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⁶残り30年を誰のために何のために生きますか

 今までは集団の中で、まるで鰯の群れの一匹として生きて来たかも。

寿命が見えてくると次第に自分の気持ちのあり様が変わる。
他人の視線や扱いが、軽く見られ出したような気持ちになってしょうがない。

ゲーテは「試練は年齢と共に高まる。人は子どもを大目に見るように、老人を大目にみる」といっている。

僕は、退職を意識した頃から人格が変わった。
 
苦悩は、人間だけに与えられた能力。
心理学者や哲学者の教えは、苦しみは、とことん悩むことが人生を色濃くすると。

ニーチェの名言に「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くする」とある。

 残念なことに、僕は教えを知らなかったので、定年後は無職で日々思いのまま楽観的に趣味とボランテアで過ごしていた。

ところが同級生で現役の友人が、僕の割り勘を受け取らなかったことに、劣等感が芽生えたことが切っ掛けとなり、孤独に陥った。
独り、苦悩した。
 
ヴィクトール・フランクルは、生きることについて究極の苦悩を体験した。池田香代子訳「夜の霧」(みすず書房)という著作に、ナチスの強制収容所3年間の体験を書いている。

その中で、クリスマスと新年の間に大量の死者が出た例を上げ、希望的楽観的に生きていた大勢の人が、解放されるだろうという希望を失った途端に、命を落としたこと。
また、生きることを諦め「……煙草を食料と交換することを断念し、…煙草を吸い始めると、私たちは行き詰まったな、と察した。事実、そういう人は生き続けられなかった」と。
 
生きる目的、自分が存在することの意味、頑張り抜く意味を見失った人は、あっというまに崩れていたという。

僕は、66歳の退職後、3年経った頃までは、正にその状態だった。
 
フランクルは、生きる意味を考えるときは、発想を180度転換して、誰かに要求するのでなくではなく、「生きることが、私たちに何を期待しているのか、生きていれば、未来に私たちを待っている誰か、あるいは何かの仕事があるのか、と未来に期待を持つことによって、生きる意味を見出すことができる」としている。
 
生きるための意味、或いは使命として上げているのは次の三つ。
創造価値:文章を書くなど、何かを作り出すことができる創造活動
体験価値:妻子との間柄など、関わり会いの中で得られる体験
態度価値:過酷な運命に対してとった態度

僕の場合は、現役当時、リーダとして収益を上げることと、仲間の給与の獲得を目標にして過ごしていた。時代が良かったと言えるが、66歳までフルに働けたから幸運に恵まれていたと思う。
 
70歳に近くなって、フランクルの「幸せは生きた結果である」との教えに急に生きる意味を考えるようになった。以降2年ほど新たな自分の再構築のため学びをしている。
 
定年を意識したら、この三つの価値に絡めて人生を改めて考えてみてはどうだろう。 

認めてもらえば、73歳でもどこかで働かせてくれるだろうと期待を持って生きることにした。
指名をいただくためには、相手が望む僕になることだ。
 
孤独になって考えるべきことは、
    苦悩することは、人間特有の能力として喜ぶ
  人生から見られていると発想する
  幸せを求めると幸せは逃げていく
  誰かの、何かのためになることを目標とする
  人に対峙するときは、自分を大切にする姿勢

フランクルは、人間を「ホモ・パティエンス」と呼び、苦悩する存在とした。

僕はお星様になることも含めむ、一括した苦悩を要求されている年ごろとなったと思う。

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