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「誰か」と小室哲哉。


はじめに~作り手と受け手


暇なときはPR TIMESをたまに見ている。一般人が直接プレスリリースを見ることができるというがいいと思う。
ある日見ていたら小室哲哉の黄金期をまとめた本が出ることを知った。
タイトルが『WOWとYeah 小室哲哉 ~起こせよ、ムーヴメント~』。
う~ん、タイトルちょっとセンスなくないか?WOWとYeahってって。
と、思っていたらTKご本人のインタビューをまとめたものらしい。
失敬、失敬。まぁまとめ方というのはあると思うがご本人の正解本なのだからそんなにおかしなタイトルでもないのだろう。

でも、ご本人の正解があったとして作り手が発信したかったものと受け手が受信したものに違いは生まれるはず。
もう25年以上TKミュージックに親しんできた、そして同サロTKスレにも15年以上いた僕の感じたTKミュージックの魅力について書いていいのではと思いこの記事を記す。

1984年生まれに直撃したTKプロデュース時代

TM NETWORKがデビューした1984年に生まれた僕が音楽興味を持ち始めた小学生高学年~中学生に世間を席巻していたのTKプロデュースの音楽だった。
初めて買ったアルバムは我が家で取っていた生協で頼んだglobe「globe」と華原朋美「LOVE BRACE」というメガヒット名盤2枚。
お年玉で払ったのか、親が普通に買ってくれただけなのかもう覚えていない。
大分市の隣の臼杵市出身のKEIKOがボーカルを務めるglobeにはそれだけで身近に感じていたし、朋ちゃんこと華原朋美は僕の中の永遠のアイドルとなった。
やはり「LOVE BRACE」の完成度の高さは幼いながらにも感じていて、朋ちゃんの完璧なシンデレラストーリーに全国の女子同様に田舎の少年も憧れていた。
壮大なバラードを伸びやかな高音で歌い上げる朋ちゃんの歌声はまさに時代の音だった。

誰かに伝えたいという根源的な欲求

1999年3月にリリースされた安室奈美恵復帰第二弾シングル「RESPECT the POWER OF LOVE」。リスペクトという単語が一般的に使われ出したのはこういうヒット曲のタイトルに使われてから徐々にと記憶している。
この曲のリリースと時同じくして彼女の身内の不幸な事件が起こったことで様々な意味を持ってしまったこの楽曲。それに関しては運命的な何かを感じざるを得ないしTK本人もそういうコメントをしていたと思うが、今回は歌詞を見ていきたい。

誰かに伝えたい 伝えなきゃ守れない

作詞・小室哲哉 安室奈美恵「RESPECT the POWER OF LOVE」1999.03.17

短いながらもこの一行にTKミュージックの魅力が詰まっていると思う。それは誰かに伝えたいという根源的な欲求を歌っていたという点である。
インターネットが一般的になる前だった90年代。
他人に言えない思いを抱えた大人も多かっただろうと思う。
発散するには飲み屋で愚痴るか、カラオケで歌うか。そんなものだったのではないだろうか。
あの時代のカラオケブームの中でストレートに誰かに伝えたいと言葉にして発することがもしかしたら歌っていた大衆の心を慰めていたいのかもしれない。
また「RESPECT the POWER OF LOVE」でいうと、

誰かに伝えたい マイフェバリット 好きだけじゃない

作詞・小室哲哉「RESPECT the POWER OF LOVE」1999.03.17

この箇所もシンプルながら強いと感じた。この箇所はCM用に先に作られただけあってキャッチーで印象的なフレーズを選んでいるのがよくわかる。
CMで当初流れていたバージョンは歌詞も曲も微妙に違っていたようだ。

TM NETWORKの代表曲で最近リメイクされた「GET WILD」にも『Somebody』という単語は出てくるし、TK本人がメンバーとして参加していたglobeの「Can't Stop Fallin' in Love」は不倫をイメージさせる内容で「誰かに話したい』という箇所は出てくるし「誰か」という言葉をTKは多用していたなと思う。
そして、「誰か」に誰かをあてはめずに大衆にそのまま放り投げることで大衆側でイメージが膨らませ楽曲を楽しませることがではないかと思っている。

刹那と憧れの90年代

アムラーブームあたりからだろうか。渋谷でどうしたこうしたの情報が僕の住む田舎まで届いていた。今考えるとすごいことである。
全く知る必要のない大東京の渋谷の状況が全国津々浦々、静かな農村漁村にも発信されていたのだから。
とにかく女子高生ブームだ援助交際が流行ってるだと田舎の人間はそれ聞いてどうすればいいんだということまで知らされていた時代。
なんとなく、本当に何となくではあるが世紀末の刹那的な空気だけは伝わってきていた。
小室哲哉は、というか、エイベックスは当時女子高生たちをわざわざ会社に呼んでいろんな話を聞いていたというから生の声というものをある意味作品として遠く離れた田舎者も受信していたわけだ。
globeの曲にも華原朋美の曲にも『街をさまよう』というフレーズが出てくる。僕はそれを聴いていてずっと街をさまよってみたかった。
さまよう街すらない田舎者にはその表現すら憧れの対象だった。
刹那的に街をさまよう少女という主人公がTKミュージックには常にいた気がする。そして、それがあの時代の憤りもモヤモヤも背負っていた気がするのだ。

