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初めて尽くしの熊本小旅行③。

初めてのサクラマチクマモト。大満足。

2日続けて熊本のバスターミナルに併設した真新しいショッピングモール・サクラマチクマモトへ。
前日は地下のスーパーに寄っただけだったのでこの日はモールのメイン入り口から入っていろんなお店を見てまわった。
お正月のサクラマチクマモトは多くの家族連れでにぎわっていた。
いろんなブランドがセールしていたが、いろいろ買って帰っても荷物が大変になるだけなので綿棒やリステリンなど必要なものだけをダイソーで買って帰った。
荷物になるからなんて言ってお金が本当はなかっただけ。貧民はつらい。
あったかいお正月の空気だけ感じさせてもらってホテルに向かった。

熊本のホテルで聞いた能登の緊急地震速報。

大晦日はアパホテル。元日の宿はネストホテルにした。どちらも安く安心の全国チェーン。過度な期待をしない分大きく裏切られることもない。そういう安心感もある。

15時過ぎにホテルにチェックインして手と顔を洗ってベッドで横になった。熊本城に行けただけでも満足感はあったし疲労感も多少あったが、まだまだ動けるなと思いながらホテルの小さいテレビをつけた。

サッカーの試合がやっていて、そうか正月だから天皇杯の中継かななんて思いながら音を消した画面を少し見てまた横になった。
しばらくして再度テレビを見ると画面が変わっていた。そこには『つなみにげて』の大きな文字が。一瞬目を疑い、テレビの消音を解除。能登の大地震の緊急地震速報がまだ鳴っていた。地震報道に切り替わった直後だったのだろう。時刻は4時半ぐらいだっただろうか。

それからは2時間近くテレビにくぎ付けだった。あまりに強烈な情報の嵐に孤独なゲイの心も大きく揺さぶられた。
そして、午前中に見た熊本城の震災展示を思い出した。特に2016年のあの震災のことを。熊本の人も他人事じゃなくこのテレビを見ているかもしれないと思った。
あんな大変なニュースも長い時間見ているとドライな自分が顔を出す。
北陸には縁もゆかりもないし、自分に関係ないといえば関係ない。なんせ九州と北陸だ。離れすぎている。それでも、こうやって悲惨な情報も共有されていることに同じ国に住んでいる不思議を思った。
こういう時に誰かいれば。彼氏じゃなくても友達でもいればと少し思った。が、緊迫した映像を見て妙に過活動な何かが動き出し、夜に発展場に行くためにシャワーを浴びるためベッドから立ち上がった。

多様性というよりも人間の不思議。

熊本の発展場は久しぶりだった。2016年の地震後も来てるけどたぶんコロナ後は来てないので3年ぶりぐらいかなと思う。

リニューアルされていたその有料発展場は地方都市にしては割としっかりしたもので熊本の人口規模だから維持できていると感じた。
大分の唯一の有料発展場はもう潰れてしまったのでね。人口50万に満たない大分と人口70万越えの熊本、この都市規模の違いは大きい。

そこで出会ったYくんは30歳だった。僕は39歳だが30歳だとだいぶサバを読んだ。
かなり無理のあるサバ読みだと思ったが、他が年齢層の高い客だったのでなんとかセーフだった。暗いから結局よくわかんないしね。

Yくんの体は適度に筋肉がついていて胸筋も少しあっておしりも太ももも引き締まっていてかっこよかった。
でも、フィジークのように変に作ったような体ではなく自然なかっこいい引き締まり方。
顔も濃いめだけど女子にも好かれそうなちょっと甘い感じで素敵だった。
年上に抱かれかけていた僕を個室に連れて行ってくれた。

10歳違うとだいぶ感覚は違うものでYくんはずっと携帯を持っていた。僕は普通にロッカーに入れていた。
そういう部屋に持ち込まないでと言われたら持ち込まない主義だしそもそもそこまで体の一部になってないし。

話を聞くとYくんはダンスをやっていたそうで自然な体はそこで養われたことが分かった。めちゃモテそうなのに発展場には割ときているようでゲイアプリで出会った人とも発展場で会った人ともあまり続かなかったらしい。僕みたいブスならよくわかる話だけどと僕はちょっと驚いた。ゲイの恋愛というは特に地方では本当に厳しいのだ。

Yくんは福岡にたまに行って売り専を買っているとも言っていた。
アラフォーの僕でさえまだ売り専にはまだ手を付けてないのに。決して安くない対価を払って性処理しなきゃならない気持ちを考えるとちょっとつらかった。

当のYくんは自分ほど悩みこむ感じではなかったし、割とあっけらかんとしたタイプだったけれど、彼は彼なりに悩みがあるのだろう。それにしてもいろんなゲイと会うたびに人間の不思議を感じるな。多様っていうより無限って感じだし。

僕がいちゲイとして多様性という単語がなんか嫌なのは、それが神の視点だからだ。人間は神ではないし、神になってはいけないのだ。

どこまでも愚かだから謙虚でなければ。だから性の不思議も人間の不思議の一部でありそれすら全体を表すものではない。多面的すぎてよくわからないというのが正直なところだと思う。それが田舎のゲイが40年近く生きてきて思うこと。

IKKOさんのようにどんだけ~不思議ね~と言っていればいいのだ。

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