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<本と映画の答え合わせ(第16~20回)>「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」、「日の名残り」、「嵐が丘」、「スタンド・バイ・ミー」、「ソラリス」


(第16回)アンドロイドは電気羊の夢を見るか

【本】
〇タイトル:アンドロイドは電気羊の夢を見るか
〇作者:フィリップ・K・ディック
〇感想:
 ・登場人物が多いうえ誰がアンドロイドで誰が人間かややこしい、また、本物そっくりの電気動物、逃亡したアンドロイドを廃棄する賞金稼ぎなどの前提条件について理解し、慣れるのに苦労する
 ・ただし、その世界観を理解すれば名声通りのSF作品であると思う
 ・主人公リックが派手な任務を遂行する(アンドロイドと闘う)一方で仕事における人間関係、ありきたりな夫婦生活、電気動物に癒される姿なども描かれており親しみを持てる
 ・アンドロイドは昔からSF作品のテーマの1つであるが、その根底には命の問題があると思う。人類の不死への憧れがアンドロイド、電気動物に繋がっている
〇評価:○

【映画①】
〇ブレード・ランナー(1982年)
〇監督、主演:リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード
〇感想:
 ・描かれている都市が歌舞伎町をモチーフとしており、たまに出てくるおかしな日本語表記等気になる
 ・現在からみると、未だアンドロイド、空飛ぶ自動車は実用化されていない。技術の進歩には想像以上に時間がかかるということであろう
 ・内容は本(原作)と似ているようで異なる。電気羊は現れないし、リックは格好良く描かれて「あれ、何か違う、、、」と感じながらストーリーは進むが、これはこれで面白い。本(原作)に着想を得て、独自に映画(「ブレード・ランナー」という別作品)を製作したと言える
 ・この場合、日本で起きた「セクシー田中さん」のように原作者と映画製作サイドの対立等の問題、軋轢はなかったのか気になる
〇評価:○
 
【映画②】
〇ブレード・ランナー2049(2017年)
〇監督、主演:ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ライアン・ゴズリング、ハリソン・フォード
〇感想:
 ・映像技術の進歩を感じるとともにハリソン・フォードの歳を取ったものの元気な姿を目にして安心した。
 ・内容については本(原作)を読んで映画(1982年版)も観たにも拘わらず、よく分からない。
 ・辻褄が合わない、何のためと疑問に感じる点が多数存在する。続編のみを観た人は全く理解できないのではなかろうか。学生時代に友人と映画館で「ゴッドファーザーⅢ」を何の知識も持たないまま観たために全くその良さを理解できず映画館でひたすら苦痛に耐えたことを思い出した
〇評価:△
 
【総合】
〇感想:
 ・本(原作)と映画は似て非なるものとしてそれぞれ楽しむことをお薦めする、ただし映画の冒頭のテロップによる説明だけでの状況把握は難しく、本(原作)の知識を踏まえておかないと映画の内容も理解しづらいと思料する
 ・最初に続編「ブレードランナー2049」(2017年)を観ることだけは避けるべき
 ・アンドロイドの中心的役割を果たす技術であろう生成AIは今日最も注目される次世代技術として目覚ましい発展を遂げている。その可能性は拡がり、ゆくゆくは人間を超える(シンギュラリティが来る)ことが懸念され始めている
 ・本作品やカズオイシグロの「クララとお日さま」にあるようにアンドロイドと人間の対立ばかりでなくアンドロイド間の争い(旧型vs新型等)も起こりうる
 ・世界中で生成AIの開発に突き進んでいるところであるが、リックのようにアンドロイドを処理する役割も必要ではないか
 ・アンドロイドの廃棄、処分まで見据えた本作品の先見性の高さに恐れ入る。本作品で描かれる問題は全く架空の出来事ではなくその示唆を頭の片隅に入れておくべき必要があると感じた

(第17回)日の名残り

【本】
〇タイトル:日の名残り
〇作者:カズオイシグロ
〇感想:
 ・第2次世界大戦前のイギリスの執事、現在の自分とは決して接点のない存在を本を読むことでその誇り、思いが伝わり親近感すら湧いてくる
 ・読書の素晴らしさとは時代、国、言語を越えて登場人物と触れ合い、作者の頭の中を感じることができることとあらためて感じた
 ・主人を笑わせるためにジョークを練習するなどスティーブンスのいつまでも変わらない熱意から彼にとって執事が天職であることが伝わる
 ・カズオイシグロの取り扱うテーマの広さに驚く
〇評価:○

