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嫌なことをやめるために、何が嫌か感じる練習をし始める。

あらすじ。

突然夫と別居。息子一人と一緒に実家に転がり込む。

両親と、
未婚の兄、
離婚予定の私と、その息子、
近くに住む同じく未婚の弟(毎晩ご飯だけ食べに来るたまに泊まる)
との協働生活が始まる。

【できこと】

(朝食のために)早く起きる・ごはんの支度(調理含む)をやらないようになる。
《経緯》
→私は朝が苦手である。
結婚する前までは深夜2時が一番元気で、映画見たりスマホをダラっと見たりたまにくるアタリBLで号泣しながら眠っていた。
結婚したあとも月4回くらいその波がきていたが、子供のご飯のために朝は早く起きていた。
(1回だけやらかして、起きたら子供が朝食を食べずに学校に行ってしまったときがあり、猛省する。けれど、息子の反応は意外で、食べないときのほうがお腹空かなかった、と。)

そう、私は朝が苦手。
夜のほうが体調がいい。
だから、特に必要じゃなければ、学校に間に合う6時台に起きられれば花マル(十分じゃない?)。

しかし、母が起きるのは4時台。(やばい)

勝てるはずがないし勝ちたくない。

なので、「朝食は母に任せよう」と、早起きをあっさり辞める。
最初は申し訳無さそうにしていたが、次第にそうする意味もわからなくなってきたので、堂々と6時半とか7時過ぎにリビングに行くようになる(お休みの日はしれっと9時とかも)。
当然子供は朝食を済ませており、そのあとで私は母の食事を美味しくいただくことになる。

こんな流れで朝ご飯担当をさせてもらえない私が晩ご飯担当をすることになる。
しかし、私の料理にだんだんと両親がケチをつけるようになる。
ご飯がすすむ料理(油、肉)が正解である両親、兄、弟に対し、
ご飯が少なくてすむ料理(魚、納豆、茹で野菜)を愛している私は彼らの胃袋を満たさなかった。

食べたくないけどすぐ捨てるのは気が引けるのか、ラップして冷蔵庫に詰め込んで腐るまで捨てない。私は食べるけど、家族分作ってるから減らない。つまり、もったいない。
こんな流れから晩ごはん担当も外れることになり、洗濯掃除だけやることに。
ごはんの支度から調理まで、何も言われない限り、お任せすることになる。(たまに作って、と言われ、たまに褒められたりすることもあった)

生活の中にある小さな「本当は嫌なこと」を探し、観察し始める。

《経緯》
思い返してみれば、人生は嫌なことばかりだった。
けれどそれは全部ワガママであり私の能力不足によるもの。
生きていくために、嫌なことは避けては通れないと思っていたし、実際今でも少しそう思うときがある。
PTAなんかやっちゃってるし。
別居して引っ越してるのにこども会の役員も継続しちゃってる。
これらに関しては、嫌いなのかよくわからない。
ただ、頼まれるのは嫌いじゃない。

夜型でオタクでワガママで、暗算できない、細かいミス多い、リラクゼーションやってるのに警官の方が似合うとか言われる。(なんでやねん)

私のような人間は、我慢しないと普通の生活すらできない。
と、本気で思っていた。
我慢強い自分を誇りに思っていたことさえあった。

せっかくなので、そういう思い込み一つ一つを見直すことに。

思えば私は、両親のことがそんなに好きじゃない時期がほとんどだった。

酒乱の父。

ほぼ毎晩お酒を飲んで荒れる父。

風が吹いたら風に怒り、机をひっくり返し、
電話が鳴れば電話に怒り、うるさいと机をひっくり返す。(なんでやねん)
床が汚い、と机をひっくり返し、
掃除機をかけると音がうるさいと机をひっくり返す。(なんでやねん)

孫ができて今でさえ落ち着いたけど、
スイッチが入れば矛先はオンナコドモ関係ない。
怪我あり警察あり、理不尽に追い出されてラブホテルで夜を明かす日もあった。

大喧嘩したときもあったしもう済んだことなので今は感謝しているが、
父だってもうわけがわからない感じなので、あんまり近づかないことにした。

けど、息子は何も知らない。息子の前ではいいじいちゃんでいてくれてたし、そういうときしか会わないようにしていた。
だから息子は父に普通に近づくし、話しても多分意味がわかってない。

こんこんと話して聞かせようとしたときに、
そもそも、私は誰かに言うことをきかせる、という行為がめんどくさくて大嫌いであることに気がつく。
なので、「じーじ酒飲むとやばいから離れときなよー」とだけ伝えて、完全に放っておくことにする。




つづく。

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