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ゆりかご

「もう、終わりにしよう」
俺の言葉に、百合奈は、泣いて抵抗した。

「いやだ・・・・諦めたくない・・・・・」

おっとりしていて、自己主張しない百合奈が、嫌だというのを聞くのは結婚して初めてかもしれない。

しかし、俺もこれ以上は我慢できなかった。
「これ以上、百合奈が苦しむところを見たくない。今までだって二人で十分頑張ってきたんだから、これからは、二人で楽しく暮らしていこう」
百合奈は、まだ諦めきれないのか、黙って泣いている。

百合奈と結婚して15年。
子どもには、恵まれなかった。
授かりものだから仕方ないと言いながらも、5年を過ぎたころ、百合奈から治療をしたいと言ってきた。
俺は、原因がどちらにあるかも知りたくなかったし、百合奈と二人で過ごしていければいいと思っていたので、治療にはあまり乗り気ではなかった。
それでも、百合奈がしたいというなら・・・・夫婦二人三脚で頑張ってきた。
でも、もういいと思っている。
子どもだけが人生ではない。
二人で楽しく暮らしていければそれで十分だ。

治療を止めてしばらく、百合奈は、抜け殻のようになっていた。
それでも、いろいろと制限を受けていた治療中と比べると、好きな時に好きな物を食べられて、好きな時に好きなことをできる生活に、少しずつ百合奈の笑顔が戻ってきた。

俺は、安心するとともに、百合奈に昔のように笑ってほしいといつも思っていた。

百合奈には、内緒で、ショック療法的な荒療治というとなんというか・・・失敗すれば離婚されても仕方ないと思いながら、俺は、綿密に計画を練り、実行に移した。

夜。
俺は、自宅の1階で営むヘアサロンを閉めて、3階のリビングに上がった。
同じタイミングで、百合奈は、2階でやっている英会話教室の片づけをして3階に上がってきた。
やるなら今日しかない。

「百合奈、久しぶりに髪切らないか。最近、切ってないし」
百合奈は、そこまで気乗りしない感じだったが、腰まである髪の毛先をつまみながら「そうだねぇ」と言う。
(もう一押しだ!)
「切れば気分転換にもなるし、今日は、ヘッドスパも付ける。どう?」
と少々、強引に百合奈を店に連れて行った。

椅子に座った百合奈の首にタオルを巻いて、ケープをかけた。
「カットしてから、ヘッドスパと一緒にシャンプーするから」というと、百合奈は「うん」とだけ言った。

ブラシを通すと、サラサラと流れる百合奈の長い髪。
俺がやろうとしていることは、正しいんだろうか。
でも、やるしかない。俺には、こんなことしか思いつかないんだから。

そっとスイッチを入れると、ジーっと音をさせるバリカンを百合奈のおでこにあて、一気につむじまで刈り落した。
バサバサと落ちて行く長い髪の雨に、百合奈は呆けた顔をして、口を開けている。
わずか2センチほどに刈り込まれた道の隣に、同じ道を作っていく。
俺は、一刻も早く刈り終えることだけを考え、バリカンを動かし続けたが、気が付くと、百合奈の瞳からは涙が溢れ、頬を伝っていた。

やってしまった・・・

落ち武者状態の百合奈は、声を上げて泣き出した。
俺が100%悪いのだから、慰めることも何もできない。
俺は「ごめん」というのが精いっぱいで、そのたびに百合奈は、首を横に振るだけだった。
当然だ。腰までのロングヘアに、突然、おでこからバリカンを入れられ、行く先は坊主しかないとなれば、誰でも泣く。

俺は、成す術もなく泣きじゃくる百合奈を見ているしかできなかった。
どのくらい時間が経っただろう。
百合奈は、泣きながらも「坊主にしちゃって」という。
ここまでやってしまったら、坊主にするほかなく、俺は、再び、バリカンのスイッチを入れると、刈り残しが無いよう、何度もバリカンを走らせた。

バリカンのスイッチを切ると、百合奈は、刈り込まれた頭を触って「やんちゃ坊主が、おばさんになったみたい」と言って笑った。
鏡に映る百合奈は、なんだかスッキリしている。
髪型がではなく、顔が晴々としているというか、百合奈て、こんな顔だったなぁと昔が懐かしくなってきた。
俺は、もう一度「ごめん」と謝った。
百合奈は、ケタケタと笑い出した。
「びっくりして、どうしたらいいかわからなくなっちゃった。でも、きっと、私のことを思ってやってくれているんだろうなぁ。て思ったら涙が溢れてきて・・・・。もう、おかあさんにならないから、強くなくてもいいんだ。思いっきり泣いてもいいんだ。て思ったら涙が止まらなくなっちゃった。でも、おかげでスッキリしたよ。ありがと。」

俺は、その場にへたりこんだ。
自分の想像をはるかに超える百合奈の覚悟に、全身の力が抜けた。

俺は、ハサミで百合奈の坊主頭を更に短く刈り込んだ。
女性らしい丸みを持たせたバズカットにすると、短い髪にカラー剤を塗りこみ金髪に仕上げた。

この日のために準備した赤いドレスを百合奈に渡して着替えてと言うと、俺は、自分も滅多に切ることのないスーツに着替えた。

ドレスに着替えた百合奈は、「恥ずかしいよぉ」と言うが、ドレスに合わせた大振りのイヤリングを付けると、どこのパーティにいてもおかしくないセクシーな姿が誕生した。

俺は、百合奈を車に乗せると、東京の夜景を一望できるホテルへと急いだ。
リムジンくらい用意しておきたかったが、仕方ないので、俺の運転で我慢してもらう。

ホテルに着くと、百合奈をエスコートし、最上階の客室に入る。
相変わらず百合奈は、恥ずかしそうにしているが、すれ違う人皆が振り返るほどのオーラを放っている。

二人で、そっとグラスを合わせる。
こんな時間、いつ振りだろう。
この先もずっと、百合奈の笑顔を見ていたい・・・。

季節は移り変わり、暑さが厳しくなってきた。
ある日、百合奈が「坊主も金髪もやめたい」という。
名残惜しい気もするが、百合奈がしたいようにするのが一番だ。
でも、百合奈のバズカット似合っていたのになぁ・・・と俺も少々、未練がましく言うと、百合奈は笑いながら、俺の手を取り「おとうさん、わたしのことは、坊主にしないでね」と言って、お腹を触らせた。

「えっ・・・・えっ・・・・・・オレ、おとうさん・・・・・」

「そうだよ!おとうさん!」
百合奈の目には、涙が溢れていたが、その顔は、今までで一番輝いていた。


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