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文科省が教育内容を定める社会ではいったい何が起こっているのか

■哲学のない日本社会


「理解が足りないから」という理由ですべてが語られる日本社会

「理解不足、知識不足、認識不足」というレベルですべてが捉えられる

すべては正しいかまちがっているかの枠組みで捉えられる

だから、それが「正しい」と捉える人が多数になるまで社会は動かない

つまりそこに哲学は介在しない

例えば、「理解が深まるといい」というコメントには、なにか「正しい」とされるものが念頭にある

「正しい」とされるものが自分と同意見であれば気にならないが、自分と異なる意見の場合は価値観の強要となってくる

■マス(大多数の意見)が価値観を押し付けてくる社会

日本社会では、哲学的な問いから創出される意見にイイネが押される割合は低い

「正義」、すなわちマスが「正しい」とする価値観を日本社会は絶対的に「正しいものとして」強引に押し付けてくる

日本社会では、すべてのことが「世界の潮流」として日本に流入してきて、はじめて日本でも受け入れられる状況になる

世の中の潮流、つまり、風潮、社会通念といったもので「正しい」とされるもの

日本社会では、既存の価値観を否定するような新しい価値観を受け入れられるまでにはかなりの時間を要する

受け入れられたとき、そこに哲学はなく、それがすでに「正しい」とされる風潮になっているからということに過ぎない

哲学がないからマス(風潮、社会通念)に従うことが絶対的に「正しいこと」として押し付けてくる

風潮に抗うことは難しい

風潮に抗うことは哲学のなせる技である

こんな社会は自分たちの代で終わりにしたい

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