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短編小説「幻の彼女」前編

 【主なあらすじ】

 浜田裕貴(ユウキ)は転校生だった浜辺美鈴(みすず)に一目惚れをした。
 奇遇にもユウキはみすずと席が隣りになった。仲良くなるには程遠く、なかなか振り向いてもらえない。やがて、良かれと思った行動も大きく空回りしていく。
 ある時、美鈴の右手についていたあるモノを払ったことがきっかけで二人は急接近した。
 しかし、そんな二人の別れは突然訪れる。
 甘酸っぱいけど、悲しく切ない。
 幼き日の男女青春ラブストーリー。


 ※本編は3,075字。

 まだ10歳、いや9歳の頃だったと思う。
 僕はある転校生に恋をした。俗に初恋と呼ばれるものだった。名を美鈴と言った。浜辺美鈴。
 はまべみすず。今、発音しても胸が高鳴ってしまうぐらい妙な色気を掻き立てる。高貴な気品すら漂う名前である。もし年輪を重ねれば、それはそれで魅惑的な本名(フルネーム)だ。
 当時、僕の小学校は1クラス30人くらいがいた。1学年につき6クラスは普通にあった。マンモス校とは呼ばれず、それが当たり前だった。そして、皆が仲良く共存していた。ネットやSNSなんぞ当然皆無だったから、親も子もコミュニケーションを図ることで情報を伝達したり収集しあうしか方法は無かった。人間関係や信頼関係が、人間同士のコミュニケーションでしか築けないことを証明していた古き良き時代だった。

 浜辺さんが教室に入ってきた朝、尋常ではない雰囲気が全てを支配した。
 彼女はなぜか、校長先生に先導されており普通ではない特別な転校生なのだと幼な心なりにすぐに理解が出来た。
 一番前の席に座ったとたん、先ほどまで大騒ぎをしていた男子は急に静かになった。
 「お前ら先生が怒っても静かにならないのに、急に静かになるってどういうことだ?」
 担任がそう嘆くのも無理はない。まさにそうだった。教室のチャイムが鳴り、みな沼田先生からの紹介を今か今かと待ち望んでいた。
 慣れた手つきでチョークを操ると、その転校生を紹介した。
 「浜辺美鈴さんだ。みんな、仲良くするように」
 沼田先生は半ば命令口調でそう言うと、浜辺さん以外をジロリと睨んだ。人殺しのような瞳だった。
 「浜辺美鈴と言います。秋田県から引っ越して来ました。東京は怖いところというイメージですが、皆さん優しくして下さい」
 やたらと慣れた話し口調だった。品格があると言うか・・・お嬢様だろうか。僕は、思わず彼女を二度見した。
 「じゃあ、浜田君の隣りに座って」
 教室中がざわついた。周りの友達数人が後ろからからかってきた。そんなこと痛くもかゆくもないぐらいの幸運だ。
 先生はそう言うと、あまりタイプでは無かった浜中美優紀が静かに後ろの席に下がった。一つだけぽつんとあった空席が僕の隣りにくっついた。
 浜辺さんは、すぐさま席に座って僕のほうを向いた。
 (秋田美人だ・・・)
 色が凄く白くて、細身だった。透明感があると言うより、透明度が強すぎて幻想の世界へ消え入ってしまいそうな雰囲気だった。
 「浜田君。よろしくね」
 そう囁くように言うと、クシャっと微笑んだ。僕は思わず目を逸らしてしまった。
 「うん。浜辺さん、よ、よろしく」
 僕の声は震えていた。
 どっちが在校生で、どっちが転校生なのか分からないほど彼女は落ち着き払っていた。
 クラスの男子が好奇の眼差しを向けていた。最初は僕をからかっていた男子も、やがて羨望の目で見てくるようになった。

 休憩時間になり、クラスの殆どが浜辺さんに話しかけてきた。
 「家はどこ?」
 「好きな食べ物は?」
 「好きな教科は?」
 机に座る浜辺さんを取り囲み、皆んな好き勝手に質問をした。
 浜辺さんは困惑したのか、「えー」とか「んー」とか、嬉しそうな、複雑そうな表情を浮かべていた。そのしぐさがとても可愛く映った。浜辺さんを取り囲む人だかりを整理していた僕も決して楽ではなかった。突如、護衛係になった僕はトイレに行くのを我慢した。

