見出し画像

映画『首』感想 明智光秀はなぜ織田信長に従っているのか

 冒頭、清流が流れる小川に、首なし死体が横たわっている。鮮やかな赤色に染まった首の切り口から、サワガニが可愛く顔を出す。
 この「首なし死体」があまりグロテスクには感じない。グロさを強調したいなら、切り口は赤黒く変色させるはずだし、カニではなくて蛆が湧いているはずだ。沢の水の綺麗さや死体のフレッシュな赤色は美しく、サワガニが茶目っ気を添える。グロくてキレイで、おまけにカニの可愛らしさまで備えた諸行無常感!最高じゃないか。


 織田信長の家臣、荒木村重が謀反を起こした。信長陣営は荒木が籠城していた城を落とすことは出来たが、本人は逃走。信長は家臣らに荒木捜索の命を下す。
 監督・脚本を北野武、ビートたけし名義で羽柴秀吉役を演じる。織田信長を加瀬亮、明智光秀を西島秀俊が演じる。

加瀬・信長の独特さ

 本作には北野映画常連の俳優が多数出演しているが、何と言ってもインパクト抜群なのは、織田信長を演じた加瀬亮だろう。様々な作品が積み重ねてきた織田信長のパブリックイメージを「加瀬・信長」はぶっ壊していく。
 加瀬・信長には「重さ」がない。そもそも加瀬亮のシルエットが薄い。なんなら蘭丸の方が重厚に見えるし、隣に控える黒人の弥助(今話題の!)がそれをより強調させる。しゃべりはなまりが激しく、声は高い。常にイラつきながら家臣たちにまくし立てるから、威厳は感じない。観ているうちに段々とチンピラのように見えてくる。
 特にそう感じるのは、信長が首を前に出して歩くからだ。にらみつけながら顔から前に出る、あの独特なスタイルはチンピラにしか見えない。通常、自分を偉く見せたいならアゴは引くものだろう。その方が威厳を感じるはずだ。「信長=チンピラ説」って斬新すぎるでしょ。
 現代日本人の感覚でこの信長を観ると、小物だなと感じてしまう。しかし、あんなチンピラ人間は、あの時代カブキ者として一目置かれていたのかなと思う。さらに言うと、顔が前にあるというのは、常に弱点を相手にさらしているということでもある。「首」をはねられる覚悟はとっくにあるということ。「殺れるもんなら殺ってみろ!」という命知らずな猛者のようにも解釈できる。

明智が信長に従っている理由

 とはいえ、「この信長に家臣としてついていきたいか?」と首をひねってしまう。莫大な権力のおこぼれに与りたいという家臣がいるのは分かる。秀吉は、いつか天下を取ってやるという野心を心の内に秘めている。しかし、明智はなぜ信長の下についているのか。西島秀俊が演じる明智光秀の方がよっぽど「御館様」と呼ばれるにふさわしい風格を放つ。まつりごとの能力も信長よりよっぽど上であろう。そんな人がなぜチンピラなんかに従っているのか。もちろんこの後、本能寺の変が起こることは分かっているが、それにしたってあの暴君のためにかいがいしく働くのはなぜなのか。
 今作では男色シーンも描かれる。信長×蘭丸はもちろん、荒木村重(遠藤憲一)×明智のシーンは笑っていいんだかよく分からない感情になる。
 物語後半、明智は信長から謀反を疑われてしまう。明智は信長に「お慕い申しておりました」と言って窮地を脱する。ここで言う「お慕い」は単に尊敬しているという意味ではない。それに答えるように信長は明智の唇にむしゃぶりつく。その後、信長との一件を知った荒木は明智に嫉妬心まる出しで問い詰める。(まさかの三角関係!)それに対して明智は強く否定したり、言い訳はしない。「お慕い申して」は、その場を取り繕う完全な方便と言う訳ではないらしい。つまり明智が信長に仕えてた理由ってそう言うことなのか。
 前述した通り加瀬・信長は首を前に出すので自然と襟から首元がのぞく。その状態でエキセントリックに怒鳴ると、首筋に血管が浮き出てそれが妙に色っぽい。と正直思ってしまった。(開けちゃいけない扉をノックされた気分だ)明智の信長への思いの一端を私自身が証明したのかも知れない。

かわいそう過ぎる清水宗治

 さすが(というのもおこがましいが)笑えるシーンも沢山詰め込まれている。秀吉、秀長、黒田官兵衛のなかよし三人組のやり取りはいつまでも観ていられる。ただ、秀吉が見せる本気なのか冗談なのか分からない殺気は、可笑しいような怖いような独特な気分にさせられる。「ぶっ殺すぞ」と99回は冗談で言っているけど、1回は殺しちゃう雰囲気がたけし・秀吉から漂う。
 一番笑ったのは、清水宗治(荒川良々)の切腹シーン。秀吉との交渉の結果、家臣たちの無事と引き換えに清水宗治自ら切腹を申し出る。(ここのやり取りもバカバカしい)多くの聴衆が見守る中、小舟の上で一世一代の儀式を行い、切腹の準備を進める宗治。遠くで見守る秀吉たちは、早くしろよと愚痴りだす。あんまりな反応に頬がゆるむ。そしてついに宗治が腹を真一文字に掻っ捌いていく。今際の際に顔を上げると、次々と帰っていく人たち。「やっと終わったよ」といった聴衆の反応を見て、「えっ?」と間抜けな声を上げる宗治。かわいそうすぎて爆笑してしまった。

ナンセンス落ち

 終盤、本能寺の変が起き、信長は首を斬られる。明智は逃走の果てに死亡。明智の安否確認のため、秀吉陣営は明智の首探しに必死になる。「これなんかどうですか」と置かれた首を前に秀吉が言い捨てる。「首なんかどうだっていいんだよ!」。首を思い切り蹴り飛ばして暗転。エンドロールが流れる。
 批評性は一旦置いておいて、この手の「全部意味なんかないんだよ」的なナンセンス落ちって本当に冷める。一所懸命に観ていたのに、冷や水をぶっかけられた気分になる。え?この時間意味ないの?
 考えてみれば、かの迷作ファミコンゲーム『たけしの挑戦状』のエンディングでも「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」と表示される。昔から北野武のアイデンティティなのだろう。印象論で申し訳ないが、昭和の芸人さんってこの手の全部を台無しにするようなナンセンス落ちを好むイメージがある。
 もちろん、首を取ったことが権力に結びつく事のバカバカしさを批判しているのは分かる。また、娯楽作品に過度な意味合いや情報性を引き出そうとする行為をバカにしているようにも感じる。それはそうかもしれないけど。「そうか意味なんかないのか。わはは!」と笑い飛ばす余裕がほしい。

映画『首』2023年11月23日公開
監督・脚本 北野武
出演 ビートたけし 加瀬亮 西島秀俊


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?