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ナンセンス小説 : 歩けない男

街を歩いているとふと、歩き方が分からなくなる時がある。大抵目的地に着けば治るのだが、あの日は酷かった。

その日、俺は本を買いにに街へ出かけたのだが、やはり街には人が多くて、みんな俺よりイけているように見える。だんだん緊張してきて歩き方もいつものようにダメになってきた。さっきまでどうやって歩いていたんだっけ。進んではいるが、ものすごく変な歩き方をしているような気がする。周りの人にも変な目で見られているような気がする。いよいよ本当に歩き方が全く分からなくなってきた。もはや足を交互に前に出しているだけだ。気が狂いそうだ。熱い。体のバランスが崩れていく。もう何もわからない。
そして、俺はついに足がもつれ、こけてしまった。でも、どうやって立てばいいのかわからない。どうすればいいのだろう。ただ俺は地べたに這いつくばって、気持ちの悪い動きをする大きな落とし物として一生を送るしか無いのか。誰かが笑っている。クソが。最悪なことにここは中心街だ。何百人という人が俺を見たり見ないふりをしながら通り過ぎていく。今通った男達はこっそり盗撮してきやがった。バレてんだよ。しかし反抗はできない。分かってるんだ。俺は今、この世の誰よりも惨めで気持ちの悪い生き物だ。もう体中から火が出るほど生きていることが恥ずかしい。どうすればこの状況を少しでもマシにできるだろうか。このまま夜がくれば精神だけでなく、体も危ない。しかし、そんな時にも足は絡まって全く動かない。

そんな時、一つの考えが俺の頭をよぎった。俺は服を脱ぎ、バッグの中からもう中身が一枚しか残っていないメモ帳とペンを取り出し、思いついた魔法のような文言を書いた。

  ハプニングアート:「這いつくばる男」
        田中俊光

これだ!これしかない。俺はこの瞬間アートになった。俺はただここでアーティストを演じていれば良かった。俺の動きは全て美しい事象として世界に反射した。周りの私を撮っている人々も、前衛的なアートをしている人だとしか思わないだろう。通り過ぎていく人々は俺の芸術を理解できないバカだ。なんて美しい肉体の動きだろう。素晴らしい芸術。
書いた紙をバッグで押さえ、俺はそのまま30分ほど演じ続けた。段々体が慣れてきて、動きはどんどんドラマチックになってきた。這いつくばり、立ちあがろうとして、また崩れる。なんて芸術的な肉体の動きだ。人が集まってくる。歓声。俺を写すフラッシュの光。俺は這いつくばるというこの行為によって本当に何か掴むかもしれない。明日、会社を辞めてこようか。

しかし、楽しい時はいつもすぐに俺の前を通り過ぎてしまう。段々客も飽きてきて、もう数人しか見ていない。俺は、必死に彼らを惹きつけるために動きを大きく、派手にしていく。しかし、また1人帰ってしまった。そして、決定的なことが起きた。あの、この歩けなくなった俺の存在を唯一定義してくれていたあの紙が、飛んでいってしまったのだ。一瞬のことだった。俺は客が帰るのを恐れ、これまで無いほど大胆に幾百度目かの立ちあがろうとして崩れる演技をした。いつもより大きく倒れております!お客様!
しかし、その一瞬、あの紙を止めていたバッグがずれ、風でそのまま紙は飛んでいってしまった。

あぁ。思わず声が漏れた。たった一枚の紙だ。たった一枚の紙によって生きていた俺は、今再び死んだ。



目が覚める。俺は踊り疲れて眠ってしまっていたようだ。夜風が冷たい。そして、俺は服を着て、家へ帰るために重たい腰を上げて立ち、歩き出した。街にはもう誰もいなかった。

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