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『選択肢は多い方がいい。』


  • 『子供にはたくさんの選択肢を与えたい。』

ここ最近感じることだ。
自分は、今年で21歳。こんな若者で世間知らずだがこの言葉をふと考えた。


一か月前まで塾で働いていた。
私の働く塾は映像授業で勉強を教えることはない。
質問をされたら答える程度だ。
ここから少し他の塾とは違うが、大学2年生にして三者面談を担当することがある。
三者面談では、学力に合わせて今後どんな映像を見て、偏差値を上げて志望校合格まで進んでいくのかを決める。
金額もだいぶ大きい。
とても、大学2年生が扱う金額ではない。
まあ、仕事内容は置いといて、何が言いたいか、生徒と親と生徒の将来について深く考えることが多いという事だ。
半分くらいの生徒は入塾した段階で将来の夢が決まっていてそれに沿った志望校が決まっている。
将来の夢が決まっていなくても行きたい大学は決まっている。
しかし、逆に半分の生徒は将来の夢も決まっていなければ、行きたい大学、文系理系も決まっていないのだ。

世間の親の大学に行くのが普通という考えに沿い、大学に行く。
また、将来が決まっていないから大学に行く。
考える時間を増やすという意味で大学を目指す人もいる。
まぁ、選択や意志は自由だ。
自分は将来の夢が決まっていたので大学もすぐ決まった。
自分の学力で行ける最大値の偏差値の学力。
それこそ、塾の先生に勧められた大学だ。

だから、高校生の頃、将来の夢が決まっていなかった周りの同級生がとても大変そうに思えた。

「あぁ、将来の夢決めたり考えたりするのめんどくさそうだな、その時間勉強できるのにな」と。(結局、第一志望は不合格でした。)
なんなら、最近までそう思っていた。夢や志望校が決まっていない生徒を見るとそう感じていた。


だが、大学2年生が終わり、就職先など将来について考える機会が自然と増えると自分の将来が日に日に狭くなっていくことを感じる。
ネガティブに表現すると“狭くなる”、ポジティブに表現すると“専念?磨きがかかる?”深く専門性を得れる。
しかし、自分は将来に希望を持てない。
高校生の時に持っていた夢の壁の多さ、壁の大きさを感じ、気持ち的に将来の夢を諦めたいと感じている。
そこそこのお金があり、たまに友達を飲みに行き、趣味を楽しみ死んでいけばいいと思う。


要するに自分の将来に夢や希望を持てないのだ。


高校生という夢が無限大に広がり、志望校や夢を考える高校生が集まる塾にいるとなおさら感じる。
この子たちは将来にたくさんの選択肢を持っていて、挑戦するという若さを持っている。
逆に私は、将来の夢を失いと考え、挑戦するという若さも勇気も覚悟持っていない。
大学に進学してしまう、少なからず将来の夢が狭くなったおんぼろだ。(そんなに年齢は変わらないが、、(笑)。大学に入ってしまったという事が大きいように感じる。)


自分は最近、サブスクで「アンナチュラル」というドラマを見ている。
法医学者の話で、死体を解剖して調べて死因を究明し犯人を捜すという話だ。
とても、面白そうだ。
今からでも医学部に行きたいと感じた。(ほんと、思い付き程度。)
なんなら、今から大学を辞めて再受験したい。
まぁ、「え、やっていいよ」と親に言われても、やる覚悟と気力もないんですけどね。

でも、もし、高校受験までにこのドラマを見ていれば、法医学者という事を知っていれば、将来を考えるどこかのタイミングで医学部という選択肢が生まれたかもしれない。
悔しい。

『選択肢が多い方がいい』


というのは大切な言葉で大切な教訓だ。
しかし、私の大学生には後悔を教える残酷な言葉だ。


だから、多くの生徒には子供には多くの経験や知識を付けさせて選択肢を多く持って欲しい。(これは自分の親を攻めているつもりはない。)


サッカーを始め、将来の夢をサッカー選手と決めるのもいいが、ぜひ野球やバレーボールを経験してから決めて欲しい。
ビフォーアフターを見て、将来の職を大工、建築士と決めるのもいいが、アンナチュラルやコードブルー、コウウノトリを見てから決めてほしい。
たくさんの選択肢を持ってから、その選択をしてほしい。


まぁ自分に結婚願望が無いのでこれを活かす時は来ないと思うのですが。

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今回、ブログっぽく見出しとか付けてみました。
こんな感じで2003年生まれの小僧が思ったこと書くのでたまに見てあげてください。

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