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駆逐艦雷と海の武士道

こんにちは、こんばんは、おはようございますの方はおはようございます、詩(しらべ)です
さて、みなさんいきなりですが最近感動していますか?ということで私が元気になれるお話をご紹介いたします。 

敵兵を救助せよ!


2003年10月26日会場自衛の式典に参列す為、一人の老紳士が初めて日本の土を踏みました。84歳(当時)という高齢に加え、心臓病をわずら出ているのに…。
元イギリス外交官でsirのの称号を持つ「サムエル・フォール」彼にはどうしても日本を訪れたい理由があった。
案内された船の艦内でサーフォールはしみじみと語り始めたました。61年前(当時)の壮絶な真実を…。戦後の長期において、日本人誰もが知らなかった戦場の奇跡の物語であった。

その物語はジャワ島北東部スラバヤ沖で起こったようです。当時の戦況は日本が圧倒的に有利英をはじめとする連合国艦隊は連日猛攻撃を浴び、フォール少尉も乗るエンカンターも包囲されていました。砲弾が命中し,エンジンが停止
もはや脱出する以外方法はなかったのです。
こうして全員が救命ボートで脱出、その直後、
エンカンターは日本海軍の攻撃で炎上して沈んだのでありました。
本当の地獄はここからであった…。
船から漏れた重油で多くの者が目が見えなくなった、近くの船も合わせて400名以上が漂流、ボートにしがみつくのがやっとだった。
船から離れる前に打ったSOSの無線を受信できる位置に味方のオランダ軍の基地があった。
しかし、いつまで経っても味方の救助は現れなかった…。不安の中で兵士たちはパニックにおちいった、やがて、世が明け漂流から20時間近くが経っても助けはこない!苦しさのあまり自殺をしようとする者も現れた…その時、希望の光が降り注いだ、一隻の船が見えたのであります!兵士たちは喜び助けを求めたのです。
しかし、目の前に現れた船は、あろうことが、日本の戦闘艦だった。その船は駆逐艦「雷」乗組員220人の小型の軍艦であるが、数日前の海戦では連合軍の船、3隻を撃沈させるなどその威力をまざまざと見せつけていた。その式をとったのが艦長「工藤俊作」身長185センチ・体重90キロ堂々たる体格の猛将であった…。


工藤艦長の船がついに漂流者を射程距離に捉えました!その時工藤艦長が見たものは、ボートや瓦礫に捕まり、必死に助けを求める400名以上の英海兵だった…。しかしこの海域はいつ、潜水艦に襲われるかわからない危険地域!
全ては艦長、工藤の決断にゆだねられたのです。そしてフォール達は最後の瞬間を確認しました。工藤艦長は、「敵兵を救助せよ❗️」
それは救難活動中の国際信号旗を出したのです。工藤艦長はある信念を貫いたのです、それは、海軍兵学校の頃から教育された、「武士道」
でした。敵とて人間、弱ってる敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道であると、世紀の救助が始まったのです。
まずは自力で上がれる者に手を差し伸べたのですが、英兵達はは傷ついた者から優先に救助するよう求めました。これが当時の写真である。


最後の力を振り絞り、雷に向かって泳いできました。しかし地獄の漂流を続けて21時間、飲まず、食わずで海を漂流してきた英兵達の体力は
限界を超えていました。
そして工藤艦長は第二の大きな決断をしました。それは最低限の人間だけ残し、あとは全員
救助に向かうよう工藤艦長の決断に全員が覚悟を決めたのです。

工藤艦長は気をゆるめることはなかったのです。220名の命を預かる艦長として。
およそ170人の日本兵によって急ピッチで進む救助、しかし英兵は限界に達していた。
ロープを握る力がない者には竹ざおを下ろし、抱きつかせてボートで救助したが、竹ざおに触れた瞬間、安心したのか英兵は力尽きて海中に沈んでいった!その時、日本兵は海へ飛び込み
敵味方関係なく救助にあたりました。
艦橋でこの状況を頼もしそうに見ていた艦長は
魚雷搭載用クレーンなども使い使えるものは何でも使う用指示しました。
そして、フォール少尉も敵艦に救助されたのです。船の上では、油や汚物でまみれていた英兵の体を木綿の布とアルコールで優しく丁寧に拭き、さらに日本兵にとっても貴重な真水や食料を惜しみなく与えました。やるだけのことはやった、誰もがそう思った時であった、その後も工藤艦長はたとえ遠方に一人の生存者がいても船を停止し,救助させました。そして溺れていた全ての英兵を救助しました。その数は日本の乗組員の二倍近い422名にのぼったのです。
しかし捕虜である身は変わりはない、フォール達は何をされるか不安におちいった。そして艦橋から降りた工藤艦長が発した言葉は…。

名誉ある422人のゲストは翌日にボルネオ島の港で日本の管轄下である病院へ捕虜として引き渡されました。そしてフォールは終戦後家族と愛する恋人がいるイギリスへと無事帰国。
サーの称号を与えられほど有能な外交官として勤めあげたのです。彼は自らの人生を一冊の本にまとめ、その1ページめにはこう書かれています。私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた工藤俊作にささげますと…。

激戦の最中に400名以上の敵の命を救った工藤艦長、彼の残した「誇りたかき日本の真の武士道は今も多くの人々の心の中に生き続けています。




























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