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オーストラリアで子育てシーンに片足突っ込んだ2年弱の話④

当時の私にすれば全てはびっくりと初めての連続だった。
今「あれがあったらいいな」、と思うことの一つに浮かぶのは未就学児の遊び場が開催されるスペースだ、それも公立の小学校の体育館で。
(日本でもあるのかも?)

YさんとLさんの家は立地がよかった。
たいていの行き先が徒歩圏内にあり、ベビーカーを押して歩ける距離のところに公立の小学校もあった。

遊びに行く日は門を通って敷地に入り体育館へ向かう。
開放時間には体育館に入ったところにテーブルと名簿、それから小銭入れが備えてある。
おそらく係のお母さんがその日にセットするんだと思う。

最初の数回はYさんに同行してもらいAをつれてそこへ行き、以降は私が1人で。
到着するとベビーカーを停め、名簿に記入して小銭を払って毎回Aが遊ぶのをサポートした。

午前中いっぱい遊べるその空間には、おもちゃや遊具が溢れかえり、大興奮の子どもたちの賑やかな声やら泣き声で満ちていた。

工作用のテーブルにはワークシートや文房具、グリッター!が並び、トランポリンで跳ね回る子、ひたすらおもちゃの車に乗っている子、思い思いに子どもたちと保護者が遊んでいる空間は臨時のミニ遊園地みたいだった。
通っているうちに顔見知りの保護者が出来たり子ども同士が隣り合わせで遊んでいると自然と世間話をしたり。
「何ヶ月ですか?」という始まりはあちらでもこちらでも共通の言語らしい。

たいてい私たちは週に1回遊びに行くか行かないか。そこへ行く日は保冷バックに何種類もお菓子を詰めた。チーズやクッキー、小さく切ったフルーツ、ジャムのサンドイッチの日も。

ステージの階段はおやつを食べるのにちょうど良く、そこでみんなを眺めながら小腹を満たしてまた遊びに戻る。時間になると自然と保護者たちが倉庫へおもちゃを片付け、それに習う子ども、最後までぐずる子が毎回誰かしらにあやされながら、最後はきれいに空っぽの体育館に戻っていた。
モップの乾拭きもしていたように思う。
日本の育児シーンにあるのかないのか今も当時もしらなかったけど「体育館のいい使い方だな」と感じたのを覚えている。
運営云々は置いといて。

帰る頃はたいてい小学生たちのランチタイムだった。来る時に静かだった門までの道のりが帰りには小学生の波になっている。
あちらこちらで休憩を満喫するこどもが楽しそうに散らばり、その間を縫って帰る。みんな思い思いにランチを頬張っていた。

Aは毎回ベビーカーや抱っこ紐でぐっすり眠るくらい全力で遊んだ。
Oと一緒の日もあった。
同じ「未就学児」というグループとはいえ2人の行動は全く別次元だ。
全力で車を乗り回したかと思えば駆け回り、よその子とおもちゃを取り合うOを追い回し、一方ハイハイかたっちがやっとのAをあっちへこっちへ抱っこして同時に彼女もそれなりに楽しませるのは中々に骨の折れる時間だった。

最初の数ヶ月はOともなかなか"Best Friend"になれずにいた。
特に空腹と遊びとのバランス取りに慣れない頃はお互い辛い時間もあった。
その日はまだプレイグループに1人で2人を連れて行く数回目だった。
案の定、疲れと空腹で癇癪を起こしてテコでも動かなくなったO。どうにもこうにも連れて帰れずに泣き叫んで大暴れしている彼を前に途方に暮れている様子をみかねた周りの保護者が手伝ってくれ、一緒になんとかベビーカーに彼をセットしたこともあった。
あの時の葛藤は今思い出しただけでも一瞬疲れる。

とっても賢くユーモアに富んだOだった。私のポケットに、私のママ宛てだとお花をねじ込んでくれる優しさを持った素敵な小さい紳士。
だが、疲れと空腹の前ではただただ暴れる10数キロの塊だった。

それは息子もしかり。

空腹とはかくも恐ろしいものか。
何度やってもタイムマネジメントと事前準備は子どもたちのエナジーバーンの前では手も足も出ない。

仲良くやれた日が何日かに一回たまたまあれば御の字だ。

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