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それは絡みつく蜘蛛の巣のように。

菜種梅雨とはよく言ったものでよく雨の降った4月。

朝晩通る雑木林の道にはもう蜘蛛の巣が張っていた。

高温多湿なあの季節が今年は早く来てしまったようだった。

去年は朝から蜘蛛の巣に引っ掛かったその晩にもう一度引っ掛かったこともあった。

本当にうっとうしいし気分も下がるし不快だった。

あんなに細い蜘蛛の糸はまとわりついてなかなか取れない。

何度も何度も手で払おうとするがべたべたと絡みつくばかりだ。

さすがにそんなときには田舎の生活にうんざりする。

もうひとつ田舎の生活で絡みついて離れないものがある。

それは田舎の人間の視線である。

車社会の田舎でおっさんが自転車に乗っているとそれだけで視線を集めたりする。

何か悪いことをしているわけではない。ないのだが見られている。

妙にまとわりつくこの視線が僕は嫌いだ。

その視線に少しずつ確実に動きが奪われていることを感じる。

ちょうど蜘蛛の巣にとらわれた獲物が徐々に動きを奪われていくように。

見られるとこちらも見るようになる。

他人のことなど誰も見ていないなどという感覚は都会の感覚である。

田舎では誰かが誰かを見ている。そして、誰かが誰かの話をするのだ。

相互監視の中にその中に自分も入っているのだと思うとゾッとする。

去年、長野で起きた近所を散歩していたおばちゃん2人や駆け付けた警察官2人まで殺害した事件。

容疑者はぼっちをばかにされたと思い込み犯行に及んだらしい。

ぼっちだし田舎の人間の視線が疎ましいと思う僕にとっては他人事には思えなかった。

さすがにあんなことはしないしできないけれど。

僕も家から出たところを近所の人2人にずっと見られていたことがあった。

平日の昼間だったので確かに変な時間だったのかもしれないが、気分のいいものではなかった。

被害妄想を一人で拗らせ続けていたら自分ももしかしたらああなっていたのかもしれない。そう思うと恐ろしい。

最後の一線を越えるにせよ越えないにせよ、そう思うわせる何かが田舎にはあると思っている。


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