あけましておめでとうございます。

年明け早々に年末の話に戻るのだが、文部科学省の

「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/169/index.html

から、該当する児童・生徒について、2023年度より予算を付けて支援などに取り組んで行く、という方針が出された。ざっくり解釈すれば『巷でギフティッドとされるような子供の支援を、今後検討して行く』ということになる。

ざっくり、という時点で、雑で危険な表現だという自覚はある。一個人でも迷う程度なのだから、行政がギフティッドという言葉に対して慎重な姿勢を示すのは当然だ。素早い対応は現実的に困難だろう。該当する子供をどう判断するのか、その判断が本人や家族、周囲の人間にどう影響してしまうのか、そもそも才能や能力とは何だ、予算は回収出来るのか、と話はどんどん拡大して行く。それらの課題一つ一つに、丁寧な折り合いを付けるのは時間を要する。

打ち出された方針に該当する児童・生徒を、どういった基準で見極めていくのかは分からない。現時点でのギフティッドに関しては、ウェクスラー式知能検査におけるFSIQ130など、一定の数値の目安が分かりやすい。勿論諸外国に倣って、もっと幅を持たせるなり実情に沿ってアレンジして行くだろう。

知能指数の基準は古典的で批判もあるが、数十年の研究蓄積を覆せるような発見が出て来ない限り、判断材料としてやはり強い。

個人的には、数値として境界上にいる人間も忘れないでほしいと思う。支援を受ける環境に乏しかった、と考えるなら、ギフティッドの要件を満たす人間も含まれるだろう。啓発や周知をしづらい部分もあるとはいえ、自分と同じような人がいる、と何かの拍子に知るだけで、随分心が楽になる場合もある。

これらのことを、少数派への理解を促すきっかけ、と見るのであれば、国や時代に関係無く、何度もぶち当たって来た問題と言える。困っている人を適切な支援に繋げていく為の準備、という風に世の中が捉えてくれると良い。

記事を読んで頂いてありがとうございます。個人の見解なのはお忘れなく。