リアコ、やめたい。オタクやめたくない。現実って怖い。

 今年22歳。アイドルにリアコしてる。本当に辞めたい。

 まず前提として、私はリアコ自体を否定しているわけではない。それで楽しく生きられるなら全然いいと思う。恋が生活を豊かにするなら、人に迷惑かけてるわけじゃないし全然いいしむしろ推奨する。私というキモい人間がキモいリアコをしていることが問題であり、私自身普通にリアコ辛いからやめたいのに全然やめる気ないのが問題というのが今回の主旨だ。

 アイドルのリアコをやっている(リアコって単語この使い方であってんの?)。どのアイドルかは本人を汚したくないので言わない。
 ガチのリアコだ。ガチじゃないリアコの存在を示唆しているような書き方になってしまったが、実際リアコと言いながら普通に彼氏ができる「付き合えるなら付き合いたいけど現実の恋愛と推しは別だよね」というゆるいリアコは存在する。リアコだから同担無理!と大仰に語っていた友だちは大学であっさり彼氏作って普通におりてた。お前ほんと拒否した同担1人1人に菓子折り持って謝れよ。
 想いの強さは比較するものではないことはわかっているが、私は完全に推しに恋愛感情を持ってしまっている。私にとって推しへの恋は現実なのだ。ゴリゴリに推しと付き合いたくて、交際・親への挨拶・結婚までを完璧に妄想できるレベルのキモリアコだ。これほんとにキモいな。推し以外考えられない。推し以外となら人生に恋愛なんていらない。病み期とかだともう世界に推しだけでいいってなる。ほぼ年中病み期だけど。小中高の学生時代好きな人ができたことなかったわけじゃないのに、推しを好きになってから今までの恋は全部偽物でこれが本物の恋なんだって勝手に思った。我ながらガチでキモいな〜。TikTokで流行ったHoneyWorksさんの楽曲『同担拒否』で「リ〜ア〜コ〜こ〜じ〜ら〜せ〜て〜しんどい♪」とか言ってっけどしんどいどころではない。「リアコ拗らせて死」。
 なんでこんな心からキショいリアコになってしまったんだろう。普通に恋愛がしたい。毎日頑張って生きているだけなのに。

 推しとの出会いは2023年の3月。意外と最近だな。出会いとか言ってるけど普通に急にハマっただけだし推しからしたら全然出会いなどではない。推しの良いところは論文書けるくらいあるけど、簡潔に言うなら、推しは本当に人間性が高いというか人ができてる。もちろんアイドルだからビジュアルもダンスの技術もすべて素晴らしいが、私はとにかく彼の人間性が好きで仕方ない。彼が女性でも、人じゃなくても、犬でも猫でもノミでもダニでも多分好き。もうハマった瞬間からリアコになった。それまでも別のアイドルを推してたことはあったけど、現推しはもう推しになったというより恋をした感覚だった。ハマりたての頃は写真見るたびにドキドキしたし、てか見てなくてもずっとぼんやりドキドキしてたし、ほんとに本気で一日中推しのこと考えてた。

 突然だが私は、人の性格・考え方には必ずその原因があると考えている。つまり、アイドルにリアコという無謀にも程がある恋をする異常な事態にも、そうなる背景があると思っている。

 推しに出会った2023年3月。思い当たる節めちゃくちゃある。
 私はちょっと経歴がキショい。まあインターネットに長々文章あげるやつなんてちょっとおかしい人しかいないからそんなもんとは思うけど。私は高校卒業後一年浪人し、「え、浪人したのに?」と言われるレベルの大学に入り、通えなくなって大学一年生の間引きこもりと化していた。バイトと地域のボランティアだけは行ってたけど、大学通ってるフリしてた。この引きこもり期間えぐいほど病んでいた。もう書きながら自業自得すぎて笑えんけどえぐいほど病んでた。書くのも正直まだキツい。心臓が冷えた感覚する。真っ当に努力もできない進学もできない大学も通えない。同級生はみんなちゃんと現役で大学入って楽しくやってるのに。今は開き直ってきたからどうでもよくなったけど、当時は本当に自分の存在が恥ずかしくて仕方なかった。実際恥ずかしい存在ではある。毎日が辛くて本気で自死を考えたこともあったが度胸もなくずるずると生きていた。でも人生って止まってくれないから、さすがにそれ以上休めなくて4月からは復学することになった。毎日泣いたし現実逃避でYouTube眺めて1日が終わってそんな自分が最悪でさらに泣いた。推しを知ったのはそういう時期だった。

