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天神さまの悩み 3回目



こちふかば にほひおこせよ うめのはな
あるじなしとて はるなわすれそ

大鏡という平安時代後期の歴史書です。大鏡に有名な道真の歌があります。

春になって東から風が吹いたなら、
その香りを僕のもとまで送っておくれ、
梅の花よ。
主人がいないからといって、春に花を咲かすのを忘れてくれるなよ。

菅原道真が太宰権帥に左遷される時の歌と思われます。

学者博士が右大臣まで昇ったのは、奈良時代の吉備真備(きびのまきび)以来です。
道真がどうして左遷されることになったのか?
そのあたりから書いていきます。

◯登場人物(左遷人事の時)
・菅原道真(すがわらのみちざね)
 57歳 右大臣→太宰権帥
・藤原時平(ふじわらのときひら)
 31歳 左大臣
・醍醐天皇(だいごてんのう)
 17歳 今上天皇
・宇多上皇(うだじょうこう)
 35歳 先の天皇 


899年 醍醐天皇の時に道真は右大臣となります。藤原時平は左大臣です。

道真は出世する時は必ず辞退しています。
やはり、身分不相応と感じていたと思います。
ところが宇多上皇は辞退を許さず、どんどん出世させます。

宇多上皇と藤原時平の確執が道真に悲劇をもたらしたと思います。

醍醐天皇の弟と道真の娘の婚姻もあり、ますます皇室と道真の繋がりは強くなります。

当然、藤原時平は面白くないですよね。
周りの貴族たちの妬みや嫉妬も相当だったみたいです。
しかし道真は出世を辞退し続けますが、宇多上皇が許さないという感じです。

道真左遷の主犯は藤原時平で間違いはないのですが、政治の世界です。当然やられる道真が悪いと思います。でも宇多上皇の過剰な厚遇や信頼も問題があったと思います。

道真は罪に着せられます。
醍醐天皇を退位させ、娘婿の親王を天皇にしようとして、謀叛を企てた罪です。藤原時平が天皇に伝え、直ぐに道真の罪を問う会議が開かれました。

道真はこの企てはしていませんが、そう考えた勢力もあったかもしれません。
宇多上皇と菅原道真の派閥と醍醐天皇と藤原時平の派閥に分かれていたのも事実です。
道真は不運にも位が高かったので巻き込まれたと思います。

宇多上皇は急ぎ、政務を行う内裏に向かいましたが、中に入ることはできませんでした。
蔵人頭(くろうどのとう)の藤原菅根が天皇の命令で上皇を入れなかったとのことです。
藤原菅根は時平側の人です。

宇多上皇の力でもどうすることもできず、太宰府へ行く事になります。

太宰府では寂しく暮らしていたとのことです。
ただただ都のことを思い一人寂しく暮らしていました。ただ太宰府で詠んだ漢詩には怨みや不自由さの表現も見られました。

太宰府に流されて2年後の903年、失意のうちに亡くなります。享年59歳でした。

この後、都に不思議なりことが多く起こります。

次回はいよいよ怨霊編です。

続く











 

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