文学的、哲学的な小林武史と感覚的、刹那的な小室哲哉

90年代を振り返るうえで避けて通れないのが2人のTKの話である。
そう、小林武史と小室哲哉である。
すでサザンやミスチルのプロデューサーとして活躍していた小林武史。自身もメンバーとして参加したユニット・マイラバことMY LITTLE LOVERはTK自身が参加したglobeとガチンコJ-POP対決をあの時代ヒットチャートで繰り広げていた。
文学的、ともすれば哲学的な小林武史の書く歌詞も僕は好きだった。だからマイラバもglobeもどちらも好きで聞いていた。
小林武史と比べると小室哲哉の感覚的な歌詞はフレーズごとで入ってきたような気がする。
あの曲のあの部分がいいとかそういう感じで。
小林武史は割とストーリーというか流れがあった気がするが小室哲哉は特徴的な曲の転調同様に脈絡がなく唐突な歌詞というのも見受けられた。
けれど、どちらがいい悪いではなく意外とふとした時に刺さってくるのは小室哲哉の感覚的な歌詞だったりするので人の心は不思議である。
性質の全く違うポップミュージックが同時期に多く聞けたことは本当に幸せだったと思う。

大胆さと繊細さの混在

先ほど小室哲哉を感覚的と書いた。感覚的という表現は良い意味でも悪い意味でも使われる表現だと思っている。
小室哲哉にもその両方があったと思う。
割とよく言われる話に小室哲哉の英語の文法メチャクチャやんというものがあるが、割と日本語の歌詞もメチャクチャやったでと僕は言いたい。
同サロでネタ的に扱われ愛されていた箇所に『あなたとならばできたい』がある。

やり直す事だってあなたとならば出来たい

作詞・小室哲哉 篠原涼子 with t.komuro 「もっと もっと…」1995.02.08

TK本人もことあるごとに語っていることではあるが、言葉の意味よりリズムや言葉のハマリを優先している結果なのでそこに突っこむのは野暮なのだが、『あなたとならばできたい』はさすがにというか笑ってしまうというか。愛すべきTKジャパニーズの象徴的表現なのだ。

大胆に日本語をアレンジしたかと思えば小室作品最高傑作との呼び声も高い華原朋美「LOVE BRACE」のタイトルチューン「LOVE BRACE」では異様な繊細さも見せる。

Carry on Carry on! LOVE BRACE 少しづつ

作詞・小室哲哉 華原朋美「LOVE BRACE」1996.06.03

ラストの大サビの『少しずつ』が『少しづつ』になっている。別に間違いじゃないし昔はづつも使われていたらしいし、正直どっちゃでもいい箇所だと思う。しかし、歌詞カードで見るとやはりづつの方がかわいいし字面的に綺麗な感じがした。
こういう細かな所に気を配っていたのも小室哲哉という印象なのだ。

また英語の文法は無視する癖にアルファベットの大文字小文字は繊細に使い分けてみたりと本当にやることが面白いなと感じていた。
この大胆さと繊細さの混在っぷりが非常に有機的に感じるしTKミュージックをより奥深いものに感じさせる点だと思っている。

映像の共有から感覚の共有へ

華原朋美第2期スタートを印象付けた1996年10月リリース「save your dream」。朋ちゃんのハイトーンの限界に挑戦するような歌唱にはかなりインパクトがあった。
が、個人的には歌詞にもかなりインパクトを感じた。

大空を高く飛べる イメージ
波間をすべるような スロープ

谷間をぬける風の イメージ
もうすぐ雪の結晶の デザイン

作詞・小室哲哉 華原朋美「save your dream」1996.10.02

イメージとかデザインとかそのまま歌詞で使っちゃっていいんだという衝撃が正直あった。そのイメージとかデザインとかを歌詞で何とか表現をするものだと思っていたから。それをそのまま使うということがある意味新鮮だったのだ。
映像的なイメージの提示という意味ではこういう想像のさせ方もあるんだなと思った。

改めて振り返ると今よりずっと映像の共有、感覚の共有が難しかった時代に小室哲哉はそれを楽曲で目指していたのではないか。だからこそインターネットの普及を促進するため全国の学校にパソコンを送るため「YOU ARE THE ONE」のようなチャリティープロジェクトを計画したりしたのではないか。
そんなことを想像させられる。

都会と田舎をつないだTKミュージック

2023年9月、globeのKEIKOが大分駅前での地元放送局主催イベントで久々に公の場に姿を見せるということで僕も参加した。
県外からもすごい数の熱烈なファンが駆け付けており、熱気はすごいものがあった。遠くは北海道から駆け付けている人もいた。
県外からやってきている人の中にはゲイの人も何人もいた。ゲイアプリを開いてみてわかった。
名古屋や大阪いろんなところからいろんな人が来ていた。
同じ時代に全く違う土地で同じ音楽を聴いていたんだなとその時思った。
そして、胸が熱くなった。
KEIKOを見れたことはうれしかったが、そういう何らかのつながりを感じられたことが何よりうれしかった。

送り手の想いとは違う形かもしれないが受け手である僕はこれまでもたくさんの想いを受け取っているし、これからもずっと受け取り続けていく。


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