【映画】
〇REMAINS OF THE DAY(1993年)
〇監督、主演:ジェームズ・アイヴォリー監督、アンソニー・ホプキンス
〇感想:
 ・本を読んだときは意識しなかったが映画を観ることでスティーブンスとケントンがそれぞれ人生を振り返っていることに気付いた。やはり本と映画の両方で理解が一層深まる。
 ・本作品で描かれる執事の仕事は主人の周りの世話をすることであり、スティーブンスはプロフェッショナルに全うしているが、コンサルタント的な面(助言、提言)は全くみえず、違和感を抱いた
 ・30年前の作品。アンソニー・ホプキンスは(最近は目にしていないが)変わらない印象を受けた。一方、ヒュー・グラントが若い
〇評価:○

【総合】
〇感想:
 ・スティーブンスのように天職である仕事に全てを捧げる人生とケントンのように本意とは言えないまでも結婚して出産、家族を持つ人生。年齢を重ね、振り返った時にどちらが正しいかはその人による。
 ・1つ言えることは人生は取り戻す、やり直すことはできないと言うこと
 ・あらためて自分のこれまでの人生を振り返り、大きく後悔することはない(もちろん細かい後悔は多々あるが)ことに安堵し、これからの人生も自分を信じて前向きに生きていきたいと思った次第である
 ・自分の人生、選択してきたことを振り返るきっかけとなる作品

(第18回)嵐が丘

【本】
〇タイトル:嵐が丘
〇作者:エミリー・ブロンテ
〇感想:
 ・1800年代前半(日本では江戸時代)に女性作家がこのような作品をおそらく20代で書き上げたことに驚愕
 ・狭い親族間でここまで泥沼化する関係は信じられないが、物語として読者にとっては目が離せなくなってしまう
 ・語り手が間借り人(ロックウッド)、家政婦(ネリー)、手紙の書き主と適宜変わり、また、時代も3世代に亘るので前半は分かりづらい。後半はネリーの視点に落ち着く
 ・ヒースクリフはどれほどの悪党なのか、これがジプシーの子として生まれ育った環境から身についた生き方なのか思いは巡る
 ・そのヒースクリフと心が通じ合うキャサリンも実は性根悪い人物ではないかと邪推してしまう
〇評価:◎

【映画①】
〇嵐が丘(1939年)
〇監督、主演:ウィリアム・ワイラー監督、マール・オベロン、ローレンス・オリヴィエ
〇感想:
 ・キャサリン・リントンとリントン・ヒースクリフの世代が登場しない。彼らの無邪気さと狡猾さがどのように描かれているのか楽しみにしていた面もあり、残念
 ・キャサリンとヒースクリフ、二人の愛が真実の愛とされているが共感できない。なぜ彼女はエドガーと結婚したのか、エドガーの目の前でヒースクリフが彼女を看取るシーンは違和感しかない
 ・本(原作)を読まずに映画だけ観れば二人の真実の愛の物語として感動するのかもしれない。また、イザベラが本よりも活き活きと描かれていると感じた
〇評価:×

【映画②】
〇嵐が丘(1992年)
〇監督、主演:ピーター・コズミンスキー監督、ジュリエット・ビノシュ、レイフ・ファインズジェームズ
〇感想:
 ・本(原作)を最初から最後まで省くことなく映画している。膨大なストーリーであることに加え、ジュリエット・ビノシュが二役を演じていることなどから、初見の場合、内容を理解することは難しいと思料する。嵐が丘の愛好家、ファン向けの作品と受け止めた
 ・ヒースクリフのネチネチさ、非道さが伝わるように描かれている。このため、エドガー、イザベラの兄妹がとても可哀想に感じる
 ・最初と最後に登場する若い女性が誰なのか分からず、鑑賞後気になった。あらためて観たところ彼女は作者(エミリー・ブロンテ)に違いないとの独自の結論に至り納得した
 ・冒頭のテロップに ”MUSIC BY RYUICHI SAKAMOTO" と出てきて驚いた。故人の世界を舞台にした活躍を身をもって知った。英国の片田舎の壮大な自然の映像と切なさを感じる音楽が印象に残る
〇評価:○

【総合】
〇感想:
 ・女性に相続権が認められず、身内間で結婚する時代の小説を生成AIが出現した時代を生きる自分が新鮮味を持って堪能することができたことに驚く
 ・教訓がないものの時代を越えて愛される作品である理由の1つが可笑しさと考える。ヒースクリフの変人さ、リントン・ヒースクリフの子供っぽさに見られるように登場人物のわがまま、自己中心的な発言、振舞いが面白い
 ・キャサリン・リントンの言葉「毎晩、お祈りしてるのよ。わたしはパパより先に死にませんようにって。パパを悲しませるくらいなら、自分が悲しんだほうがいいわ。」に感動した。自分の娘が同じ年頃であるが、このような観念を思いつくことも考えることもないであろう
 ・人間には生まれながらにして「支配する者」と「支配されるもの」の2つの性分があると思う。後者は受動的であり突き進めていくものではないが、前者についてはそのパワー、思いが強すぎると身分、貧富といった外的環境をも乗り越えていくように感じる

