて「ピアノのパガニーニになる」と宣言したのは有名な逸話ですが、超絶技巧を駆使した演奏スタイルや大規模なコンサートツアー、聴衆を熱狂させる姿勢などパガニーニのスタイルを多く引き継いだ音楽家でもありました。多くの女性と交際し、内縁関係で私生児をもうけるなど、妙なところでパガニーニと共通点も。彼の娘のコジマはワーグナーと結婚し、その子孫は現代であってもヨーロッパの音楽会に重鎮として君臨しています。

アンリ・ヴュータン(1820~1881)
 幼少期からヴァイオリニストとして活躍し、数多くの音楽家と交流しました。その高い演奏技術は「小さなパガニーニ」と評されましたが、晩年は病気のため演奏家としての活動を断念しました。作曲家としても活動しており、超絶技巧を駆使した楽曲は現代でも愛され、コンサートなどで演奏されています。なお、パガニーニの演奏を聴いたのはヴュータンが14歳の頃だったと言われており、パガニーニの技巧の精密さ、音色の美しさや正確さに驚嘆したという話が残っています。

ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)
 実はパガニーニが活躍した時代とは少しだけ後に活躍したヴァイオリニストがヨアヒムです。少年時代からクララ・シューマンなど著名な音楽家と共演し名を馳せました。教育者としても多大な功績を残し、現代の日本人ヴァイオリニストでもヨアヒムの孫弟子、ひ孫弟子にあたる方が多く、愛用のヴァイオリンは紆余曲折を経て日本音楽財団が所有しており、現在は外村理紗氏に貸与されています。

おわりに

 いかがだったでしょうか。
 パガニーニが生きた時代はメンデルスゾーンやワーグナーなどキャラの濃い…いえ個性的な音楽家達が多く活躍した時代でした。劇中で名前が登場する音楽家達やベルリオーズのこともおまけ程度に書こうと思ったのに気づいたらものすごく長く…。もはやおまけで独立するレベル。
 そもそもモデルの人物のキャラクターが濃すぎて『CROSS ROAD』のベルリオーズくんとかはだいぶマイルドになっていると思いますし、『迷い子』はシューマンのエピソードも内包しているのでは?と思う描写があったりもするんですよね。
 しかも役者さん繋がりだとシューベルトやリストの先生がサリエリなのでクラシックオタクとミュージカルオタクを兼ねている自分としてはVIVA!イタリア♪だし殺しのシンフォニー…。
 なお、簡単に纏めてしまいましたが、このミュージカルがきっかけで興味が湧いたという方の知識欲を満たす一助になれればと思います。
 それでは、またどこかの十字路でお会いできますことを…

参考文献

『悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝(浦久俊彦著)』
『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓(遠藤雅司著)』
『作曲家別名曲解説ライブラリー ベルリオーズ(音楽の友社刊)』




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