英語に侵略され過ぎ?

第二次世界大戦で日本は負けた。
と、学校で習った。
生まれる前の話だ。
どうしてみようもない。

それはそれとして、私の受けた教育で根付いた物も英語に侵食されているのが気にかかる。

酸性/アルカリ性の指標である水素イオン濃度「pH」、私の時代は「ペーハー」と読むと教育された。
これはドイツ語読みである。
現代の生徒は「ピーエイチ」と読むらしいではないか。
ドイツ語を教えてないからなのか?
アルファベットを読めるようになった子供に「なんでピーエイチと書いてあるのにペーハーって読むの」と聞かれるのが面倒になったのか?

教育上の都合があるのだろうが、英語一辺倒になることにはいささかの危惧を覚えてしまう。

とはいえ、日本で育った人間は基本的に日本人だと思うのだ。
言語構造もまるで違うので、英語に征服されることはないと信じている。
多様な文化を適当に内在化するのが日本人の得手とするところではないだろうか。

「ミシン」は、「ソーイングマシーン」の「ソーイング」が日本語の「それはね」的に聞こえて「マシーン」だけが音として「ミシン」で定着したと思っている。
日本人は長めの単語を嫌う傾向がある。
「パン」は「ブレッド」に負けないようだ。
「ズボン」「パンツ」は聞く。
「トラウザー」という日本人が出てこないことを切に祈っている。

アイスクリームは最初、「アイスクリン」という名で売られていた。
耳で聞いた状態だろう。
アルファベットが適当に読めるようになって「アイスクリーム」になったのだろうと想像するが、「アイスクリン」で定着していたのなら、恥じることなくそのままで良かったのではないだろうか。
歴史・文化とはそういうところが「味」な気がするのだが。
聞き取れなかった恥ずかしさより、そう聞こえたことの歴史を刻んではどうだろう。

さて、別にドイツ語推しではないが、ニュースなどで「シュプレヒコール」の単語を聞くと、「あ、ドイツ語残ってるな」とちょっと嬉しくなる。
(英語で表すなら、スピーク+コーラス)

その時代に生きてはいなかったが、「御禁制のギヤマンの壺」とかいうワードにワクワクを感じるのが昭和世代で終わるのは実に惜しい気がしてならないのであるが。

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