紙から出来ている存在との向き合い方 #未来のためにできること

我が家を占めている存在

大学のために関西から東京に上京し、コロナ禍を経て、次のステップのために引越しを意識する今日この頃。10畳一間の我が家の荷物をふと見渡した。
見渡した時に、一番初めに浮かんだ言葉は「この子達、私がいなくなった後どうなるんだろう?」だ。この言葉への答えは、実際に直面してみなければ出ないだろうと思ってしまった。
授業に必要で購入した書籍達、月額で契約しているファッション誌の束と、おうち時間を充実させていたアイドルの写真集。そして年間契約している新聞紙の机。ここまでは何とか手放さない理由を持てそうな存在と思い出たちだと考えることができたし、“引っ越し”のワードが自分の中に浮かんでいなければ、「手放す・捨てる」の考えは無かっただろう。問題は別にある。

収集癖って自分のためだけなのか

学校の課題や工作物を保存していてくれる家庭に育ち、書籍だけはお金に糸目を付けずに与えてくれた。その為、本を購入するときの選択肢に電子書籍は全くなく、時々教材が電子で与えられる時があるが、大変読みにくい、という感想を持っている。ここでは電子書籍を読める能力の有無は言わないでおく。だからこそ、形として残るものを手にしてきた。
必要ならば購入する。手元に置いておく。
この行為が自分にとって重要で、当たり前の生活であった。
しかし、この収集癖が環境に厳しいことなのかもしれないと感じる授業に今年出会ってしまった。
環境ビジネスに関して学び授業だ。

環境に厳しい教授の言葉

「紙にインクでコピーをする行為は、環境へのイジメだ」と教授は言い放った。私の周辺はインクで印刷された存在ばかりで、宿題さえもプリントの時代を生きてきた。そんな我々への教授の言葉は、じわじわと価値観に侵入してきた。
しかし、紙の存在は抹消することはできないし、完全にサヨウナラすべき存在ではないと考えた。だからといって、自分に何が出来るだろうか?何が自分に未来を考えるスイッチになっているのか?を考えてみた。

未来へ

それは動植物への影響だ。言葉が通じない存在への影響を考えると、私の行動も何か変化すると感じた。
紙の存在達に価値を置いている私がいなくなった後を考えるならば、
文章などが書かれていない一枚の紙が何の犠牲で生み出されているのかを伝え、廃棄することを少なくすることができれば、何かは変わると信じてもいいだろうか。

#未来のためにできること


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