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しみじみ・・・ゴミとともに暮らしていると思う

引っ越し作業が大詰めを迎えた。
不要な物を売ったり、捨てたりを繰り返した。
一度でケリをつけられるほど、潔い人間ではないので、何度も何度も持っている物と向き合った。オーディションのように、段々と数を減らしていった。その度に少し感傷的になり、体の一部が削られるような気持になった。
大体の人はオーディションされる側に感情移入するが、今回ばかりは、落とす側の気持ちになった。J.Y.Parkって凄いな。人の人生を左右したり、人を選ぶことで、これから先のエンターテインメントを創り出していく。
私のはただの引っ越し、しかもゴミを捨てるだけで良かった、と思ってみたりした。

今回の引っ越しでは、5段タイプのチェストと、鏡付きのコート掛けを捨てた。5段タイプのチェストには、部屋着とタオル類が入っており、コート掛けには、マフラーや水着など季節やタイミングを選ぶ物を収納していた。
それらの荷物の量を減らし、不便なく暮らしていくための環境を整える。
という計画を立てたものの、ゴミを選別するのは、本当に慣れない作業だった。

残した荷物を急激にどうでも良い物に見えて、冷徹に捨てることが出来たかと思えば、今回の引っ越しよりも何年も前に捨てたものに思いを馳せたり。
そして、どうにか30箱の段ボールに荷物を詰め込み終え、部屋に残ったゴミを見たとき、私はゴミと暮らしていたのだと思った。たしかに、生活に使っていたものだけど、間違いなく捨てても困らないものだった。
なのに、ダイニングテーブル、リモートワークデスク、ワークチェアを買い換えた。

冷酷と物欲のあいだ。
シンプルにミニマムに暮らすとは土台無理なのだと思い知った。

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