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ゲイのアナルセックス離れ。


増え続けるバニラ

ゲイアプリをずっと見ているとバニラという言葉が最近増えてきたなと思う。
これはいわゆるバニラセックスの意でまったりとした触れ合いを指す。
お互いの体の触りあいなどを中心としたもので
つまりアナルセックスはしない/したくないという意思表示でもある。
この言葉を使っているのは10代20代の若者が多い。
中年以降でバニラを希望する人もそれなりにはいるが明らかに少ない。

無理したら入るという絶妙さ

アナルセックスというものが古代ローマなのかいつから続いてるのかわからないけども、これだけ続いてるってことは何かしら引き付けるものがあるということだ。
ストレートのセックスの代用という面も大きくあると思うが、ストレートでもアナルセックスをする人がいるわけだからそれだけではないはずだ。
僕は多少無理したら入るというこの絶妙さなのではないかと思う。
穴があったら入れたくなる、そういう本能的なものなのかもしれない。
多少無理をしたら入るということは逆に言えば多少無理をしないと入らないということだ。
それだけ体に無理と負担をかける行為であるということは経験からも自覚している。

医学的にはよろしくない

アナルセックスというのは肛門科の先生にしてみれば血相を変えて絶対にやめろと言われることのようだ。確かに肉体的負担が大きい行為だと思う。
繊細な肛門という器官を直接的に傷つけているわけだから。
そういう意味では自傷行為的な側面ももしかしたらあるのかもしれない。
粘膜を傷つけても得られるもの。それが人をアナルセックスに向かわせるのだろうか。

僕のお尻は痛かった

僕はこれまでの経験から自分事としてお尻は痛かった。でも、多少というよりだいぶ男同士のふれあいのための我慢をしてきのだと思う。
そうしないとつながれないという不安があったから。
実際ストレートほど気軽に会ってすぐヤるなんて有料発展場以外では僕はできなかった。
誰もがゲイバーに行ってワーワー騒げる人ばかりではない。
物理的にも心理的にも距離の遠い地方のゲイ同士が近づくだけでもなかなかハードなのだ。

アナルセックスからの解放

ゲイはアナルセックスをするものと決め込んでいる人も多いがそれは間違いで、これまで書いてきたようにする人もいればしない人もいる。当たり前のことだがそういうものである。
ただこれにはやはり世代間で大きな認識の差があると思う。
同性愛に対する認識自体が当事者間でもアラフォーの僕と今の10代20代では全く違う。
僕のイメージとしてはまだ日陰者だったのが急激に陽向者に変わろうとしてきている感じだ。
実際、大学生と数年前に触れ合ったときにあまりの気負いのなさに驚いたし拍子抜けした。
彼は僕が上の世代から受け取ってきたような同性愛に対する後ろ暗さを全く感じさせなかったのだ。
もしかしたら若い世代のその気負いのなさが無理してアナルする必要ないじゃんにつながってきているのかもしれない。

ゲイにはゲイの固定観念が

アラフォーの僕も年上の人にゲイとはこういうものだとある意味仕込まれてきたわけだ。
いろんな情報は入ってくるけれど、結局自分にリアルなものとして取り込まれていくのは実際に体験したことが全てで。
それは全く明文化もされてないようなまさに感覚で。
ゲイには偏見とかないんでしょと言われてそんなことないとミッツだかマツコだかがテレビで言っていたような記憶があるけれど。
むしろ偏見とよくわからない固定観念でできているといってもいいぐらいだ。

時代という時間差攻撃

僕は今年40で中年に差し掛かってていく世代である。
ゲイならアナルセックスはしとかないとでしょの世代でもある。
そうじゃないひともいるだろうけど。
時代は時間差攻撃のように変わっていく。
ある時グンと進んでグンと止まって。それを繰り返しながらでも確実に変わっていく。
ある日、急にゲイ=アナルセックスのイメージが変わるのかもしれない。
それは明日かもしれないし明後日かもしれない。僕が死んだずっと後かもしれない。
それはわからないけれど。
僕の思う「ゲイのアナルセックス」は過去のものになりつつある。それだけは確かなようだ。


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