(第19回)スタンド・バイ・ミー

【本】
〇タイトル:スタンド・バイ・ミー
〇作者:スティーヴン・キング
〇感想:
 ・「かつて少年だった父親より息子へ」、どこかで聞いたようなセリフをふと思い出し、自分が現在幸いにもちょうどその状況にあることに気づき読み始めた
 ・スティーブン・キングの作品を初めて読んだが、堅苦しくなく、読みやすい。作者の豊かな想像力およびそれをスラスラと文章化できる能力が羨ましい
 ・自分の場合もそうであるが、一般的に大人になると同じような境遇、バックグラウンドを持つ人たちが集まる世界に属することになる。小学生時代をともに過ごした地元の友人たちのことを久しぶりに思い出した
 ・もう何年も会っていないが成長期(=子供の終わり)をともに過ごした友人たちとの関係、想い出は誰の心にも共通にいつまでも刻まれるものと感じた
 ・彼らとは大人になってからは再会することなく、お互いに少年の頃の姿のままで想い出、記憶の中に留めておきたい
〇評価:◎

【映画】
〇スタンド・バイ・ミー(1986年)
〇監督、主演:ロブ・ライナー監督、ウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス
〇感想:
 ・映画が流行った当時、少年の死体のシーンが怖くて観なかったため、「スタンド・バイ・ミー」と言えば大学時代にジョン・レノンがカバーした歌をよく聴いていた記憶しかない。この歳になって初めて鑑賞した
 ・細かいシーンの相違や再現されていない点もあるが本(原作)通りに制作されている。邦訳だと分からないがスラングもしっかり言っている
 ・リバー・フェニックスは若くして亡くなってしまったが、存命であればハリウッドの勢力図も現在とは違っていたであろう
 ・今日の映画では観られないコンプライアンス違反の場面(少年による喫煙、飲酒運転、嘔吐等)が描かれ、映像技術のみならず文化、社会規範等の時代の変化を感じた。40年近く前の作品であるから無理もない
〇評価:○

【総合】
〇感想:
 ・本(原作)を読めば、登場人物の設定、映画化されていない場面等をより深く知ることができるが、映画を鑑賞するだけでも問題ない
 ・冒険、成長、友情と取り扱っていることは誰もが経験するテーマ。普遍的なテーマであると言えることから親子で楽しめるのではないか。
 ・今度読書嫌いの息子(13歳)にこの映画を一緒に観ないか声を掛けたい(断られるかもしれないが)
 ・早速、息子に声を掛けたところ「ドラえもんでしょ、観たことあるよ。」との回答を得た

(第20回)ソラリス

【本】
〇タイトル:ソラリス
〇作者:スタニスワフ・レム
〇感想:
 ・難解。海が生きていると言われてもピンとこないし、人間の脳に影響を与えるなんて知的すぎるSF作品。登場する用語も専門的で理解に苦しみ、作者のIQがどれだけ高いのか恐れ入る
 ・これほど睡魔に襲われる作品はない。難しい → 眠気と戦い読み続ける → 一応ページは進む → 次に読んだ時に前回の内容がわからない → ますますわからない、という負のスパイラルに突入
 ・これから鑑賞する映画でこの作品の良さ、素晴らしさを理解できればと期待する
〇評価:×

【映画】
〇ソラリス(2002年)
〇監督、主演:スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー
〇感想:
 ・本(原作)の恋愛パートを中心に構成されており、海が全く出てこない
 ・本(原作)がどのようにも解釈できるので、それに比べるといくらか分かりやすい。ただし、過去なのか現在なのか、現実なのか夢なのか頻繁にシーンが入れ替わり把握しづらい
 ・ケルヴィンの客(ハリー(レイア))が消える理由を原作では理解できなかったが、映画でやっと分かった
 ・本(原作)では全く意識しなかった怖さ、エイリアンを感じた
〇評価:×

【総合】
〇感想:
 ・個人的にSF作品はあまり好きではない。その理由が分かってきた。つまり、辻褄がいくら合わなくても最後は「生きていても死んでいても問題ない」、「過去も未来も関係ない」等で終わらせてしまうからである
 ・「脳」がテーマの1つと考える、その神秘、不解明さが本作品を含む数々のSF作品に表れているのではないか、このような先人たちの作品、意識が今日の人口知能(A.I.)に繋がっていると感じた

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