 また授業が再開された。
 転校してきたからか、浜辺さんの教科書はまっさらだ。地区によって扱う教科書は異なる。
 でも、浜辺さんは問題を素早く説いていた。しかも、発表だって積極的に答えていた。才色兼備の鏡だった。
 「浜辺さんすごい!」
 沼田先生が思わず声を上げた。教室中がどよめき、皆驚いていた。
 国語の読解問題をいとも簡単に答えていた。
 「私、芥川龍之介の小説好き」
 彼女は読書家なのだった。本をあまり読まない僕は思わず、芥川龍之介の小説を読みたいと思った。浜辺さんを知るために。

 給食時間になった。
 今週の給食係は僕と浜屋直樹と浜中美優紀と浜亜美の3人だった。浜辺さんは転校してきたばかりだから免除だから、と沼田先生は言った。浜辺さんがズルいとは思わなかったが、何かショックだった。給食当番を機に、少しでも仲良くなりたいと思ったからだ。運命のイタズラだと僕は諦めた。
 その日の給食はカレーだった。カレーが嫌いな子供はいない。そんな確信を持っていた。
 給食室から教室にカレーを運ぶ。浜屋と二人でカレーと米の入った大きなプラスチックの箱を運んだ。女子の浜中美優紀と浜亜美はサラダとデザートを運んでいた。

 教室に到着したら、浜辺さんがこちらを見つめていた。クラスの男女数人とも目があったが、大きな輝く瞳とは比べものにはならなかった。
 (僕は、見られている・・・)
 そんな高揚感は給食の作業スピードに即反映された。自分でも驚くほどの素早さだった。配膳が楽しいと感じたのは入学以来初めてで、両腕に不思議な力が備わったみたいに感じた。
 「じゃあ、今日は浜辺さんから」
 配膳は本来、出席番号順だから浅田史郎君からのはず。なぜか、先生は浜辺さんを一番最初に特別に指名した。沼田先生は浜辺さんの親から弱味でも握られているのだろうか、と訝った。僕だけではなく、クラスのほかの男女も鋭い目つきを向けた。
 名前を呼ばれた浜辺さんは最初は、少し戸惑っていたが、沼田先生の「いいから。浜辺さん」という強引な一言にようやく教室の最前列に立った。

 その瞳の先は僕だ。まだカレー皿を持っていない浜辺さんに恐る恐る皿を渡す。浜辺さんは一礼をして、まるで何かの儀式でもあるかのような荘厳な雰囲気を醸し出した。教室中の全ての瞳が浜辺さんを突き刺した。
 僕は突然胸の高鳴りが止まらなくなった。楽しいという思いから、逃げ出したくなるような感情が湧き上がってきた。給食の配膳って、こんなに重い任務だったか。これ失敗したら、多少の代償あるのでは。様々な思いが去来した。
 目の前の浜辺さんは唇を上げて「早く」と言いたげだった。そのしぐさに、さらに心臓が激しい動悸を始めた。
 僕は何を思ったのか、浜辺さんのカレー皿を受け取ると皿一杯に米とカレールーを盛り付けた。
 浜辺さんは「あっ」と言う声を上げた。
 僕はニヤッと笑った。
 彼女は皿を受け取らずに、地面に叩きつけるように皿を落とした。
 僕が愛情たっぷりに盛り付けたカレーは見事に散らばった。
 浜辺さんは膝から崩れ落ちて号泣した。
 でも、泣きたいのは僕のほうだった。一体、何が気に入らなかったのだろう。
 沼田先生が一目散に駆け寄った。一気にクラス中の鋭い姿勢が僕に向かっていた。
 先生に介抱されながら、思わぬ形で机に戻った浜辺さんは涙が止まらなかった。鋭い視線どころか、沢山のため息が僕に降りかかっていた。
 少し落ち着いたのか、浜辺さんはボソボソと先生だけに聞こえるように話を始めた。
 「あたし、カレー嫌いなんです」
 口調はしっかりとしていた。本当にカレーが心底嫌いなのだと理解した。香辛料の独特の香りが受け付けないのだそう。給食のカレーは甘口に設定しているのに。
 彼女がカレーを嫌いだと皆んなが分かってから、その視線は優しいものに変わった。
 浜田が悪いわけではなく、好き好みを知らなかった沼田先生に非があったのだと。
 少しだけ安心した僕は胸を撫で下ろした。
 でも、傷心になった事には変わりなく、それはそれでかなりショックは受けた。
 浜辺さんに嫌われていないだろうか。そんな思いだけが、僕を支配していた。

【『幻の彼女』前編終了 ※後編に続きます】











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