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大切でない人に、必要以上のエネルギーを注がない勇気。

数日前に起こった出来事を消化・吸収するのに時間を要している。
今もまだ、飲み込んだものを見直しては再度嚙み砕いてみるということを繰り返しているところである。

その人とは家事代行の依頼を通して知り合った。
彼女は初対面の時点で私の仕事への姿勢や考え方などを称賛してくれた。
私にとって初めての依頼者だったその人に認められたことは、この上ない感激だった。
彼女がぽつりと話した身辺事情につられて自分も同様に自分の話をしたところ、彼女はいたく感動して自身の長い身の上話を始めた。
私は本来の仕事である掃除に手をつけるタイミングを失ったまま、その話をひたすら聴いていた。

彼女は数年前に起こったとある出来事により心に深い傷を負っており、毎年その出来事が起こった日の前後は寝込んでしまうというパターンを繰り返していた。
私が彼女と出会ったのは、まさにその時期だった。

彼女は私に話をしたことでこれまでにないくらい楽な気持ちになれたと何度も繰り返し、私はその後も依頼を受けるたびに2~3時間ほどの話を聴いた。
予定している掃除が終わらないことを気にしていると「掃除はほどほどでいい」と言われ、その時点で求められていることをしていけばいいのだと切り替えた。
依頼された時間の半分以上を費やすこともたびたびあり、終了時刻を過ぎた後も喫茶店でごちそうになるかわりに話をしたり買い物に付き合ったりすることもあった。

会っている時にはなかったことだが、彼女は一人でいるとき、頻繁に発作を起こして救急搬送されていると言っていた。
家から出られず、食事や入浴もままならず、昼夜逆転の生活をしているとも聞いていた。
何度かの依頼とメールのやりとりの後はしばらく連絡が途絶えていたのだが、突然メールが来たのは私のフルタイム勤務が始まる少し前だった。

やりとりをしていなかった間に、彼女は犯罪被害に遭っていた。
心身に深刻なダメージを負い、家族にも友人にも言えずに苦しんでいるとのことだった。
彼女は過去に法律を勉強したことがあり、弁護士に匹敵する程度の知識を持っていると言っていた。
その知識を駆使して加害者を訴えるための準備を始めていたのだが、訴訟の材料をそろえる中で何度も発作を起こしては搬送されていたらしかった。

加害者は過去にも訴訟沙汰を起こしており、彼女はその裁判記録も利用しようとしていた。
だが、訴訟に直接関わっていない第三者は記録をコピー・転写(撮影)することができない。
つまり、大量の記録を手書きする以外に、それらを持ち帰る方法がないのだ。
久しぶりにきたメールには、その記録の閲覧に際し、体調不安がある彼女に同行してほしいという切羽詰まった心情が綴られていた。
私はそれを引き受けた。

閲覧予定だった日、出かける準備をしていたところに彼女からの電話が入った。
閲覧したい資料の準備が裁判所にできていないらしいとのことだった。
待ち合わせを取りやめるかわりに話を聴いてほしい、その分のカウンセリング料は払うからと、彼女は溜め込んでいた思いを一気に吐き出し始めた。

話を聞いていくうちに、彼女のひきつったような口調が次第に和らいでいくのが分かった。
ひとしきり話し終えてだいぶ落ち着いた様子で、彼女はこんな提案をしてきた。
これからも、このような形でカウンセリングをしてほしい。
これまで出会った精神科医やカウンセラーからは、高い料金を払いながらも満足のいく対応をしてもらえたことがなかった。
みまりいさんはそれらのプロよりもずっと信頼できる。
日時や時間は自分の希望を伝えるが、みまりいさんの負担にならない範囲で受けてほしい。
料金もみまりいさんが決めてくれていい。

かつてカウンセラーを目指したことのある私にとってはまさに望外の喜びだった。
とはいえ、プロでもない私が頂いてもいい金額とはどのくらいなのか。
それとも、ここは頂いた評価を堂々と受け取って自信を持つべきなのか。
逡巡しつつ、結局は家事代行と同額の時給とすることにして、その旨をメールした。
この時点で、振込は2~3日中にあるものだと思い込んでいた。

それから何度か、彼女の近況を知らせるメールが届いたが、振込は一向になかった。
ご家族との大切な予定その他で忙しくしていることは承知していたが、わずか数千円の振り込みができない状況にあるとは思えないというのがこのときの正直な気持ちだった。
ここに、第一の大きな行き違いがあった。

