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「正しさ」の世界の外へ。

気づいたら年を越していた。
という感覚にも、毎年馴染み深くなってきていると感じた。

一年前の今日は、プー生活5か月目に入った時だった。
そのときの自分が今の自分を想像していなかったことなんて当たり前なのに、そのことがとても不思議に思える。


新しい仕事を始めて7か月が過ぎた。
私の入社後に退職した女の子の穴埋めは私の能力では難しく、その状況に合わせた業務体制が作られてきていた。
「その場にいる人間で何とかするしかない」という考え方を、自分が置かれている空気感から皮膚感覚として理解していった。

私は、さすがに入社当時よりははるかにましになったとはいえ、相変わらずのミスを繰り返しては苦い顔をされて落ち込む日々が続いている。
それでも、仕事の手順を少し変えたり、自分がやりやすいと感じる方法をあれこれ試してみたりするうちに、いくつもの点が数本の線になり面ができ、あるとき突然それらが立体の一部分として見え始めた。
でも、それはあくまで一部分であって、全体が見えていなかったが故に取りこぼしたのだと気づくミスもたくさんある。
できていないこと、分かっていないことは、気が遠くなるほどたくさんあるのだと感じる。
私はいつまで、どこまでこの職場で頑張れるのだろうか。
そんな思いが浮かぶのと同時に、「考えても仕方がない、今できることをやるしかない」という思いも立ち上ってくる。

以前の職場でお世話になっていた6つ上の女性とは、1シーズンに一度くらいの頻度で会っている。
彼女は仕事のことで悩む私をいつも明るく笑い飛ばしてくれる。
新しい仕事に就くたびに「できない自分」を責め、向いていない仕事を繰り返し選んでしまっているとクヨクヨ考える私に彼女はこう言った。

「みまりい、いつも同じこと言ってるよね」

それを聞いて、私は「ああ、大好きなこの先輩にもついに愛想をつかされたんだ」と思った。
「辛い、向いていない」と職を変えても、新しい職場に飛び込んで口にするのは同じセリフ。
同じ悩みを繰り返さないようにしているつもりなのに、必死で頑張っているつもりなのに、実際のところ何も変わっていない。
それをズバリと指摘されたのだと思った。

ところが、先輩の言葉の意味はそういうものではなかった。

「(みまりいの)この歳までたくさん働いて頑張ってきたんだからさー、『見えません。聞こえません。分かりません。』でひらひらしていていいのよー♪」

先輩は、私とは正反対の「デキル人」である。
でも、私のような「できない人」のことも理解してくれ、同じ職場にいたときは実務面でも精神面でもたくさん救ってもらった。
当時「テキトーにやってればいいのよー♪」というアドバイスをもらったときの驚きとホッとした感覚は今も忘れられない。

おそらく私のようなタイプは、よほど合う仕事や職場に巡り合わない限り、「できない自分」と向き合う状況に置かれることがほとんどなのだろう。
そして、ここに大きなポイントがあるのだ。

これまでは、「『できない自分』を少しでも『できる自分』にするべく努力する」ことが当たり前だった。
それは疑いようもなく「正しいこと」であり、周囲の人に少しでも受け入れてもらうためにも絶対に必要なことだった。
そう、信じていた。

確かに、「できないなりに頑張っている私」を評価してくれる人もいる。
けれど、「できない自分」が迷惑をかけていることに変わりはなく、そのことに対してまっとうな(厳しい)評価をしてくる人も当然、いる。
さらに言えば、前述の先輩のように「頑張らなくてもいいのよー♪」という人だっているのだ。

私はずっと「できない自分」のことで苦しみ続けてきた。
できるようになるための努力をやめないことが唯一の正解だと信じてきた。
できる自分になれれば苦しまなくていい。きっと今より楽になれるはず。
そう思っていた。

けれど、私は、この先どんなに努力しても「できる人」にはたぶんなれない。
そして、その努力をやめない限り、たぶん永遠に楽になれない。

「できない自分」に苦しむ日々から解放されたい。楽になりたい。
そのためには「できない自分を責め、努力することが正しい」という価値観の世界から抜け出すしかない。
正しいと信じてきたことを手放す怖さや、それまで自分を評価してくれていた(ように見えた)人たちから失望されるかもしれないという不安があっても。

「できないなりに真面目に頑張る」ことができるのは自分の長所であり、それをやめるということはその長所も手放すということにもなるのかも。
ここでまた気づいたことがある。

