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愛を使わないと寂しくなる

歳を重ねて、だんだん役割が外れ、責任や義務を果たす機会がどんどん少なくなる。

比例して会社などにあった愛着が、思い出に替わり、寂しいなぁーと感じる。

日常のそちらこちらで、愛を使う機会がなくなる。

たとえば、歓声を上げながら走り回っている子ども達と同じ広場にいながら、その様子を眺めていると、僕は何のためにここに来ているのかなぁーと、思う。

親達は、愛する子どもを守るため、監視を怠らず、責任と義務感で、身を挺して子どもを守っている。

僕は、その風景を眺めているだけなので、恥ずかしくなり、何のために生きているのかなぁー、と思う瞬間が度々ある。

僕の妻も嘗ては子育てに奔走していた。あの頃は自転車の前と後ろに子ども乗せて買い物にも行っていた。本当に、母は強しである。

僕は、愛を注ぐ相手が家族と僅かな友人だけになってしまった。もっと守るべき相手がいないかなぁーと思う。

自分の存在に空虚感を感じ、生存の意義を見いだせない。

広場の風が、体を通り抜けると、自分の色が風化して、透明になってしまうようだ。

寂しくなるのも老化だと、つくづく体験した。

若返る方法は、使命を持って愛を尽くすことだと気づいた。

愛を使わないと、寿命が減っていしまいそう。

ゲーテは82歳まで生き延びたが、「試練は年齢と共に高まる」と、
そして「全然やめるか、進んで自覚をもって、新しい役割を引受けるか、どちらかを選ぶほかない」と言い残した。

やっぱり使命を持って愛を注ごう 



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