私は、仕事(今回は電話でのカウンセリング)が終わった時点で支払いがなされるものだという感覚を持っていた。
それは、実際の金銭の受け渡しということではなく、支払いの確定がされるということである。
このときは支払い日時についての取り決めはしなかったので、私が一方的に即時支払いを想定していた。
他方、彼女は家事代行の流れでの支払いサイクルを想定していたらしく、システム上の取り決めとなっている一か月後と同等でよいという考え方をしていたらしい。
もっとも、支払いができなかったのは体調不良のためで、初めから1か月後のつもりではなかったようだけれど。

振り込み日時の明確な取り決めがないままやりとりを続けるストレスがこんなに大きいものになるとは思わなかった。
彼女が抱えている状況が過酷なものであることは十分承知していたつもりだったけれど、自分自身の中にモヤモヤを抱いたままカウンセリングを引き受けることはできないと思った。

後日、ためらいつつも思い切って「振り込み予定日を教えて欲しい」というメールをしたが、それに対する明確な返答はなかった。
事情を抱えていると分かっていても、相手への不満や不安が日増しに募っていくのを止めることができなかった。
軽んじられている、と感じるようになっていた。

振り込みがないまま、彼女から次の依頼がきた。
彼女は前回のカウンセリングの後、一人で記録の閲覧をしに行ったそうだが、いざ書き写そうとしたとたん体調を崩してトイレに駆け込むしかなかったとのことだった。
数か月ぶりのメールで彼女は「一生のお願い」とした上で、その作業を代行してくれないかと頼んできた。
こんなことを頼める人は他にいない、作業代はいくらでも支払うからという言葉が繰り返し並んでいた。

私はそれまでの不満・不安を何とか飲み込んで、依頼を引き受けることにした。
その仕事が終わった時点で全て精算してもらい、それが完了するまでは次の依頼は受けないと決めた。

初めて足を踏み入れた裁判所。
閲覧室で書き写すように頼まれた資料は、A4サイズ・厚さ1.5センチほどの紐綴じのものと紙ファイルに綴じられた数枚の薄いものだった。
彼女から受けていた説明は「大学ノート1冊にも満たない薄いもので、2時間くらいで全て書き写せる」というものだった。
その説明の意味するところが分からなくなった。
とてもじゃないが、2時間でこれを全て書き写すことは私にはできない。

とりあえず資料を全て読んでみたが、内容を把握して要点をつかむのに1時間以上かかってしまった。
それでも、「訴状」「答弁」「和解」の3つのポイントを押さえれば経緯は分かるものになると気づき、その部分だけなら当日中に何とか書き写せるという見通しが立ったので、その旨を彼女にメールして早速取り掛かった。

午前中から夕方までかかってどうにか作業を終えて帰途についた私は、緊張感と疲労感を引きずりイライラする気持ちを押さえられなかった。
彼女から受けていた依頼内容と実際の作業との違いに戸惑っていた。
これが、第二の大きな行き違いとなった。

彼女は決して嘘をついたわけではなかったと思う。
彼女と同等の能力を持つ人なら可能な作業だったのだろう。
そして、彼女は私にもその程度の能力があると思っていたのだ。

他方、私は「誰にも頼めない依頼」だという言葉に寄りかかっていた。
自分に法律用語の知識や関連資料を読みこなす能力がないことを伝え、作業についての指示をできるだけ具体的に出してほしいと頼んでいたのだが、実際の資料を目にしていない状態で事前に受けた説明では把握できる情報量の限界があった。
それでも「誰にも頼めない依頼」なのだからと、考えられる範囲で出来ることを精一杯やろうと試みた。
でも、この資料を2時間で全て書き写すことができる人が本当にいるのだろうかという気持ちも消えなかった。
できないと感じるのは私だけなのだろうかと。

どちらにしても、依頼内容・作業内容への理解があいまいな状態で引き受けてしまったために、自分にとっても彼女にとっても納得のいかない結果になってしまったことは事実だった。

帰宅後、私はこの日までの作業内容と料金その他の請求明細を作り、抱えている率直な気持ちと合わせてメールで送った。
それに対する彼女からの返信は、以下のような内容だった。

『これまで、家事代行の仕事を始めたばかりのみまりいさんが低い時給で頑張っているのを応援しようと思ってきた。
カウンセリングその他の依頼もその一環だった。
でも、みまりいさんは丁寧な作業を売りにしていたけれど、掃除を依頼したときは作業が遅い、コストパフォーマンスが悪いと感じていた。
本来ならもっと高い時給を払って短時間で質の良い作業をする人に頼んでもよいところだった。

