トイレタンクの上に、食べかけのピザ1切れ

 アメリカは何よりも自由を尊重する国民性で、一人一人が文化にも政治にも明確な意見を持っている。

 アメリカ人と話すときは自分が知っている知識を話すだけでなく、その知識に対して自分はどう思うのか、どんな意見を持っているのかを明言しなくては個人として認めてもらえないそうだ。
 だから通常の会話の中でも、ニュースや身近な出来事に対してあなたはどう思うかと頻繁に訊かれるし、自分の言葉で意見をハッキリと言えない人はその場にいない者として扱われることがある。
 日本人のように相手が言いたいことを察してあげたり、代わりに言ってあげるということは、無い。相手の言いたいことを最後まで聞く姿勢を持っているので、たとえ言葉が不自由でもこちらが何かを伝えようとしている限り、きちんと聞く姿勢をとってくれるし、伝え終わるまで待っててくれる。
まぁ、相手も人間だから毎回そうとは限らないけど。

 自由の国、アメリカ。個人の思想と自由が保障された国民性は子供のころから教育される。
 アメリカは毎年9月から新しい年度が始まるので、学校も9月に入学式や進級式が行われる。そして翌年の5月末が年度末にあたり、卒業式や終業式となる。6月1日~8月31日がサマーホリデーと呼ばれる3か月間で、日本でいう夏休みにあたる。

 アメリカの清掃会社に勤めていたとき、サマーホリデー期間中の小学校に5日間だけ清掃業務で入ったことがある。
 そこは・・・アメリカの小学校は自由過ぎる空間だった。

 清掃用具を持って教室に入るとドギモを抜かれる。
一言で表現するならば 『汚い』。 ものすごく『汚い』。
この『汚い』は例えば、教室内の机が乱雑に置かれているとか、床に紙くずが散乱しているという意味ではない。文字通り、本当に真面目に汚いのだ。

 床、壁、ドア、窓枠が鉛筆、サインペン、極太マッキーなどありとあらゆる筆記具を使った、統一性のないカラフルな落書きに満ちた教室だった。
 おそらく終業式が終わったあと、子供たちがクラスの記念に1人1筆づつメッセージを書いたのだろう。その証拠に落書きは床から高さ150cm以下の範囲に書かれており、そのメッセージも短文のコメントだけでなく、イラストや人物画も描かれていた。そして野球選手の写真が・・・これはスポーツ雑誌から切り抜いたものと推測するが、バットを構えて豪快な笑顔を浮かべる野球選手の写真が20~30枚ほど教室の床に液体のりで貼り付けてあって、その周囲に I Love you と書き殴られていた。

 これを1枚1枚、丁寧に剥がしていけってかー! 自由過ぎるだろー!

 床の落書きはポリッシャー洗浄機で一気に消せるけど、壁と窓枠の落書きはシンナーのような溶剤で1つ1つ手作業で消していかねばならずその手間を考えただけで大変な仕事だと実感させられた。むしろ1つ1つ消していくよりも、落書きの上からペンキを塗ったほうが早いんじゃないかと思う。
 床は落書き以外にも鉛筆、ボールペン、消しゴム、丸めた紙くず、アメやガムの包装紙など様々なゴミが転がっていた。

 そして今、7月末の真夏でしかも連日炎天下が続いている。防犯上、ドアも窓も閉められて厳重にカギをかけられていた教室内の気温は40度を超えていた。まずはすべての窓を開け放つところからスタート。

 室内の落書きばかりに目を奪われるけど、実はものすごい汚さが嗅覚にも訴えかけてきていた。鼻が曲がりそうな匂いとはこのことを言うのかと涙目になり、冗談抜きで鼻栓が欲しい。悪臭の原因は机の引き出しの中に置いてあった生菓子。
 5月31日の終業式のあとに教室が閉められて6月~7月と丸々2ヶ月間、気温35度~40度の暑さで発酵した原形をとどめていないプリンアラモードらしき物体だった。透明なプラスチックカップに入ったプリンに、生クリームとカットフルーツが飾り付けられたプリンアラモード。あれが机の引き出しのなかで発酵しているなんて誰が想像する?

 清掃初日から強烈な体験をしたせいか、視覚と嗅覚にアメリカの洗礼を受けたような気分だ。なんて言えばいいのか、うつろな目で遠くを眺めながら(もう何が来ても驚かないぞー)という諦めに似た気持ちになった。


 アメリカ人にとって掃除とはハウスキーパーや清掃業者がやるものという価値観が徹底しているので、子供達も公共の場をきれいに使う習慣が無い。教室で出たゴミは床に落とし、野球場でテイクアウトした飲食物のカップや包装紙はベンチの下、または地面に置いていく。自分でゴミ箱を探して捨てる習慣がなく、むしろゴミ箱へ捨てにいくのは清掃業者の仕事を奪ってしまうことになるのでNGだそうだ。
 日本とはまったく違う価値観に驚いたが同時に、だからトイレも公共の場もあんなに汚いのかと納得した。納得せざるを得なかった。


 アメリカビジネスホテルでハウスキーパーとして働いたとき、びっくりすることがあった。
 私たちの仕事は4~5人のチームで客室の清掃がメインである。そのほかに滞在中の客室のベッドメイキングやアメニティの補充、簡易清掃、そして共用廊下や喫煙所の掃除を担当している。

