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【茅葺き民家改修記 vol.1】2002年7月

29歳の僕が田舎暮らしをすべく
ある村の茅葺き民家に出会い、自分で直し、住むまでの話。

出会い

草をかき分けて木製の雨戸を開けると、そこは玄関でした。

玄関の扉を開けると、カビ臭い、何もかもが土に還っていくあのええ感じ?の湿った空気が流れてきました。                                                      

移住先を探し求め、知り合いを通じて、たまたま訪れた村の方に紹介してもらった家(実際は廃屋)です。
家主さんの許可を得て初めて中を見せてもらいました。
土間から見える梁は折れ、その奥の部屋の天井は崩れ落ち、僕は怖くてそれ以上奥へ進めませんでした。
屋根が落ちて空が見えます。

一応、建築の大学を出て建築設計事務所で働き、それなりに建築のことは分かってるつもりでした。
「この家はアリエナイ」と。
でも
この圧倒的な茅葺き民家の存在感。
自然の風景に佇む美しさ。
土に還らんとする儚さ。
「欲しい」
「自分で直して住んでみたい」
何かに憑りつかれていたのか、この廃屋に魅入られた僕は購入を決断しました。

日曜大工もしたことない奴が家なんか直せるか

僕の父親に言われました。
そりゃあ反対するわ。
おっしゃる通り、道具もない、経験もない。
建設現場で職人さんの仕事を眺めてただけ。
そんな自分の息子が仕事を辞めて田舎暮らしするってボロボロの廃屋を買った。父親の心情いかほどに、情けないよな。

友人を連れて行った

後日、お披露目を兼ねて10年来の友人ボビーを連れて「僕の家」へ。
冷静になって、この廃屋を前にするとなんだか変な感じ。
テレビ番組の「ビフォー・アフター」の音楽が頭の中で鳴りはじめました。(マジで、そんな気分)
おれに直せるの?これ。
我に返った僕は圧倒され疲れてしまいました。
帰りの車の中でボビーはため息ばかりつく僕に言いました。

「前の職場の店長の口癖やねんけど、『何か失敗してそこでやめたら本当の失敗。あきらめず続けたらそれは失敗やない』だってさ」

僕は、すごく気が楽になりました。若さっていいですね(笑)
もしも家が崩れてペシャンコになっても廃材を使ってそこに家を建てればいい。要はそれをプロセスにすればいいのだ。
失敗を恐れずに具体的に行動する事が、今の僕には必要なんだ、と思えるようになりました。
ボビーの何気ない一言に感謝してます。(ボビーはその言葉の後に「俺はあんな家死んでもいややけどな」って言ってました)

今思えば

綿密に計画を立て、お金を貯めて、現地の状況をリサーチして・・・
実際は、計画もなし、貯金も少なく、現地の状況も知らないまま・・・
田舎暮らしのアドバイスには程遠い若気の至り。。
でも、なんだろう。
「やめる」という選択肢はなかった、みじんも。
「俺ならできる」という根拠のない自己肯定感。
そして
50歳を前にしてあの頃の狂気じみた行動力を誇らしく思ったり
もう一度あのワクワク感をもう一度、なんて思ったり。

vol.2 へつづく 

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