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誰かが街のどこかで夜が辛い

 ああ、もういやだ。
 好きな人は痛いステメ書いてこっちの幻想をぶち壊しにきたし(上条当麻かよ)私より成績が悪いと思っていた子は私より良い成績で良い判定を貰ってた。こっちなんて良い判定じゃなくてE判定だ。いや、それは嘘、C判定だけど。それはともかくとして、成績も大事だけどその子の方が受験に対する姿勢に真剣なことが一番胸に刺さった。周囲のみんなは、いつもだらしなくしているような人でさえ受験に向けて走り出してるっていうのに私は未だに現実を見れずに1日の大半をアニメ観るか本読むかVtuberの配信観るかで終える冬休みを過ごしている。まあ正直、そっちの方が将来自分がなりたいものになるには大事なことだったりするのだ。大学受験なんて私の中ではモラトリアムを伸ばすためっていうのと仮に自分にクリエイターの才能がなかったときのための保険でしかない。それに加えて親を安心させるためっていうのもあるか。しかし私は大学受験で楽できない立場にいる。なぜなら親から国立に行けと言われているからだ。特に父親はひどい。なんてったって、私が国立に行くから大丈夫だとか言いながらパチンコ打ちに行ってひたすら浪費しているのだ。この間なんか9万負けたと言っていた。心が弱いからパチンコに頼らないと生きていけなくて、頭が弱いからパチンコのやめどきがわからなくてお金を使い生きていけなくなる。どっちにしろ生きていけないんじゃん、タチ悪い。
 まあ親の話はどうでもいい。今はそう、好きな人の話と受験への姿勢の話だった。
 好きな人の話はまあ「憧れは理解から最も遠い感情だからね」の一言に尽きる。BLEACH の藍染惣右介のセリフだ。私が好きな人に抱いていた感情は恋慕というよりも心酔に近かった。信仰と言ってもいい。しかし、信仰というのは目に見えないから発生するのだ。人は神を信仰するけど誰も神を見たものはいない。見えないから勝手に美化して勝手に神格化できるんだ。
 受験の話は、どうしようもない。本当に憂鬱だという気持ちしかなくて、解決策など思い浮かびそうにもない。いや、普通は「勉強すりゃいいじゃん」で済むはずだけど、それができたら苦労しない。だってほら、周りを見てみるとさ、クリスマスなのに予備校行くだとか言ってるんだ。授業中も大半はまじめに授業を聞き出している。頭がおかしくならないのかみんな。座り心地の良くないかったい椅子に縛り付けられて6、7時間も自分からやりたいと言ったわけでもない授業という名のつまんねー長話聞かされて。いや、グループワークとか話し合いもあるけどさ。それだって自分の選択とはいえない。果たしてそれは学習と言えるのか? 洗脳の一種なんじゃないか?
 いやいや、わかってはいるさ。普通の人にはそもそも学び方も、何を学んだらいいかもわからないから偉い人たちが必死こいて効率の良い学び方の導線を書いてくれているのだと。そのための学校であり教科書であり教師であり教育を洗脳であるとするのはいささか極端で視野狭窄な思想ではないかと思うのだがねえあーもうやめだつまらない方向に話が転がり出した。こんな何度も擦られたであろう話を今更書く必要はない。
 どうせあれだろ、冒頭だけ読んで、「あ、こいつ受験から逃げてるだけだろ」とか思ってブラウザバックする人が大半なんだろうなあ。あるいはコメントを書きにくるかもしれない。「あなたは受験から逃げてるだけですよ。失恋が辛いのも逃げ場がなくなった痛みなんです。本当に辛いのなら今すぐ寝て、頭がすっきりした状態で明日から勉強に励めばいいだけの話なんですよ。そうしたら失恋の痛みも消えて成績が良い他の子も追い抜ける。全てがうまくいくんですよ、大丈夫」最後にニッコリマークの絵文字なんか添えちゃったりして。ああムカつくな。たとえそれが真実であろうと、わかったような顔して赤の他人に自分を語られるのはイライラするし、アドバイスなんかされるともっと嫌になる。思春期の素直じゃない子供はそうなのだ。誰よりも救われたいくせに、誰からの言葉も聞き入れようとしない。全くの自己矛盾だ。なんて。結局私も、自分がそうであるってだけで思春期の素直じゃない子みんなの気持ちを代弁したかのような文を書いてしまった。赤の他人に自分を語られるのが嫌だって言ったばかりなのに。本当に自己矛盾だらけだ。
 いや、あるいは誰もこんな文章見てくれないかもしれない。現実はいつもそうだ。批判に怯えてなにか表現してみてもそもそもこっちを見てもくれない。だからといって見てほしいと声高に叫びまくるのも無様な気がしていつもは気が引けてしまうけど今日はそんなことをしてみても良い気分だ。
 みんな、私を見てよ! 私、他の人とは違うの! 特別で、選ばれし存在なの! ほら、よく見て! 輝いてるでしょ? オーラが違うでしょ? ボンクラなあいつらとは月とすっぽんでしょ? そう思ったなら返事して。私の言葉になにか反応ちょうだいよ。
 あれ? なんにも聞こえないや。
 もう一度聞くよ、せーの。
 あれ? あはは、本当になにもないや。誰もいないや。
 結局私、独りぼっちの有象無象じゃん。
 そう悟ってしまうともうあとは深夜によくある恨みつらみの一つとしてこの独り言も電子の海に埋もれていく。深夜の海は真っ暗で冷たくて、誰もそばにいてくれやしない。

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