 4月に学校が始まって、結論から言うと全然通えた。これは完全に推しのおかげで、もう、本当に、気持ち悪いくらい一日中推しのことしか考えてなかった。電車で推しのことを考え、授業中も考え、バイト中も推しのインスタの通知きたら隙を見て投稿見てた。何をしててもずっと頭の片隅に推しがいる状態だった。推し好きすぎてドキドキしちゃってこの時期4キロ痩せたし。推しと同じ位置にピアス開けた。今思うと、自分の人生や生活に真剣に向き合うよりも推しのことで頭をいっぱいにしている方が楽だった。いや普通に好きだからずっと考えてただけかもしれないけど、推しがいなかったらとても通えていなかったのは確か。2年生(年齢は3年)なのに1年生の必修授業を年下の子たちに混ざって受けて、ガヤガヤしてるテラスで1人でお弁当食べて、1日誰とも話さずに家に帰る。自分の現状を直視すると本当にキツかったから、推しのことを考えていられたのは本当によかった。
 夏にライブがあって、初めて推しを生で見た。生きてた。存在した。血が通ってた。推しが存在するってことは、推しがこれまで生きてきた時間、環境、生活、推しという1人の人間の歴史が存在するってことで、そのことがたまらなく愛おしかった。推しが生まれて、いろんな人に出会っていろんな経験をして、今の推しになって、私の前に現れてくれたことが本当に嬉しかった。推しが舞台で踊ってる間、泣きながらありがとうって何度も思った。去年のことだから全部過去形で書いてるけど推しに対する気持ちは今日まで変わっていない。文章嘘つかないで書こうと思ってるから素直に全部書いてるけど、私が気持ち悪いってことは自分でもちゃんとわかってる。
 秋頃からまた精神的にキツくなってしまって、学校のスクールカウンセラーにお世話になるようになった。先生は優しかったから私はいろいろ話したけど、推しのことだけは言えなかった。生活のなかで推しのこと考えてる時間がほぼ占めてんのに恥ずかしくて言えなかった。私の推しへの感情は心の奥底の触れられたくない部分にあって、少しでもそれを気持ち悪がられたり馬鹿にされたりしたら耐えられないと思った。カウンセリングには結局今年の6月くらいまでお世話になった。最後まで推しのことは言えなかった。

 上に書いたようなことをライトにして「あなたのおかげで学校に通えたありがとう」って感じでファンレター4枚に書いて送ったことがある。頼むから読まずに捨ててくれたことを祈ってる。これほんとに黒歴史。で、それから冬をこえ春をこえ夏となり、今日までズルズルとリアコを続けている。
 つまり、人が何かに熱狂するとき必ず背景があると思うってのを言いたかった。途中推しへのポエムみたいな文はさみすぎて長くかつキモくなったけど。あと、私は普通にシングルメンヘラマザー持ちだからそういう根本の性格も原因にはあるかも。

 リアコやめたい。推しを応援することはやめたくないがリアコだけやめたい。リアコほんとにいろんな意味でキツい。リアコつらポイントを軽く紹介する。

リアコつらポイント①家族や友人にリアコって言えない
 言えねー!中学生高校生くらいならまだしも、この年齢でアイドルガチ恋とか言えるわけない!成人済み!ドン引き!てか否定されたら普通に私がきつい!
 なので家族や友人の前ではめちゃくちゃファンのフリをしている。「推しかっこいい〜!ライブ楽し〜!オタ活さいこ〜!は?いや別にリアコとかではありませんが?」という顔をしている。あとリアコだから全然彼氏ほしくなんないけど友だちの前では「彼氏ほし〜!」とか言いまくってる。推しの話したくても、一日中推しのこと考えてんのバレたくないからわざと控えたりしてる。きめぇ〜!
 あとライブ楽しいって言ってるけど実はあんまり楽しくない。ライブ中はいいんだけど、いやライブ中虚無ることあるけどそれは置いといて、普通にオタク友だちいないから全部1人だしライブが終わると帰りのバスで毎回し二たくなるから総合的にはあんま楽しめない。なんなんこの性格。人間に不向きすぎるだろ。