 そんなある日、客室の清掃業務に入ったときユニットバスのトイレタンクの上に食べかけのピザが裏返しの状態で置き去りにされていた。これには清掃員のみんなもびっくりしてしまった。なぜならキッチンにも、ゴミ箱にもピザの包装箱がなかったのになぜか1ピースだけトイレにピザが鎮座しているのだ。もちろん齧ったあとの歯形までクッキリ残っているし、ベーコンやチーズが乗っている面を下向きにして置かれているのだ。
 いったいどんな事情でこんな状態ができあがるの?と不可解すぎる状況にみんなで首をかしげてしまった。

 この客室は10日間滞在したお客様が今日の午前10時にチェックアウトしたばかりで、すぐに私たちが清掃に入った。
 ベッドカバーが床に落とされていたり、キッチンの床に潰したビール缶が散乱しているのはよくあること。天井の煙感知器にビニール袋をかけてバレないようにタバコを吸っていたあとがあったり、浴室のシャワーカーテンが栗の花の香りに染まっていることもよくあることだ。
 しかしトイレタンクの上に食べかけのピザ1ピース置き去りという状況は初めてだったので、チームのみんなで新たなミステリーが始まるかもしれないと笑い合った。


 よくよく考えたらアメリカは土足文化なのだ。
外から玄関ドアを開けたとき、日本ならば靴を脱いで『上がる』。
しかしアメリカではシャワータイムや寝るとき以外、靴を脱がない。

日本の玄関は脱いだ靴を置いておく玄関スペースに対して、住居スペースが一段高く作られている。これは文字通り、片足を上げて『上がりこむ』動作につながっている。
 しかしアメリカのホテルの客室の入り口はドアを開けたところからフローリングの床になっており、一般的な店の入り口のような作りになっている。
玄関らしいものといえば分厚い足拭きマットが置いてあるだけで、玄関から直接リビングや寝室につながっているのだ。
 そこそこまともな日本人の感覚を持っている人なら自室の床にルームサービスのジュースをこぼした場合、すぐにティッシュなどで拭き取って綺麗にするだろう。そのままにすると自分が滑って転ぶかもしれないし、自分の衣類やベッドの敷布などに染みついてしまったらイヤだから。 
 しかし彼らは自室の床にビールをこぼそうと、割れたガラス瓶が落ちていようとハウスキーパーが片付けてくれるまで放置する。あるいはゴミを足で蹴って、邪魔にならない壁際に寄せるだけ。室内でも土足を履いているから自分の足は汚れないし、割れたガラス瓶を蹴ってもケガをしない。
 極端なことを言ってしまうと自分が座るイスの座面さえ汚れていなければ床が泥まみれだろうとゴミだらけだろうと、どうでもいいのだ。逆にそこまで汚れを気にせずにいられることに驚くわ。

 1度だけ、清掃中に食べかけの食事を床に落とされたことがあった。
白人男性の客室にベッドメイキングと簡易清掃に行ったら、ご本人がひとりで食事中だった。客室のドアを開けて私たちを招き入れた白人男性は、私たちをチラリと一瞥してからテーブルに置いてある食事中のものをテイクアウトの容器ごと、ごく自然に右手で床へ払い落したのだ。そしてユニットバスへ行き、歯磨きを始めた。

 (この人、何してんの?)
驚きのあまりに固まった私にかまわず、先輩たちは何も言わずに黙々と掃除を始めた。床に落とされた容器を拾い集めてゴミ袋へ入れると、フローリングの床に飛び散った食事をキッチンペーパーで丁寧に拭き取っていく。
 しかも、その白人男性がハウスキーパーに対する意地悪でやったわけではないことは、その態度や行動から明らかだった。

 清掃を済ませて退室すると先輩から
「あの程度でいちいち驚いてたら身がもたないよ。」
と、言われた。となりにいたリーダー格の先輩からも
「あの行動は白人である彼らにとって当たり前すぎることで別に意地悪でもなんでもないの。彼らは本気で私たちを黄色いサルだと思ってて対等な人間だと思っていないし、仮に私たちが白人だったとしてもハウスキーパーなんて庶民や貧乏人の仕事だから敬意を持って接してもらえるわけないでしょ。あの男性はコテコテな白人主義が根っこにある環境で育ったアメリカのエリート階級で、それなりの一流教育を受けたビジネスマンで、ここはエリート階層の白人が集まる地域なんだから日本人の常識が通じるわけないでしょ。
早く慣れないと、っていうか、気持ちのうえで割り切れるようにならないとこっちのメンタルまでやられちゃうよ。」

  すごい! ここは18~19世紀の奴隷時代の価値観のままだ!

 これが人種差別の現実か。
 たしかにその瞬間は驚いたけど、日本で通常の生活を送っているだけでは決して経験できないことなので、ある意味貴重な体験だった。アメリカ人の衛生観念もぶっとんでいるけど、それ以上にあれほどナチュラルに人種差別を経験するなんて思っていなかったから、これこそまさに本物のカルチャーショックを受けた。

 でも先輩の言い分にも納得した。200年ちかく続いてる人種差別がたったの10年や20年でひっくり返るわけないのよね。
 世界中で人種や性別の多様性が認められ始めたけど、200年以上も続いた価値観がそうそう変わるはずがないよね。今はまだ変わり始めるキッカケの段階に足を踏み入れただけ。ここから変わっていくには最低でも30年~40年以上かかるでしょうね。

 さてはて、これから人種差別はどう変わっていくのか見届けられないのが残念だわ。
    
                          おわり



 

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