私は自分の『長所』に縛られて苦しい思いをしているのだろうか。

誰かのために気を遣い、良かれと思うことをする。
その全てが相手への純粋な思いやりからのものではなく、そうすることが正しいと信じていて、自分を許し認めるためにそうしているのだという自覚も持ちつつ、私は相手に対して出来ることを差し出す。
そのために辛い思いをする、というパターンを繰り返してしまう。
この辛さから抜け出すために必要なのは、やはり「正しさを手放すこと」なのだ。

私は、この半年の間に知り合ったある人と、深い関係になった。
それは、倫理的・道徳的にあってはならない関係だった。
自分の人生においてそんなことが起こるとは、本当に思いもしなかった。
自分が尊敬できるものを持っている人から好意を寄せられ、幸せな気持ちでいられた時間はそれほど長くなかった。
相手のささいな一言やちょっとした振る舞いに傷つくことが増えながらも、相手が時折見せる「弱さ」に敏感になり、それを受け止めなければという思いを手放すことができなかった。

そんなもやもやした日々の中で起こったある出来事のおかげで、私はようやく「都合よく利用されていたのだ」と気づいた。

その日、私は風邪をひいていて、仕事を早退して帰宅していた。
その人は「風邪がうつるから来ないで」という私の言葉を無視して私の部屋にやってきた。
そしていつものように勝手にテレビをつけてしばらく観ていたと思ったら、目的の行為を私に要求し、それが済むとさっさと帰っていった。

しばらくの間、この出来事をどう捉えればいいのか分からなかった。
こうして文字に起こしてみると、どうもこうもない、極めて分かりやすいパターンではないかとはっきり分かるのに、こと自分のこととなるとこんなにも客観的な判断ができないものなのかと驚いた。
何より、こうして文字に起こすことの痛みを、何とか感じないようにしているという事実があることにも気づいてまた驚く。

その人と過ごす時間の中で感じていたいくつもの痛み・もやもやを、何とか自分の中で消化してしまおうとしていたのはなぜだったのか。
相手のことが好きで、今ある関係を壊したくなかったからか。
相手にとっての「オアシス」でありたかったからか。
それは相手を想う気持ちからだったのか。
相手の弱さを敏感に感じ取れる自分の「長所・能力」を使うことが正しいことだと信じていたからではないのか。
そのことで単に自分の存在価値を証明したかったからではないのか。

いずれにしても、私自身が信じていた「あるべき自分」の前で、「本当は傷ついていた自分」を無視し続けていたことだけは確かだった。
これまでの私にとって大切なことは「自分が正しいと思う自分であること」だった。
そういう価値観で出来た世界で生きていた。
その世界にいる限り、私はこれまでと同じ苦しみを、これまでと同じように抱え続けて生きていくしかないのだと気づいた。
それが嫌なら、その世界から抜け出すしかない。
抜け出して、「正しさ」を免罪符にしない世界に移る。
周りから評価されなくても、責められることがあっても、自分の気持ちを大切にする勇気を持つ世界で生きる。
それは、おそらく誰の力も助けも必要なく、自分が決めるだけで出来ることなのだ。

「自信があるかどうかは関係ない。自分がやりたいかどうかだよ。」
時折蘇る、亡くなった主人の言葉である。
自分が思う「正しさ」の前に口をつぐんでしまうクセに気づいて、「辛い、苦しい、楽になりたい」と感じている自分に気づいて、「どうすれば楽になれるか」を、「正しさ」を抜きにして考えてみる。


後半の内容については、今回の記事を書き始めるまでは書く決心がついていなかった。
いずれ書くとしても、自分の中でほぼ消化されてから改めて向き合おうと思っていた。
でも、書き始めると頭と心の中がゆっくりとかき混ぜられ、これまでなかった要素がぽつぽつと小さく生まれてくるのを感じた。
それらが、この半年で固くこわばり始めていたものをそっとほぐしていったようだった。

年末年始のまとまったお休みの中で、プー生活をしていた頃のような「自分の中に深く沈みこむ感覚」を久しぶりに取り戻すことができた。
書くことで自分の心と向き合おうと、ようやく思えるようになった。
それでも、傷をえぐるような向き合い方をしそうになっている自分をどう扱うべきか、小さな炎が燻るように考え続けていた。
でも、やっと湧いてきた「書きたい」という気持ちを、生かさずに捨ててしまうようなことはしたくなかった。
そうして半ば見切り発車的に書き始めた。

本当は今もまだ、ためらう気持ちが少し残っている。
批判や軽蔑の声を覚悟しなければ。
嫌な気持ちにさせてしまう人もいるだろう。
そもそも、あるべきでない関係を持ったこと自体、すでに「正しい自分」ではない。
それをあえて晒す意味があるのか。

「自分がそうしたいからする」

「正しさ」を最優先する世界の外にあったのは、たった一つのシンプルな答えだった。

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