リアコつらポイント②接触イベ好きだけどアイドルとファンの関係性を認めたくない
 これリアコならみんななるよね?わからん私だけか?
 初めて推しとツーショ撮ったとき、本当にかっこいいしうれしいし幸せって思ったけど、同時に私はこの人とはどうなっても絶対に一生結婚できないんだってわかってしまった。アイドルとファンは、私にとって推しは1でも、推しにとって私はファンという概念の構成要素なのだ。ファンとしていくら推しに近付いてもファンにしかならない。ツーショ撮らなければ、アイドルとファンっていう関係性が固定化されなければ、推しという人間と恋愛できる可能性があったのではないかと考えてしまう。いや、ほんっとにキモくてごめんなさい。私は人生でこんなに好きになった人いないくらい推しが好きで仕方ないのに、こんなに好きな人と私は絶対に付き合えないという事実が辛い。アタックすらできない。推しと恋愛するための同じ土俵に上がれない。こうやって無意味に他人を想ったまま、私は一生1人で生きてくのかもとかそんなことばっか考えて1人で絶望してる。接触系のイベントはアイドルとファンの距離が近くなる代わりに、推しと私という人間と人間の距離は遠くなっていく。それが辛くて接触イベも逆に病む。なんならいいんだよ私は。

リアコつらポイント③恋愛ができない
 一番でけぇよ。③どころじゃねぇよ。
 真っ当に恋愛がしたいけど、推し以上にいい人なんていなくて恋ができない。推し以外と恋愛したくないと、普通に恋愛がしたいが葛藤している。私は昔から本来の意味での蛙化起きやすくて、少しでも好意の片鱗のようなものを感じると途端にその人が気持ち悪くなってしまう。推しを好きになってからそれが悪化してる。むしろアイドルは絶対にファンが恋愛対象に入ってこないから安心して好きになれるまである。思えば昔から学校の先生とか自分のこと好きにならない人ばっか好きになってた。ガキ扱いしてくれる人。推しと付き合いたいから彼氏ほしいとも思えないし別に今いなくても問題はないんだけど、ある程度歳をとって三、四十代とかになってからふとした時に対人経験の少なさが露呈してしまうのが怖すぎる。完全な大人になる前に人を知っておきたい。そのために恋愛も経験しておきたい。あと普通に高齢処女になるの怖い。なのに現状している恋愛がアイドルにガチ恋という現実。未来怖いよ〜。たすけて〜。

 この中に同担拒否をいれなかったのは私は同担拒否ではないから。実は接触イベの存在から察せる通り、推しのいるグループはあんまり知名度高くないので同担拒否してる場合ではない。私は推しに幸せになってほしいし夢を叶えてほしい。そのためには同担だろうがとにかくファンをじゃんじゃん増やしたい。東京ドームに立つ推しを豆粒大で見るのが私の夢なので。同担拒否は一定の人気があるグループを推すときの余裕から生まれるとは思う。いや人気ないグループの同担拒否してる子いたからわかんねぇかこれは。まあそもそも同担だろうとなんだろうと私は私に優しい人間はみんな好き。

 で、リアコきつポイント書いたけど、これらは一時的に頭を占めるものではなくて、一日中考える時間が少しでもあればずっとこういう絶望が頭の中に浮かんでくる。それがキツい。みんな普段何考えて生きてんのかな。だからリアコやめたいけどオタクはやめたくない。好きだから。ファンの母数減らしたくないから。

 ここまで書いてみてわかったのは、私はリアコをというか、自分の人生自体をやめたいし治したいんだと思う。だって普通に家族に愛されて育って普通に前向きに生きているような子たちはリアコになんかなってないから。多分私はどこかで普通の感覚のレールから外れてしまって、何がよくて何がダメとか、普通こう考えるみたいな基準がわからなくなってしまってる。いまさら戻れないしわからない。中学生くらいまではもうちょっと元気あったはずなんだけど。だからいまさら普通に出会って普通に恋愛とかもわからない。人と話すときに、私のことを深く知ったら嫌われるとかを考えないで話せるようになりたい。人生に後ろめたさがない、それくらいの普通を手に入れたい。
 推しがあっての人生ではなく、人生あっての推しにしたい。推しを人生の中心ではなく付属要素にしたい。毎日を頑張って生きてちゃんと就職して自分のことが恥ずかしくなくなれば、私はリアコっていうアホな夢から目が覚めるんだろうか。いややっぱ無理かも!せめて推しと似てる人と結婚してぇ〜!年上高身長イケメンで職業アイドルの人!


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