自分を大切にすること

こんばんは。
自分を大切にすることというタイトルが頭に浮かんできました。このノートは僕の直感的に思いついたことを徒然なるままに書きつけているだけの記録です。
昨日、大学時代の恩師と先輩後輩10名ぐらいが集まる飲み会でした。終始恩師が話の中心にいるのですが、これまでの僕であれば、会話に入っていけなかったり、二次会にも参加して、終電ギリギリになるまで、その会が終了するまでその場に残ってしまう側の人間でした。
今回は自分を大切にしようという心構えで参加して、二次会は断り、電車に乗って帰宅しました。自宅が奈良で京都での会だったのですが、隣接する府県であるにも関わらず意外に電車での移動時間がかかり、体力的にも大変なところもあったからという理由もあります。(この理由が大切なのです)

そもそも行きたかったのかというとそうでもないかもという気もしてきました。1か月前に誘いの連絡があったときは楽しみにしていたのですが、直前になると、なにか緊張してくるというか、久々に会って何を話すのかとか、自分の近況についてなにを話そうかなど気になってくるのです。

今回は1次会で帰宅しましたが、次回はよっぽど行きたいと思わなかったら参加しないようにしようと思います。今考えると意味不明な承認欲求で、自分と他者を比較したいのか、よくやっていると言われたいのかなどなど。参加したところでその欲求の穴は埋まらず、その穴を埋めるために、背伸びして、努力して、比較して、成長せねばという負担、ストレスが背中にのしかかってくる。そうなることはよくわかっていたのだけれども。。。

仕事が順調で自慢したいことがあるときは自慢話ができるから楽しく参加できたのかもしれないが、聞いている周りはそんな話面白くもなんともないはず。今回は話したい人の話を聞いていました。それが以前の僕だったのだろうかと愕然としました。これは面白くないなと。。

なぜ、半年に1回大学時代のなかまが集まって同じ話をするのかという疑問がわいてきました。それも恩師のゼミ生は100名以上もいるのにも関わらずたった10名程度なのか。それは、恩師が自分のことを話したいからであり、それを聞いて欲しいからなのだといまさらながら気づきました。(そもそも参加者の方がごく少数で、このノートを書いているときに気が付いた、いかに自分が鈍感であるかが分かる)

恩師の話が生きていくうえで有益である年齢まではそれでよかったが、そうではなくなってきたようだ。そもそも飲み会自体に参加する必要がないし、自分で企画した小さな親睦会のほうが有益だ。
自分を大切にすることは、自分の心に忠実に、しっかりと言葉に耳を傾けて、今自分の周囲にいる同志たちを大切にすることであり、それで十分なのだ。そのように結論が出せた。大切な1日でした。

物理的なノートに書くジャーナルも始めたから連続投稿ができなかったけど、Noteと両方やることでどんどん脳内のおしゃべりをアウトプットできたらいいなと思っています。
今日もありがとうございます。

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