₁-₁60代は、残りの寿命30年を楽観していないだろうか
60歳代の残り30年をズバリ予想できる人は居るだろうか。
とかく、変動要素が多い人生を楽観視していては大失敗するような気がする。
70歳までの雇用努力義務が、政府主導で社会のムードとなっている。
働き続ける選択権は個人に委ねられているが、60歳代は、寿命の残り30年について働く意味や生きる意味について考えることが、過去の歴史にないほど多くなったのではないか。
なぜなら、AIの進歩による仕事の変化、戦争による世界の分断、猛烈インフレなど、社会構造が急速に新しく塗り替えられつつあるからだ。
未来予想は、どのような権威にも難問だ。責任者も不在。責任は運命を背負う己に来る
「専門家の未来予測は、チンパンジーのダーツ投げより当たらない」ということをいう評論家がいる。
そんなことを気にしている僕は、66歳で退職して7年が過ぎ現在73歳。
実は、66歳で仕事を手放し、無職を選択したことを、良かったのかなぁー、どうなんだろうと少し後悔もしている。
単に楽観主義で来たことについて、もう一人の自分が居て後悔している。
選択には何時の場合も二面性があるものだ。
過去のことだが、当時の僕は、60歳から雇用契約の1年更新を重ね、66歳で仕事を完全引退するまで管理職として誇りを持って仕事をしていた。
引退を決めたときには、他社からの誘いをいただいたが、無職を楽しみたいと固く思い、仕事に関しては、思考停止、脳死扱いにすることを決めた。
後は、なるように任せるとして、年金生活を決め込んだ。
松尾芭蕉が、奥の細道に「人生は旅」としている。人生はお金だけではない。「塞翁が馬」ということもあると思い、きっぱりと楽観主義を決め、拝金生活から引退した。
無職に成り立ての頃は、遠方の友人宅を訪ねて料理の腕前を褒めてもらい、魚釣り、自由人として、衣服のコーディネートを新たにしたりして満足していた。
俳句は、日本文化の底支えとして自負してきた。
資格を取って街歩きの観光ガイドなども楽しんだ。
風天の寅さんの言葉のように、生きていれば、たまに小さな「 棚ぼた」に遭って嬉しいことがあると、下町の庶民を気取って楽観的に過ごしていた。
しかし、70歳になった頃、心はストレスを貯めて、このまま生きていて良いのかと問いかけてくるようになった。
仕事の濃密な人との繋がりが切れたことで、心は、寂しくて、孤独だった。
契機を紹介すると、現役の同級生がいて、
●彼が、僕の分の割り勘を受け取らないことに、僕の劣等感が噴出し、プライドが傷ついた。
●彼の仕事話を聞くと、僕には過去の誇りしかなくて寂しくなる。
●自分のやっていることが、経済的に価値が低いと感じる
●やっていることが、自己中心で内向きになっている。
ヴィクトール・フランクルのいうには、強制収容所で楽観的に生きていると希望が失望に変わった瞬間から、「生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていても、なにもならないと考え…、頑張り抜く意味を見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった」とある。池田香代子訳「夜と霧」(みすず書房)
僕は、自分の楽観主義は危険だと気付いた。生きる目的や意味を徹底的に考えていなかったので、フランクルのいう、あっという間に崩れる人になると。
ニーチェも「なぜ、生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」といっている。
生きる目的や意味を考え始めると、仲間や人との繋がりが欲しくなり73歳でも孤独では居られなくて、行動したいと思う。
楽観的に生きようと思った時から現実を見なくなった。
同時に苦悩は消える。
それが、良いとは思えない。
幸福論は「棚ぼた」ではない、そうだ。
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