今回の作業についても、あまりにも時間がかかりすぎる。
みまりいさんの能力を過信していた私が間違っていた。
これについても、同じ金額を払うならプロに頼んだ方がいい。

人が心身共に弱っていて本当に辛い状態のときに、支払いについてのメールを送ってくるような冷たい人だということが良く分かった。
どんな事情があれ、自分の子供を捨ててくるような人だから。

自分はこれまでの経歴から身につけた知識をみまりいさんのために役立てようとしてきたつもりだけれど、今回の支払いをもって関係を終わらせようと思う。』

彼女は私の能力を買っていたわけではなかったのだ。
家事代行としてはコスパの悪い私を、彼女としては「あえて使ってあげる」というニュアンスだったのだと初めて気づいた。
言い換えれば「厚意」の一部だったのだと。
その「厚意」に対して私が不満を訴えた形になったのだと。

彼女とここまでの関係になったそもそものきっかけは、初対面時のやりとりだった。
初めからお互いの深い部分をさらけ出す流れになったことに、「運命的な出会い」を感じていたのは事実だった。
なかなかない出会いだと思ったし、これからどんな形になるのだろうという期待を持ったことも事実だ。
でも、同時に「違和感」を持っていたことも、本当は認めなければならなかった。

私は作業を終えたら速やかに帰宅したいと思っていた。
けれど、作業後に食事やスイーツをごちそうになるという形で2時間ほど話をするということが何度かあった。
そのたびに、「これも拘束時間の一部だよね・・・」と思ってしまっている自分がいた。
ここが、第三の行き違いだった。
行き違いというより、これは私の「間違い」だったと認めなければならない。

彼女は私を信頼して様々な話をしてくれていたと思う。
けれど、私にとって彼女は「依頼者」の域を超えていなかったのだ。
「依頼」という形で話を聴いてほしいということであれば、いくらでも聴くことができる。
けれど、「友人」「信頼できる知人」という立場で話を聴くという気持ちではなかったのだ。
そのことを明確にする勇気がないまま、私は彼女の「依頼」を受け続けてしまった。
結果として、私も彼女も大きく傷つくことになってしまった。

上記のメールを受け取ってからここまで、この出来事をどうやって消化すればいいのかずっと考え続けていた。
初めはただただショックだった。
けれど、仕事についても人間関係についても過去に同じような経験を繰り返してきたことを次第に思い出し、これからどうすればいいのかと考えるようになった。
それが、さきに書いてきた「3つの行き違い」をなくすことだった。

・依頼を受ける前に支払いについての取り決めをすること。
・依頼を受ける前に作業内容についての具体的な取り決めをすること。
それができない場合はお断りすること。

「3つの行き違い」の内2つは、今後個人的な仕事を引き受ける上で大切なこと。
書いてみると至極当然のことだと思うのに、いざその場になると意外に難しく、またある程度の勇気も必要なのだと気づく経験にもなった。

そして、今後の私の生き方としてとても大切なこと。
・それほど大切でない人に必要以上のエネルギーを注がないこと。

私は「聞き上手」だと言われることが多い。
自分でも、人の話を聴くのは好きだし、それ自体がアイデンティティのようになっていると感じる。
そこに唯一と言える自分の価値を見出してしまうからこそ、「大切でない人を大切にするフリ」をしてしまう結果になるのだ。

若い頃から、この「習性」のために自分や相手を何度傷つけてきたか分からない。
事が起こるたびに自分を責め、自信をなくし、また同じことを繰り返してしまっていた。

それほど大切でない人に必要以上のエネルギーを注がない。
そのためにはどうしたらいいか。

「人の話を聴くことに自分の価値を置くことをやめる」
これが、現時点での答えである。

私は、自分の価値を証明するために人の話を聴いているのかもしれないと思うことがある。
それをきちんと認めよう。
自信のなさが自分も他人も傷つけることがあるということを改めて心にとどめよう。
自分にとって本当に大切だと思える人だけを大切にする勇気を持とう。

そして何より、他人からの評価で自分の価値を決めない潔さを身につけよう。

今回の一件についての支払いはなされるかどうか分からない。
しばらくもやもやは残るだろうがここまで整理できたので、あと少し、時間をかけて消化・吸収していこうと思う。
裁判所に行く機会など一生に一度あるかないかだと思うので、貴重な体験ができたことも良かったと思うことにする。

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