少年野球 回顧録 我が子の場合 その④
こんにちは。少年野球おじです。
前回まで、息子の1年生の少年野球チームでの過ごしてきた形を記事にしてきました。
今回は2年生に上がって、どのように過ごしてきたかを書いていきます。
コロナ時期
2年生になった時はコロナが前の年に発生し、今までに前例が無い状況の中、少年野球部会においても選択を迫られていた時期でした。
学校のグラウンドは使用不可となり、我々チームにとっても、活動の出来る場所が無くなりました。
今まで我が県においては、都市部と異なりグラウンドの確保はしやすい状況でしたので、練習場所が無くなるというのは今まであまりなかった状況です。
また、大会においての開会式は無くなり、大会があっても試合のみ行われる形となりました。
グラウンドがなく、何も出来ない状況かと思いきや、市の方で通常、大会を行うグラウンドを一般に開放するとの事で、我々チームは希望参加という形で自主練習を開始いたしました。
この時期にこの練習が非常に良かったと今となっては感じております。
通常、グラウンドがある場合はノックを打って、捕球の練習が多い中、グラウンドの広さも十分に無いので、基本的には手ゴロ、もしくは緩いノックでコーチに細かい所を指摘されながら、捕球の回数を増やしていく。
私は今でもチームでコーチをしておりますが、ここまで捕球練習をした事がありません。
広いグラウンドでは少し勿体無い気持ちにもなりますし、子供が同じ事をずっと繰り返すと飽きてしまうので、あれこれ練習方法は変えていきます。
ただ、この時は子供達も事情を把握しておりますので、粛々とゴロを捕球しておりました。
今では息子は自分のアピールポイントに【固い守備力】と自分で言ってますが、この頃の守備練習が自信に繋がっていると思います。
県大会へ
この頃のチームは強かったと思います。息子の4年生の代には12人おり、決して弱くは無いですが、息子が2年生の時の4年生は強かったと思います。
県大会へ進むまでの地方大会において、1回戦で地元でも有名な強豪チームと当たりました。ここでも4年生がしぶとく勝ち上がり、その後も順当にトーナメントを進めて、見事県大会への切符を手にしました。
この頃になると、当初4年生の少なかったチームですが、2人加入し、4年生に8人、3年生に3人、2年生に2人と人数としてはそこそこ揃ってきました。
当然ながら、息子の2年生2人は出場機会は減りましたが、ここでベンチワークやランナーコーチを学んでいった良い時期だと思います。
私も心の中では、(この4年生やったら県大会に出場してもワンチャンスあるのではないか。そこそこいけるのではないか)と感じておりました。
県大会出場
県大会1回戦は有名な強豪チーム。あまり少年野球の知識の無い私でもチーム名を知っているぐらいでした。
序盤はリードされ、苦しい展開でしたが、入って間もない4年生の子がレフトにヒットと思われた当たりがワンバウンドで頭上を超え、そのままホームラン。
その時に結果の出ていなかったその子がホームベースを踏む時の笑顔は今でも忘れません。
これが決勝点となり、1回戦を勝ち上がり、私はますます、(ワンチャンスあるぞ。マクドナルドあるぞ)と密かに思っておりました。
続く、2回戦。
ちなみにマクドナルド(少年野球の全国大会で一番有名な大会です)までは残り3回勝たないとダメです。
この2回戦も勝てると考えておりました。
ここまで書くと結果がわかったようなものですが、まさかのコールド負け。
めちゃくちゃ強かったです。手も足も出ないとはこれの事です。
私は非常に衝撃を受け、全国レベルとはこれの事か!!と思った記憶があります。
しかも、怖い事にこの負けたチームも次戦でボコ負けしてました。
これもショックでした。
やはり、マクドナルドに行けるのは、強豪中の強豪チームしか行けないのだなと感じました。
秋から冬へ
この頃は徹底的にバッティングをした時期でもありました。
時間さえあればトスをあげてのバッティング。また、バッティングセンターにも足を運びました。
本当にたくさん振りました。いつもトスバッティングの練習やバッティングセンターに行った帰りにコンビニに寄り、好きなものを買って食べるのが習慣になっておりました。
この時に「こんだけ振ってる2年生多分おらんのに、ヒットが出ないのは辛いなぁ〜。俺の教え方が悪いかもしれへんな〜。すまんな〜」と私。
「そやろな〜。うまい子はもう出てるもんな。ヒット。他のチームで見た事がある。まあ、楽しいからええよ。ヒット打てたらもっと面白そうやけどな」
と、今でも変わらないダイレクトな意見をぶつけられました。
ただ、1年前のこの頃よりも見違えるほど芯に当たる事も多くなり、バッテイングセンター内においては、ヒット性の当たりも増えてきました。
しかし、練習試合や実際に投げてもらった時にはいつもと違うコースには合わず、なかなかヒットは出ていない状況です。
練習試合や地域のローカル大会においては、4年生がベンチで息子も出る機会があったのは、バントの確実性と外野守備が当時の4年生より出来ていたからです。
ただ、バントもランナーがいて生きるもの。
セーフティバントが成功するほど足も速くないので、ランナー無しの場合は四死球のみでしか進塁出来ないのが、チームにとっても使うのが難しいと思います。
新3年生最初の大会
今の4年生が新5年生となる時期、少し早いですが、3月にジュニアの最初の大会が行われます。
息子は実質2年生ですが、登録上は3年生です。
新ジュニアチームの初陣です。
自チームだけでは人数が足りなく、隣チームとの合併チームとなりましたが、3番ショートでの出場です。
新3年生になる手前で監督から「3番ショートで固定するから。バントも多いけど、もうヒッティングも出していくから。結果が出なくても8月までは使い続けるから」と言われ、本人も鼻息荒くこの試合に臨んでました。
この試合では初回からチャンスが来て、2番バッターがヒットと盗塁で3塁ベース上に。
息子がバッターボックスに立ち、私は確実にスクイズのサインが出ると思っていたので、いつ出るのかな〜と思ってみておりました。
1球目は見逃しストライク。
続く2球目でした。
自慢のドアスイングでうまくタイミングが合い、センター前にヒット。
コーチもギャラリーの親御さんも息子のヒットが出そうで出なかったのを知っているので、ものすごく盛り上がり、すごい歓声でした。
バックネット付近で観ていた私は、曇り空にも関わらず、サングラスをかけました。
恥ずかしながら、涙が止まらず、振りまくった日々を思い出して感極まってました。
何かのタガが外れたのか、次の打席でも2塁打を打ち、大満足で家に帰ってきました。
いつも、選手と監督の間で交わされる野球ノートがあり、その中で監督が
【○○がヒット打った時、おしっこちびりそうになるぐらい嬉しかったぞ!スクイズと迷ったけど、スクイズの方がミスりそうやったから、せめて内野ゴロをと思った。ナイスバッティング!!】と書いていただいておりました。
試合には負けてしまいましたが、息子にとっては忘れられない1戦となりました。
次回は3年生となり、レギュラーとなった1年間について書いていきたいと思います。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。