見出し画像

若者との悩ましい関係と中年の術

最近の目下の悩みは、若者とコミュニケーションが取れないことだ。

連絡事項をLINEで送るが、全く返信が無い。
返事が無いのはいい。もう慣れた。
既読スルーされた状態で、別の用事を穏やかな口語調でLINEを送るも、キレたと思われて、やたらとかしこまった丁寧且つ謝罪風の返事が来る。
連絡できず申し訳ございません。ご迷惑をお掛けして・・・の類だ。
この時点で、LINEの画面上では、私は若者に怒っているクソBBAという構図ができる。全く怒っていないのに。
字面、活字とは恐ろしきなり。
そして対面したら、「すいませんでした~」と近づいて来るものの、その後はスルー度合いが加速することが常だ。

はっきり言って、嫌われているし軽んじられているわけだが、四十路の私だって、このやり取りに辟易している。できるだけ若者と関わりたくない。

職場の後輩なら、仕事の結果や成果に向けて必要なコミュニケーションを取らざるを得ないし、若者を育てることも仕事の一つなので、役割として人生の先輩を演じることもやぶさかではない。第一、給料を貰っているので、仕方がないと割り切れる。
しかし、職場の人間関係ではない場合、年長者としてどこまで許容するべきか、どう対処すればいいのか頭を悩ませている。

振り返れば・・・いつから若者とコミュニケーションが取れなくなったのか、いつから若者ではなくなったのか。と思い巡らせてみた。

一般的に20代・30代は若者だ。私も30代の頃は、LINEだろうと対面だろうとコミュニケーション取れていたと思う。若者を相手にすることにストレスを感じていなかった。意見が違って多少ぶつかっても、ワイワイと飲んだり、はしゃいでいるうちに、解決していたように思う。

だが、ここ1年くらいで一気に状況が変わったように思う。飲みに行くのも割と苦痛だ。変にヨイショされてる気もするし、若者特有のノリについて行けなくなってしまったのだ。若者も気を遣うし、中年の私も気を遣う。誰も芯から楽しんではいないのだ。しかも、年長者はお会計も多めに払うので、財布も痛手を被る。
やはり40代は若くないのだと実感する。

一方、若者から見て私はやはり鬱陶しいババアなのだろうか。
こればかりは、本人たちに聞くわけにもいかないし、聞いたところで、鬱陶しいババアから更に、ヤバいおばさんの称号まで追加されそうだ。
なので、これも自分の経験を振り返ることにする。

20代の頃、40代はおばさんだと思っていたし、仲良くなれるとは思っていなかった。雑誌やテレビで、若者から見たカッコいい大人とは、みたいな特集がされていたし、理想の上司ランキングを見て、周りの大人と比較して、勝手気ままに批評したりしていた。関わる大人を、いい大人と嫌いな大人により分けていたし、自分にとって核心をついたことを言ってくる大人を毛嫌いし、ウザい、キモいの一言で断罪し、いい気になっていた。
その頃のツケがまわってきたのだろう。因果応報だ。

そして、若かった頃、今よりも年を取り老いるということに恐怖を感じていたと思う。
大人が身につけている余裕や落ち着きをうらやんでいたけど、それを素直に認められないからこそ、大人に悪態をついていたんだと思う。
もちろん本当に鬱陶しい先輩も居たが。

若いというのは、それだけで物凄い価値があるし、若い人が元気に楽しそうにしている姿は、どんな世の中であっても、明るい希望だと思う。
あぁ、楽しそうで元気な若者が眩しい。

そんな彼ら彼女らを見て、気づいたこともある。
老い故に、生き抜くための重要な術を身につけたことに。
若者とコミュニケーションが取れず、ショックを受けたが、そのショック状態が持続しないのだ。悲しい気持ちにどっぷり浸る集中力が無くなってきたのだ。名付けて、ショック健忘の術。
若い頃、彼氏にフラれたとき、友達の裏切りを知ったとき、仕事が上手くいかなかったとき、酷く落ち込んだし、数日間落ち込み続けていた。食べ物が喉を通らない、何をしても気が晴れない。そんな状態が続いたが、何かをきっかけに息を吹き返し、元気になると世界がパーっと開けた気がした。
今になって思う。落ち込み続けて、世界を灰色だと思い続けるのにも、集中力が居るのだ。かなりのエネルギーを要するのだ。
しかし今は、落ち込み続け、または怒りを抱え続ける、エネルギーや気力が枯渇し、集中力が持続しないのだ。数時間後には、ケロッとしている。
なんと素晴らしい能力なのだ!これから先の人生も、もっともっと年老いて、色んな術を身につけたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?