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帰郷【掌編小説】

 ※本編2,636字。

  本作品はフィクションです。

 サトルは車窓から見える大晦日の光景がうまれて初めて懐かしいものだと思った。流行禍のせいにして3年間も帰郷していなかったのだ。東京から博多の車中ではずっと同じ音楽を聴いて過ごした。『素敵な恋がしたい』博多出身でfreeというコミックバンドが3年前に発表したその楽曲は一大ブームを巻き起こした。
 あと10分もすれば博多駅に到着する。彼はこう思うと一抹の喜びと安心感を抱いたのだった。【長らくのご乗車お疲れ様でした。まもなく博多駅に到着します。ご降車のお客様はお忘れ物にお気をつけ下さい】と車内アナウンスが淡々と流れた後、【3年ぶりにキキョウされる皆さまに至りましては、どうぞゆっくりと心身をお休めになってください。またのご利用を心よりお待ちしております】と高音の車掌が威勢よく言った。サトルは、何も感じなかったのに小さな涙が頬を伝った。
 新幹線から降車すると、寒さのせいか急に悪寒がした。いや単に寒いだけでは無かったが地元の同級生に会うのではないかという妙な緊張感があった。サトルは40歳で花の独身貴族だが、帰省と思しき客のほとんどが家族連れだった。無数の子供の騒ぎ立てる声が耳に入って、しまいには嫌味に聴こえたが、そんなことより【博多駅】と書いてある駅構内の文字が生きている心地を感じさせた。
 弟のヒトシにLINEをする。博多駅まで迎えに来てくれるそうで、こんなに寒い日には大変有難い限りだ。駅プラットフォームから階段を素早く駆け下りて駅改札口へと向かう。
 ソフトバンクホークスのキャップ帽を被った男性がすぐ目の前に映った。ヒトシだ。子供達もいる。
 「兄貴ばり、久しぶり。」
 弟は嬉しそうに、兄を見つめた。
 サトルは(ヒトシあいつ少し老けたな・・・)と呟いた。やや鋭い視線の先は満面の笑みの妻エリーに刺し向けられた。
 ヒトシの運転する車で実家まで向かう。二人の子供達は幼稚園児だったのが、いつの間にか小学生になっていた。子供達大きくなったな、サトルは助手席に座るエリーのほうへ明朗に声を向けた。妻は笑いながら「男子2人育ち盛りでとにかく大変ですケド」と、トホホと言わんばかりに愛想笑いを返してきた。子供二人は後部座席のサトルの隣で小猿のように暴れていた。サトルは必死になって宥めていた。
 オフクロも兄貴と会うの楽しみにしてたけんね。嘘か誠か、と訝りながらサトルはヒトシの言葉を受け取った。そうこうしているうちに実家に到着した。
 眼前の古びた一軒家を見てようやく実感が湧いてきた。恐る恐る、一歩一歩進めてみる。サトルはこの3年間で何かを失ってしまったような気がした。故郷への愛情か、それとも博多弁か。いやいやそんなものは月並み過ぎるか。
 「ただいま。帰った」
 サトルが当たり前のように言った後に、子供達のけたたましい声が追いかけてきた。ヒトシとエリーは勢いを抑えつけるように子供達の腕を強く掴んだ。
 母は小さく丸まって居間のコタツで寛いでいた。おかえり、と一言だけ言ってスクっと立ち上がった。子供達にはややオーバーに反応した。やはり、あまり懐かない大きな子供よりも愛嬌がある小さな孫のほうが可愛いのだろうか。サトルは、自分は不惑のオッサンだからと強く僻んだ。仏間に入り、父の遺影に手を合わせた。お父さんもきっと待っとったよ、と母は背後から声を掛けた。
 仏間から居間に戻ると、母が「仕事はどげん?」と心配してきた。彼女が遠く離れた息子の仕事について心配するのは無理もない。
 「兄貴の会社大丈夫なん?」ヒトシがこう言った瞬間、妻のエリーはそそくさと二人の子供を連れて出た。サトルは少し黙りこくった後、コタツにある崩れ落ちそうに重ねられた籠のみかんを見つめた。
 「うちの経営陣バカしかいないから・・・」
 そう淋しそうに言い放つと、ポケットからマスクを取り出して着けた。母は「本当に大丈夫なの?」と、同じような表情と口調で言葉を掛けた。
 「兄貴、何かあったら言うてくれや」ヒトシは目を真っ赤にして、訴えるように言った。こんなに弟から優しい言葉を掛けられたのは初めてかもしれなかった。
 「希望退職して、福岡に一緒に住んだらよかけんね」母からの言葉は、弟よりもより響いた。今度はサトルの目が充血したように真っ赤になった。福岡にもし帰ってきたら新生活や仕事はどうなるかの不安だけが頭を駆け巡った。
 高校を卒業して22年間、一度たりとも郷里で生活することを考えたことは無い。しかし、年末にサトルの勤務する会社が産地偽装の疑いで世間から大きなバッシングを受けた。業界では知名度のある会社の産地偽造というニュースは大幅な売り上げ減少を招いた。一部では早くも希望退職者を募り、いわゆるリストラの一部報道も出てきていた。来年1月付けで工場長に昇進予定であるサトルも当然その対象になる可能性は十分ある。
 本来ならば帰省することは恥ずべきことに違いない。今の状況を鑑みると40歳で無職になることだってあり得る。今回の帰省は母や弟が危惧してのことではなく、サトル本人が一番熱望してのことだった。
 「みかん農園継いでくれたら、お父さん喜ぶけんね」
 母の言葉がまるで父に言われているように聴こえた。幻聴なんかではなく、サトルが精神的に追い詰められている証拠であった。
 「兄貴、こっちで素敵な人が見つかるかもしれんし」ヒトシはこう言うと、一つ笑ってサトルを少し小馬鹿にしたような目をした。
 妻のエリーが子供達と賑やかに帰ってきた。何も知らない彼女はサトルと居間で最初に目が合ってなぜか「あっ、すみません」と謝ってきた。
 子供達は真っ先にサトルの首やら背中を掴んできた。遊んで欲しいらしい。
 母とエリーは何かを思い出したようにキッチンに入り、夕食の準備を始めた。まだ夕方なのに鐘が鳴る音がした。大晦日はみんな忙しなく動く日なのだ。自分一人だけに構う時間など本来は無いのだ。
 「おじさん、公園連れて行ってよ」
 玄関先から子供達の呼ぶ声が聞こえる。ヒトシと4人で寒空の中、行くことになった。公園には自分達みたいに子供連れのオヤジが数人いた。こうやって、ヒトシと子供と4人で公園に来るのは初めてだった。
 「兄貴、そろそろ恋でもしてみようか?」
 弟の頬は緩んでいたが、目は笑っていなかった。落陽を見つめる兄に突然話し掛けた。
 公園で一緒に遊んでいる途中、こんな生活も悪くはないとサトルは久しぶりに帰郷した意味をしばらく考えたのだった。

【了】






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